散る前に。私のこの手で咲いておくれ・・・

□贈りもの・上
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妖怪が本領を発揮する時間帯だというのに、薬鴆堂に急患が駆け込むこともない。
雨がしとしとと降る、静かな夜だった。

薬師には昼も夜も関係ない。怪我や病気の者があれば、どんな時間であれ、必要とされる。
体力のない鴆は、番頭に促され、睡眠を確保しようと床についた。
9月も後半、この雨を境に秋らしい気候になるらしい。
外の涼しさから冷房を控えたものの、夜風も通らぬ閉めきった室内はどうも寝苦しい。
浅い眠りから覚め、何度か寝返りを打った後、鴆は熱の籠った部屋を出た。
数日前までは、残暑に参っていたはずなのに、それが嘘のように肌寒い。
火照っていた肌が、冷えてゆくのを感じる。
贅沢なもので、蝉が盛んに鳴き陽の光が肌を刺す夏の間は、早く秋になればいいと思っていたのに。
秋が近くなるのを暦でなく、身体で感じれば、夏が恋しく思えてくる。
それは夏休み中、まるで昔に戻ったように、ずっとリクオと一緒だったからかもしれない。
長期休みが明け、学校に戻ってしまったリクオの。人間の生活も尊重してやりたいと思う。
人間であり、妖怪でもある。人間を愛し、妖怪も愛す、それがリクオだから。
この状況を、受け入れなければいけないのに。
こう、思ってしまってはいけないのに。
リクオを独占することに慣れてしまって、リクオのいない今、侘しいと・・・
恋しいのは夏ではなく・・・リクオ、なのかもしれない。

耳に届くのは雨音だけ。こんな日は虫すら鳴かぬ。静かな夜だ。
鴆は雨音に混じる、歩幅の小さい足音が近づくのに気付いた。
随分と物思いに沈んでいたのか、指先の体温が冷えた空気に奪われている。
「矢張り、眠れないのですか?」
そう言って鴆の前に立つのは、蛙の番頭だ。
廊下に佇んで、身体が冷えたなど。番頭に知れたら大騒ぎになる。
「ああ・・・?まぁ。そんなとこだ」
番頭は心配が過ぎて、口煩い。
鴆は決して、番頭を蔑ろにしているつもりはないのだが、やかましいのは好きではないし。
それに、自分の身体は薬師である自分が一番よく分かっている。
さて、この場をどう逃れようかと。鴆は番頭を見下ろした。
「食は細り、眠れぬ。まるで病のようではないですか。
 まったく・・・患いというものは・・・」
「オレは元から、そんなに食わねぇよ。眠れねぇのも、暑かったからだろうが。
 どこも患っちゃいねぇ」
「ご自分でお気づきになりませんか?
 今月にはいって、食べ物は喉を通らず、床についても眠れないのでしょう。
 恋煩いなど、ろくなものではない」
「っ!!」

肯定も否定もしないことを、番頭はどう思ったのか。
物音ひとつしない屋敷を、しとしと、しとしと。囁き声にも似た、密やかな雨音が支配する。

「リクオ様にお会いできず・・・
 リクオ様を恋うているのでございましょう?」

沈黙を破る番頭の声が、雨音を消すように空気を、鴆の鼓膜を震わせた。
息を呑んだ鴆の肺に、雨の匂いが満ちる。
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