中編・短編


□運命の出逢いとは
1ページ/1ページ



 トリップしました、と突然言われたとして、一体何人が受け入れ、同調し、その世界に溶け込めるというのだろう。
 少なくとも私は、いつまで経っても傍観者で、多分この世界で終わりを迎えるまで、ずっと傍観者であり続けるのだと思っていた。



 ある晴れた日のこと、成人済みでとっくに仕事もしていた私は、中学校に入学することになった。
 一貫性の無いように思える矛盾したこの言葉たちに、しかし嘘偽り等ありはしなかった。夢物語の中だけだと思っていた“異世界トリップ”なるものを、どうやら私は身をもって体験することになってしまったらしい。
 最初は驚きこそすれ、とびぬけた特徴も自慢できるような特技も無い私が異世界に飛び込んだって、何がどう変わる訳もなく。元々が現実に近いミステリー漫画が舞台、精々背景に一人増えたくらいであろうという認識のまま、日々を過ごすこと数週間。
 今日も私はそうやって、世界の中心を見守ることに勤しんでいた。

「(工藤くん、中学時代はこういう顔をしてたのね)」

 始まりから小学生になってしまうという不運な主人公くんも、今はすくすくと成長している真っ最中。どういうわけかクラスメイトの称号を頂いている訳だけれども、明るく目立って人気もあるような工藤くんと、地味に生きることを目標にひっそりと過ごす私に接点などあるはずもなく。入学式から今まで、思い返してみても話したことは精々業務連絡的な二言三言だけである。異世界トリップ万歳、とキャラに絡める勇気もやる気もない私にとっては、まあ有難いことではあるのだけれど。

「(おっと、危ない)」

 見詰め過ぎていた視線を感じたのか、工藤くんがちらりと振り返りそうになったのでそれとなく視線をずらしておく。平和な日常の映る窓、今現在は目前で殺人事件が多発したりもしていない。人が目の前で命を落としている様を見たいとも思わないし、工藤くんと親しくなりたいとも思っていない私が、それでも彼を見詰めてしまうのには理由があった。そもそもいざって時に思慮が足りなく、危機に陥ってしまうような、漫画としてはアリだが私にとって苦手部類の主人公像を持つミステリー漫画を好きになったきっかけ、とは。

「(……やっぱ似てるんだろうな、親子って)」

 あまり気にされたくないので視線を向けられなくなった先の主人公くんによく似た、けれど格段に落ち着いて格好良い雰囲気を醸し出す彼の父親──工藤優作について、思いを馳せる。
 いつだって工藤くんの上を行く、越えたいけれど越えられない、尊敬すべき父親。世界的に有名な小説家で、でもそんな名声がなくても絶対たる存在感・格段な安心感を放つ魅力的なキャラクター。
 私の父は、尊敬も出来なければ父と呼ぶことだってしたくない程の酒乱で、暴力魔で、清貧やら紳士やらとはまるっきりかけ離れた男だったからこそ、憧れるのは簡単で。
 ……ここでは私に両親はいない。家に帰れば殴る蹴るしかしなかった父親も、泣いてばかりで、けれど最終的に私を見捨ててしたたかに外へ逃げて自らの身を守った母親も、わずらわしいものは何もなかった。

「(優作さん、優作さんかあ)」

 簡単過ぎてつまらない授業をBGMに、ノートに優作さんのイラストを書いてみる。もう髭はあるのだろうか、少しおちゃめな様子も、身綺麗な様も、漫画の通りなのだろうか。
 近付くことすらできないししたくないけれど、私の中の素敵な父親像ナンバーワンである彼のことを考えることで、この哀しくも平凡な世界に少しの色を注した。









