多重トリップ過去編


□初めはマのつく眞魔国!
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生まれも育ちも埼玉で、何にも変わらず日常を充実して忙しく過ごしていたから、私を取り巻く世界が色を変えていたことなんて全然気が付かなかった。寧ろいつの間にか隣のクラスに“渋谷有利”なる人が存在していた時は、把握していない間に転校生がやってきたのかとか色々考え、同姓同名を疑いこそすれまさか魔王さま本人なんて思うはずもなかったのだが。

「ごめん、ボール飛ばしちゃって……って日比野さんッ!?」

休日は、大好きな本を心行くまで読める図書館に行くことが多い。目的地までの道のりで河原を歩くのが通常コースであり、草野球をやっている人達がいることも勿論知っていたわけだけど、飛んできたボールを拾いに来た人に見覚えはなかった。いや、紙面では見覚えあるし、聞き覚えのある声では確かにあったのだけど。

「ええと……私のこと、知ってるの?」

まさかのそっくりさん説を頭の中で主張するという混乱具合の中でも、白球を拾い上げ渡そうとする私はなかなか健気ではないかと思う。自分で言うのもなんだけど。

「当たり前だろ! 入学式でも挨拶してたし、試験じゃいつもトップだし!」

意識は現実を離れて悶々としていたのに、彼の無邪気なまでの返答を聞いたら毒気を抜かれた気がした。生来学ぶことは大好きだから、学業もその他でも気を抜かないのが信条な私は、いらぬ誤解や嫉妬の目を向けられることも多々ある。けれど彼は瞳に何の他意も含まずに、事実を溌剌と告げるように笑顔をくれたので、言われた内容にも関わらず微かに笑みがこぼれてしまったのだ。未だによく分からない状況なのに変わりはないけど、日常が変わった訳でもなし、目の前の少年が好人物であることも全身からにじみ出ている。それ以上考えるのはやめて、とりあえずお礼の言葉を紡いだ。

「ありがとう、渋谷くん」
「あれ、名前」
「隣のクラスだもん、分かるよ」
「……そっか!」

にかっと嬉しそうに笑う眩しい彼が、私の知っている彼かは知らないけれど。(そして私が知っている彼ならば、野球を再開してるのもあって一度は眞魔国に行っているのだろうけれど)
背景も次元も関係なく、いつの間にか増えた同級生に、私も自然な笑顔を送った。



(詰まるところ、私に害が無ければ何でもよかったワケで、日常が壊れなければ問題なかったから気にしなかっただけなんだけど)



「これは……もう、日常の域を遥かに出てると思う」

ぺたりと張り付く布は気持ち悪いけど、最初から水に入るための服だったと思えば耐えられる気がした。母方の祖父母の家は神社なので、祭事の際には巫女として手伝いをするために身を清める。その最中、いきなり水の中で渦が発生し、抗うすべもなくどこぞの噴水に出てしまったのだ。訳分からんと言いたいが、渋谷くんと接触してるのもあるしゴシック調の大きな建物たちとか、水から〜ってのに心当たりがありすぎて堪らない。こないだ日常が壊れなきゃいーやって思ったばっかだった気がするんですけど?

「えッ!? なんで日比野さんがここに!? これ俺の夢?!」

バサバサー!という音と共に見覚えのある学生服に身を包んだ渋谷くんが、落とした書類らしきものもそっちのけで近付いてくる。後ろでそれを拾ってる兵士さんにも申し訳ないけど、彼の後ろにぴったりついてくる次男とか爽やか笑顔の裏で警戒してるんじゃないのかなあ、とか冷静な自分にちょっと笑いそうになった。

「渋谷くん……私も夢であることを希望したいけど、とりあえず気持ち悪いのでタオルか何かくれないかな?」

控えめに、だが切実に首を傾げた私に、渋谷くんは「ああ! そうだよね…!」と頷き、彼が口を開くより先に次男が兵士に何かを告げる。向こうも夏だったし、こちらもそんなに涼しくないのが救いだったと、噴水から出て髪の毛を搾ると、私の格好の全貌を見た渋谷くんが不思議そうな顔をする。

「日比野さん、その服って……」

普通に白装束で歩くことなんてまずないから、見慣れないのは当たり前だ。なんか濡れてるのもあってホラー色もあるよね。

「えっと……母方の祖父母宅が神社でね、祭事の時は巫女をやらせてもらってるんだ。禊のために水に入ってたから白装束なの」
「へー凄いな! 本格的ってやつだ!」

キラキラした笑顔をくれる渋谷くんには、状況を忘れて癒やしをくれる力があると思う。冷静装っててもこれからどうしようってかどうなるんだろ、って不安な気持ちはあったので間違いなく渋谷くんの存在に救われている。ホッとしたのもつかの間、耳に届く高めの柔らかい声は、渋谷くんと同じく聞き覚えのあるものだった。

「──あれ? 思ったよりも、早く着いちゃったんだね」
「村田!?」

ドキリ、としたのは彼と私に面識がないからではない。私の不自然さを認識している可能性のある人が初めて登場したからである。因みになぜ次男が入っていないかと言うと、さっきの兵士と交わしていた言葉が今私達が喋っている言語と違うことからして、多分彼には会話の内容が分からないから、だったのだが。

「初めまして。とは言っても、僕は全国統一模試で常にトップの少女の噂は耳にタコなくらい聞いていたけどね」

笑顔な割に、いきなり反応に困る話題選択である。どう答えていいか分からず苦笑するしかない私に、村田くんは気軽に手を振った。

「まあでも、そんなこと此処ではあまり関係ないからね。村田健です、渋谷とは同中なんだ」
「……ご丁寧に、どうも。渋谷くんの隣のクラスに所属してます、日比野蛍と申します」

差し出されたタオルを受け取って、手を拭いてから握手に応える。彼の笑顔は渋谷くんとは違って真意が読めない。多分私と似たタイプなんだとは思うけど。

「ふふ、変わってないんだね。そうやって、どんな状況になっても読ませない笑顔で冷静に柔軟に対応して、色んなことを考えながら情報を得ようとする」
「…………え?」

村田くんの言葉に、何だか親しみのようなものを感じて首を傾げる。繋いだままの手をサラリと撫でられた後で、村田くんが素早く私の耳元に唇を寄せた。

「君は、いつも稀有な運命を持っているね。辛い時も、孤独を感じる時もあるだろうけど──君には、笑っていて欲しいな」

あまりに温かい眼差しをして、あまりに優しく彼が言うものだから、囁きのような台詞はいつまでも心に残った。不思議で、不思議で、何一つ分からなかったけれど。



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