中編・短編


□エンゲージメント・ゼロ
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情報屋が居た。聞けばなんでも答えてくれるという嘘のような評判を持つその女は、利用が二回を数えた時薄らと笑いながら「抱いてくれたら、お安くするわ」と言った。まあ目立つ容姿なのは自覚しているし、今までも散々利用してきた経験があるのでさしたる抵抗もなく、出費が減る有り難さもあり、気軽に夜を共にした。ベッドの中の彼女は不思議と無垢な子供のようで、思ったよりずっと良い思いをしてしまった気がする。取り引きに見合わない甘さが滲んでみえる行為中、アプローチを受けたわけでも次回への約束を取り付けられたわけでもないのに、未来の己が彼女にどう触れるか空想するなど馬鹿げていた。ヒタヒタ忍び寄る落とされそうな感覚は味わったことのないもので、底知れぬ危機感を覚えて会わないように探り屋としての技術を上げた。得体の知れぬ引力を避けたことに変わりはないが、根本的に彼女を嫌っていた訳ではない。だから、具合の悪そうな彼女を偶然見つけた時、そのまま放っておくことが出来なかった。

「大丈夫ですか? 顔色が悪いです」
「…………?」
「フラフラですよ。僕のこと分かります?」

雑踏から抜け出して路地裏に連れ込まれるなんて、普段の彼女なら有り得ないことだろう。直接会った機会は二回しかないが、情報屋として有名な分隙の無い噂は耳にする。若くとも未だ個人として仕事をやり続けていることからも、優秀さしか感じないのに。ぼんやりとした目が俺に向けられて、口元がゆっくり酒の名前を形作る。

「そうです。とはいえ今は、表の仕事の帰りですが。貴女は?」

掴んだ腕は折れそうなほど細く、最後に会った時より随分痩せたと感じた。変化を注意深く観察する為隈無く視線を滑らせていれば、彼女の虚ろだった瞳が潤み始める。親しくない仲で不躾な真似をしたことに対する反応かと思ったが、それにしては嫌悪も恐怖も見当たらない。裏社会に身を置く女の涙に今更動揺するような人間ではないのに、絶望の中現れたヒーローに安心したみたいに溢れ出る透明な露が、ただ真摯に救いを求めているもののそれに似ていて手を差し伸べたくなった。欺瞞に満ちた組織の顔は、消せなかったけれど。

「……探偵の安室透として、話を聞きましょうか。依頼人さん?」

胡散臭い“バーボン”の笑顔に首肯する余力もないのか、彼女はゆっくりと瞬いた。長い睫毛から零れ落ちていく珠にも頓着しない真っ直ぐな視線から了承を読み取って、手を引きながら完全個室の飲食店へ向かう。席に着くと同時に温野菜や雑炊など胃腸に優しい注文をして、少しでも彼女に食べさせながらじっくり本題を聞こうと思っていたのだが、店員が料理を揃えて去った途端、テーブルの下に潜った彼女が足元から顔を出す。呆気に取られているうちに前を寛げられ取り出された力無い息子が、柔らかい唇にキスをされてから呑み込まれる。っておい、おい!

「?!?!?」
「…………、」
「な、ちょ、え、はっ!!??」

エクスクラメーションを叫んでも口から零れたのは小声だった。流石俺だ、とか感心してる場合じゃない。暫く忙しくてろくに構っていなかった分身が、彼女の口の中で本来の機能を果たそうと一生懸命に勃ち上がって来ているのが分かる。鉄の意思で引き留めようにも、舌先で、側面で、繊細かつ大胆な彼女の技術に翻弄されて、すっかり彼は調子に乗っている。いや待て降谷零。個室とはいえ公共の飲食店で、己の遺伝子を放出しようとはゼロとしてあるまじき行為だぞ。情報の秘匿性に重きを置く公安警察官が、そんなことでいい筈がない。耐えろ、耐え忍べ!!打ち勝つんだ!!!!

「クっ………ぅ…ッ!!!」

…………結果として、小さい俺は彼女の中にタンパク質で構成されたゲノムの群れを発射したし、一つの取りこぼしも許さないと言わんばかりに先端を吸われた事で不屈のボクサーの如く何回も立ち上がったし、すっかり打ち止めになるまで大人しく通常のポジションに収まることも、無かった。





「ご、ごめんなさい…………」
「いや、もう謝罪は聞き飽きました」
「うああああああぅぅぅ」

直後に「はふぅ、」と吐息混じりの恍惚の笑みで「……ご馳走様でした♡」と呟いた彼女は何処へやら、我に返り幸せの声から一変、羞恥と後悔に何度も苛まれつつ謝り倒しである。驚きと困惑で茫然自失に陥っていた時なら兎も角、酷い顔色で反応も朧気だった彼女が俊敏に動き全くの健康状態に戻ったことが分かれば脳は迅速に回転を始めた。恐らくもう二度と入らない店に別れを告げたその足でホテルに向かったのは、この先でまた同じような展開になってもいたたまれない気持ちにならないように念を入れたからだとか。そんなまさか。