「(今日は何にしようかな……昨日のサラダがまだ残ってるから、それに合わせてパスタでも茹でようかな)」

 一人暮らしだからなんでも自分でやらなければならない状況であるが、元々一人で生きてける生活力は身に付いていたと自負しているし、むしろ一人の方が格段に平和な生活が出来ていた。
 かつて時間潰しのために図書館やら児童館やらに逃げ込んでいた放課後も、今では好きに使うことが出来る。読んでいない本を探すほうが大変だった日々も懐かしい思い出だ。
 家に帰るのが嫌でない日常に心弾みながら、今晩のメニューを考えのんびりと歩いていた帰路の曲がり角、私は突然何かとぶつかった。

「っ……!」

 考え事をしていたため、対応が遅れてしまう。反動でそのまま後ろに倒れ込むかと思ったけれど、どうやらそのぶつかった相手が支えてくれたらしく、地面と仲良しこよしな事態には陥らなかったようである。
 慌ててお礼を言おうと顔を上げた先に居たのは、ロングコートに帽子、マスクにサングラスと、この上なくあやしい風貌をした男だった。物凄くデフォルトな不審者像に、一瞬固まる。

「すまないね、急いでいたものだから……怪我はないかい?」

 しかしそんな男から紡ぎだされたのは、見た目に似合わない丁寧な言の葉たち。
 日常的に耳慣れたものではないのに(何せ中学生の口調に囲まれて生活しているのだ)するりと思考に入って来る。男の声が柔らかくて良いせいだろうか。

「あ、はい、大丈夫です。私も考え事をしていたので……あの、ありがとうございました」

 支えてもらっていたのは腕と腰で、抱きとめられる一歩手前な状態だった。中学時代の自分は大人達から見て特に小さいと云う訳でもなかったが、体重的には軽いので飛びそうになるのも頷ける。冷静に分析しつつ、いつまでもこの体勢では相手に迷惑がかかってしまうだろうと離れる。風貌はかなりヘンな男だが、対応もちゃんとしているし中身まで可笑しいわけではなさそうだ。

「いや、礼には及ばないよ。……しかし、弱ったな。このままでは見つかってしまう」

 じっと見詰めたその先で、男はぽつりと小さく呟きながら考えるようにあたりを見回した。おそらく特に聞かせるつもりの無かっただろう男の独り言は非日常の匂いが仄かにしたが、私はどうやら真面目に背景に居ることにも少々飽いたらしい。ほんのり覗かせた好奇心が、普段なら絶対に開かない口を緩ませた。

「……もしかして、何かから逃げてるんですか?」
「え? ああ、聞こえてしまったか……そう、実はつけられていてね、撒いている最中なんだ」
「じゃあ、こっち」

 戸惑うような気配を後ろに、私はまず商店街の裏通りに入って薄暗い路地を縦横無尽に走り回る。短く細かい道を幾つも曲がれば、普段歩き慣れていない人ならすぐに位置感覚が分からなくなって戸惑うだろう。次に素早く大通りに出て、何食わぬ顔でゲームセンター奥のプリクラに飛び込んだ。
 半個室で外からは足しか見られないここは、後ろにある台に乗ってしまえば完全に死角となる。その台に男を乗せて、私は画面横にある鏡でさりげなく外の様子を確認する。
 逃げている方も逃げている方なら、追っているものも追っているものらしく凄くあやしい“ストーカー”ルックの人間だ。わざとらしいその格好に、なぜだかツッコミよりも先に尊敬が浮かんだ。そこまで本気でやるのが凄い。
しばらくうろうろと頼りなさげに辺りを見回していたその影は、やがて諦めた様にとぼとぼと元来た道を引き返して行った。

「…………多分もう、大丈夫だと思うんですけど……あ、追手って一人でよかったですか?」

 暫く興味深げに此方を伺っていたその人は、話を振られて少し驚いたようにしてから、頷いた。

「そう、しかし凄いね。あの人の執着から逃げられる人間はそうそういないんだ」
「……、私も追われることには慣れていたので」

 思わず間を開けてから、自嘲の気持ちを隠すように苦笑した。庇ってはくれない母は当てにならないと、何処までも追ってくる父から逃げていた日々はそんなに軽いものではなかった。もう何処にいてもすっかり逃走ルートを確認するような癖がついているのだ。

