中編・短編


□怪盗紳士のラストミッション
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哀しみが止まらない。黒い闇夜に染まらないように純白の衣装に身を包んだのに、それさえ明日という吉日に彼女が着る一生もののドレスを思い起こさせて辛かった。巻き込まないために近くを離れたのに、俺は最後まで笑って彼女を送ることも出来ない、半端者だ。

「……誰…?」

カラリと開けた窓から入った風と共にカーテンが揺れて、月明かりを遮る俺の影が眠り姫を起こしてしまった。ああ、人知れず終わるはずだった最後の逢瀬も上手くいかない。俺はもう彼女を喜ばせるパフォーマーですらない、そのことが酷く、酷く胸を貫いて。

「…お嬢さん、貴女を、貴女の大切なものを、いただきに、あがりたかったのですが、」

枕元に立って心情を吐露するなんて、何処の怪談だろう。月下の奇術師が聞いて呆れる。そもそもこの純白は誇りと真実を追い求めるために着るべきで、夜這いに使うべきものではないのに。自嘲の想いがいくつも流れて、苦笑と共に感情が漏れていく。

「私は、世界一のビッグジュエルを、目の前で盗まれてしまった、愚かなピエロです」

余りの情けなさに、頬を伝う涙を抑えることが出来なかった。逆光できっと彼女には見えていない。盗まれた、なんて手に入れてもいない俺が言った烏滸がましいことも、全部全部夢として認識してくれたらいいのに。しかし彼女は、身体を起こすことこそしないものの、俺に向かって手を伸ばした。ビクッと震えた俺を待つように、ただジッと綺麗な瞳は此方を見る。
恐る恐る屈んでその手に顔を近付ければ、迷いなく頬を包まれてひんやりしたそこに彼女の熱が灯る。

「怪盗紳士さん。貴方がその純白を脱ぎ捨てるのなら、きっとその時、初めて宝石は盗まれたいと思うわ」
「──、え」
「はじめに、貴方、私の大切なものを盗みに来たって言ったじゃない。私がずっと大切にしてたものは、貴方に覆われて、今は見えないわ」

細い指先でモノクルが取られそうになって、その手を止めようとした時に初めて、彼女の手が震えていることに気付いた。

「……お嬢、さん?」
「──ッ、他人行儀に、呼ばないでよ…っ」

絞り出されるように聞こえたその声は、伸ばした腕と反対の手で囲われる表情のように気丈さを振る舞いつつ、隠しきれないほどに揺れていた。

「第一に、遅い。どうしようもなく、遅い!!もっと早く来なよ!盗まれたと思うくらい好きなら、傍でずっと離さないでいてよ!!」

涙の滲むその声の悲痛さに動揺した。内容も、完全に俺の正体を知っていて紡がれていた。しかし口を挟むことは出来なかった。

「大悪党として生きるなら、わたしを──諦めたなら、往生際悪く会いに来たりしないでよ……っ」

強かったはずの彼女の涙に、俺はかなり動揺していた。イレギュラーなことが起こりすぎて、脳内処理が出来ていない。受け止める言葉はキツいのに、そんな声音では、拒絶にならなくて。

「わたしにっ、会いに来たなら!!拐う覚悟で来たならっ……そんなの脱いで、堂々と本人で来なさいよ黒羽快斗ぉ!!」

ついに泣き出してしゃくりあげる彼女の声に呆然として、すべて知られていた事実にシルクハットを取った。

「いつ、から」
「高校時代から知ってたよ……ッ、お父さんの死の、真相を暴くためだってことも……、でも、その為に快斗の幸せを犠牲にして、快斗のお父さんは喜ぶの……?」

もう何年も、どこにあるかも分からないパンドラを探し続けていた。奪われないために守るものも持たず、関わりを断ち切って、今日まで生きて来た。

「もう、やめようよ…っ盗むのも、逃げるのも…ッ」
「…………」

溢れ出る涙を隠すように彼女が両手で目を覆うので、その間に俺はすっかりキッドの衣装を脱いでいた。曝け出されたその姿は、ずっと押し殺していた本音を簡単に外に出させた。

「じゃあ、俺が盗む最後の宝石になってくれるか…?」

応えを声で聞くより先に、起き上がった彼女が全身で抱き着いて来てくれたことが返事だった。久しぶりに触れたその身体に、また涙が溢れて止まらない。二人で子供のように泣きじゃくりながら、落ち着くまでずっとその体勢でいた。

「……つーか、宝石宝石、クサいわ」
「うっせ…!オメーこそ、結婚前夜に、間男に攫われようとしてんじゃねえよ」
「はあ!?そもそも、アンタが忘れられなくていつまでも私が彼氏作らないのを危惧した親に無理やり進められちゃった結婚だったんだから、おおいに快斗のせい!」

あの頃のような口喧嘩で少し互いに笑って、でもそれが逆に時の流れを感じさせて切なくなる。百パーセント勝手に姿を消した俺のせいだが、ずっと想っていてくれたなんて思わなかったから気持ちが爆発しそうだ。

「…忘れられなかった?」
「当たり前でしょ。初恋から最後まで、こちとら全部快斗に捧げてんのよ」
「…それはそれは」

嬉し過ぎて歪な笑みになる俺に、擦り寄る彼女がぐしゃぐしゃの顔で、だけど綺麗に笑った。

「だから、私の残りの人生全部と引き換えに、快斗を貰う。ちなみに拒否権はない」
「…ないのか」
「うん、ないわ」

きつく掴まれる掌が、もう二度と離さないと俺に伝えて、彼女の決意の重さを感じる。見合うだけの誠意と覚悟を決めて、一度目を閉じた。母さんが父さんに出逢って求婚され、怪盗淑女を廃業したように、俺もキッドを廃して幸せになっても良いだろうかと心の中で問いかけた。笑顔の二人に見送られながら目を開ければ、至上の宝石が目に映る。ああ、俺が探していたビッグジュエルは正しく彼女であったと、すんなり怪盗の最期を受け入れられて。

「じゃあ、俺は残りの人生全部かけて、オメーを幸せにする」
「…フン、そんなの私の台詞だから」

笑いながら、どちらからともなく誓いのキスを交わした。誰も二人を知らないところで、一から二人で始めよう。明日なんて来なければいいと秒針を呪っていた夜が、一瞬にして二度と忘れられない現実になった。こんなイリュージョンは、彼女にしか起こせない。明日が楽しみなんて、何年ぶりの感情だと可笑しくなって、彼女の表情に同じ気持ちなんだと分かり嬉しくなって、感情の振れ幅に驚いて、俺はただ笑った。しがらみを抜け出したただの黒羽快斗として、幸せになる明日を迎えるために。





怪盗紳士のラストミッション





(それは、幸せになることでした)

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