「それで? 君が調子を取り戻したことについて、僕は詳しく知りたいんですが」
「!!」

過去にも確かに味わった麻薬じみた陶酔感を振り払って笑う。謎めいた現象も、言い知れぬ多幸感も、詳らかにされるまで退くつもりはなかった。狼の問い掛けにビクッと強ばった彼女は、それが一番聞かれたくないことなのだと証明するように逃げ道を目線で探して、探して、探して、出入口までの通過点で俺と目が合った途端、諦めたように睫毛を伏せて力を抜いた。整えられたベッドに座り、か細く長い溜め息を吐き、キュッと手に力を込めて、顔を上げる。

「私、……その、…………フツウの人間では、なくて……、……いわゆる…………、ッ淫魔、と、いうやつ、で」「正式には、まあ……ちょっと、違うんですけど…………でも普通のご飯とか、栄養には、ならなくて、ですね」「それで…………、その、…………」

現実離れした供述は、身を削るようにして吐露されていく。体感していなければ馬鹿馬鹿しいと一蹴したかもしれないが、折角戻った薔薇色を凍らせて話す彼女を見ていられなくて、俯き気味になってきた視線に映るよう目の前で膝を折った。細く冷たい手を握れば、段々と俺の体温が移動して行く。

「何であんな状態になるまで食事をしなかったの?」
「!! ……しんじる、ん、です、か」
「この目で直に見たことは、基本的に疑わないよ」

肉体に限らず毛髪のキューティクルや爪の艶まで一瞬で取り戻すトリックがあるなら別だが、あの距離でそれを俺に気付かれずに行うのは不可能だろう。何より彼女が夢中でむしゃぶりついていたアレ以外に全く集中を払っていなかったことは間近に見ているし、それに彼女が淫魔だというのなら、彼女を抱いた時の幸福感も、依存染みた感覚も納得がいってしまう。すっかり愛らしい風貌を取り戻した頬を撫でれば、怯えた瞳は融けて滲み今度こそ人間染みたぐしゃぐしゃの雨を落とした。清廉だった涙よりも、子供のような土砂降りが安心する。

「…………やっぱり私、貴方を好きになって、しあわせだった……」

至極穏やかな気持ちで見守っていたのに、無垢な瞳が柔らかく緩んだ瞬間、驚いて固まった手を捕まえられる。両手とも彼女の温もりを覚えた掌を嬉しそうに弄んで、優しく指を絡められて、そこでハッと漏れた言葉を初めて認識したように一気に解かれた。

「っ、あ、ちが、違うの!」
「……まさか……君の体調不良は、俺が原因…?」
「わ、私、吸血鬼と淫魔の子らしくて、えっと、吸血衝動とかはないんだけど、植物から生気を貰ったりは出来て、それで……、吸血鬼のパートナー性質っていうか、番を決めたらその人以外から血を貰っても栄養にならないってトコを、受け継いだみたいで……、最近、知ったんだけど」

焦燥に圧されながらも的確に情報を積み重ねて伝える彼女の発言に、待ったをかける。

「聞いていいか? 言い難いことだったらすまない。君の両親は何故君にそんな大事なことを伝えていないんだ?」
「…………私孤児で、両親は知らないの。物心ついた時から孤児院に居て、二次成長が始まるまでは自分のこと人間だと思ってたし、ご飯も普通に食べ物から摂ってた」
「、」
「ある日突然……、味が分からなくなったの。お腹すいてるのに、食べても全然満たされなくて、おかわりし過ぎて院長から折檻として強姦された」

初めて精液で食事をした日ね、ポツリと付け加えられた一言があまりにも惨過ぎて、許されない話に腸が煮えくり返りそうだった。俺が黙っていたからか、彼女はそのまま身の上話を続ける。淡々と感情を乗せないで続いていくストーリーの中の少女が、その時思ったことは何だったんだろう。

「仕組みが分かってからは、飢えたことなかったの。一回の食事で一月は余裕だったと思う。個人差はあるけど」「中卒で社会に出てしばらくして、淫魔の先輩に会ったの。その人は色んなことを知ってて、今もひっそり生きてる仲間達が集う場所を教えてくれた」「そこへ通うようになってから、自分が純粋な淫魔じゃないって知ったんだけど……何と混じってるのかまでは分からなかった。特に興味もなかったし」「人間じゃないもののネットワークって、何気に広くてね。情報を共有してるうちに、仕事としてやってみたらどうかってオーナーが提案してきて、情報屋になったの」

すらすらと軌跡をなぞっていた彼女は、そこで沈黙を挟んだ。

「……いつも、お腹がすいたらセックスをしてた。世間では性交渉でも、私にとっては食事だし、淫魔はよっぽど望まない限り妊娠しないから。フェラだけでも十分なんだけどね、あんまりそれだけで終わらないし。体格差とか国籍で味は変わらないの。関係あるのは内面だけで、美しい魂の人は甘過ぎて胃もたれした気分になる。黒すぎる人も、食あたりする。段々学んできて、ハズレは引かなくなった」