「とても助かったよ、優しいお嬢さん。助けてもらっておいてなんだが、どうして手を貸してくれたんだい?あやしい風貌の男に、女子中学生はもっと警戒するべきだとも思うが」

 全然あやしさなんて感じさせないようなさわやかな声で、その人は柔らかく尋ねる。自分の見た目に誤解される要素が満々なのを理解した上で、その恐怖を抱かせない様に此方を気遣っている感じがして少し可笑しい。
 くすり、と自然に洩れた笑いをそのままに、私は彼の疑問にこたえるために口を開く。

「最初は、香りでした」
「香り?」
「はい、何杯もの珈琲の香りと、沢山の古書に囲まれているような、独特の本の香り」

 曲がり角でぶつかり、転ばない様に支えてもらった時に香ってきたその匂いは、安心するようなもので……イメージとして勤勉さを表しこそすれ、不審者を表すようなものではなかった。
 本はかつて私の唯一の逃げ場所であり、理解者であり、居場所だった。彼らの中にいるときは、現実のことを考えなくてよかった。実体験では得られない色々な事までも教えてくれた、私の恩人たち。

「私……本が好きなので、本に囲まれながら何杯も珈琲を飲んでお仕事されているだろう、って方を悪い人だとは思いたくなかったんです」

 本当はもう一つ、彼の声が凄く安心するような柔らかな声で、もっと聞いていたいというちっぽけな理由があったけれど、流石にそれは呑み込んでおいた。
 そんなことを言ってしまったら、今度は私が不審者になってしまう気がする。

「ほう、君は随分と洞察力に優れているんだね」
「いえ、そんなことは。……最後は勘みたいなものですし」

 今日はたまたま面倒なことに巻き込まれてもいいかなと思う日だった、という気分的な問題でもあるし、そんなに褒められたものではない。
 楽しそうに笑う雰囲気を醸し出す彼の瞳の奥を直接見ることは出来ないが、代わり映えのしない日常に不可思議な時間が混ざって刺激になった。誰かを連れて逃げるのも、追われているのに必死じゃなかったのも新鮮だったから。
 後はまた、私に似合いの平凡な日常に戻るのみだ。

「では、私はこれで。道中お気をつけて」

 そう言って踵を返そうとした腕を、やんわりと掴まれた。先程とは違い衝撃の後ではない感触は、静かに私の行動を止める。

「──、あの?」
「ああ、いや……えっと、そのだね。よければ、お礼をさせてくれないかな?」
「お礼、ですか? でも私、そんな大層なことをした訳ではないですし」
「そう、その君の、失礼ながら年齢にそぐわないような落ち着いた物腰が、気になってね」

 ゆるやかに紡がれる言葉に首を傾げると、彼は少々迷ってから口を開いた。

「実は私は小説家なんだが……少々ネタに詰まっていてね。君のような聡明な女子中学生といたら、何か突破口が開ける気がして」
「はあ、」
「加えて君はどうやら帝丹中学校、恥ずかしながら愚息と同じと云う縁もある」
「そうなんですか。……って、え?」
「良ければ少々、おじさんとお茶したりお話ししたりしないかな?」
「……失礼ですが、あの、貴方もしかして──」

 帝丹中に息子がいて、小説家で、バリバリ目立つような変装で追いかけっこをくり返す夫婦の追われる方を、私は一人しか知らない。
 案の定彼はああ、と今変装を解いていないのに気付いたようなリアクションをしてから、その女性を虜にする甘い容貌を惜しげもなく私に曝した。

「自己紹介が遅れましたね……私は工藤優作、しがない小説家ですよ」









***

これは優作さん夢と言っていいほどの展開をたどりつつ新一夢になる予定のお話です。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