「それで、」震える声が、語り手の冷静さをなくしていく。

「……貴方に初めて会った時、凄く好きな香りがしたの。コロンとかパフュームじゃなくて、もっと根源的な匂い」「二回目に会った時、まだ私は空腹じゃなかったのに、我慢出来なかった。貴方の体液を味わいたくて、受け入れたくて、初めての気持ちに戸惑っているのに嬉しくてしょうがなくて」「…………幸せだったの。はじめて、あんなに、満たされた」

その時の気持ちをなぞるように微笑んだ彼女は、溢れる涙を気にすることなく俺に伝えてくれる。あの夜が、一度だけのあの繋がりが、生きてきた中で最上級だったこと。作業のようだった今までの食事がもう思い出せないくらい、幸福感に包まれたこと。愛おしいという気持ちを抱いてする性交渉が、どれほど良質なエネルギーとなって彼女を支えてくれたのかなど、丁寧に丁寧に教えてくれた。

「貴方に守ってもらってるみたいで、枯渇するまで他の人の体液を入れたくなかったの。あの夜を思い出せば空腹感は忘れられたし、三ヶ月も食事しなくて済んだことが嬉しくて」「混じりものが吸血鬼だって分かったのも貴方のお陰なのよ。手慰みに花を撫でていたら枯れてしまって、植物から生気を補充できることを知れたんだから」

水に濡れても明るかったその表情が、陰っていく。

「……報告に行ったお店でね、先輩が言ったの。いくら植物から栄養を摂っても、その場しのぎの微々たるものでしかないんだからって。人間から貰うのが嫌なら、仲間から分けてもらえって。私貰ったはずなのに、味がしなくて。ああこれは、人間のご飯が食べられなくなった時と同じだなって。でも貰ったことないエネルギーだったからかもなって、今まで貰ってきた人達にも会ったけど、補充は出来なかった」「今時純血の吸血鬼でも番は作らないのにって先輩は凄く怒ってくれたし、焦ってもくれたけど、私はもうこのまま朽ちるならそれでもいいやって思ったの。貴方にもう一度会えたところで、誘惑も魅了も殆ど出来ない私みたいな弱い淫魔が貴方と番える訳もないし、一生に一度の出逢いをしたんだっておもったら、十分幸せな生涯だなって感じた。…………なのに、」

笑おうとして失敗したようにくしゃりと歪んだ顔で、彼女は俺の目を見詰めた。

「もう二度と逢えないと思ってた人が、突然目の前に現れるんだもん。幻かと思った。貴方に見捨てられたら正真正銘終わりな私を、助けてくれようとするんだもん。夢かと思った。どうせ死ぬなら、どうせ現実じゃないなら、最期にもう一度幸せの味を感じたかったの。…………結果、意識もはっきりして、貴方に秘密を暴露する羽目になったわけだけど。嘘つきとかバケモノとか言われたら今度こそ死のうって覚悟したのに、詰問もしないで……信じてくれるし、」

心配まで、してくれて。
吐息のような声を奪うように口付けた。甘い唾液に混じって所々塩気が入るのが、不思議で笑った。

「僕がいないと貴女は生きられないんですね」
「はい」
「凄い殺し文句だ」

例えば俺が殉職したら、彼女も花が枯れるように死んでしまうのだろうか。それはこの出口の見えない日々の中で、たった一つの救いに思えた。

「絶対に裏切らない協力者として、そばにいますか?」

発言してから、何だか結婚式で誓いの言葉を求めている気分になった。彼女からしてみればもう選択肢はないも同然で、俺の近くにいれば危ないことも絶対増えるだろうに、最高のプロポーズを貰ったような表情をするのがいけない。俺を選ぶなんて、見る目があるんだかないんだか。

「ぜんぶ、貴方に捧げます」

ゆったりとした返事に、今後の方針を決めようと働いていた脳が停止した。ティーンでもあるまいに、純潔の乙女を前にした初夜を錯覚して、魅了も誘惑も出来ないと言った彼女を少しだけ疑った。

「では、遠慮なく」

先程は一方的にされるがままだったので、少々鬱憤が溜まっていた。俺は主導権を握りたい男で、恋人とは告げなかったものの気持ちを通わせた女性には尽くしたい性質なので。押し倒した先で、目を白黒させる彼女に笑う。百戦錬磨を思わせる淫魔という名のイキモノが、自分の行動一つで顔を赤らめるのが可愛かった。

「いただきます」
「……こっちのセリフです、」

伸ばされた指を絡めて、幸福の海に沈んだ。




+++

人外主が結構好きです。性癖詰め込んだ結果あむあむのあむあむを咥えているあたりがいつものパターン(?)
淫魔と吸血鬼のミックスなので体液から大体の人格とか分かる彼女はちゃんと降谷零を愛しているのですけど、表記としてバーボン夢にしておきます。楽しかった!

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