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□闇を喰らって分かつまで
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静寂がひっそり息づく、そんな夜更け頃。
目を閉じ、外界の音に耳を傾けてみたところで何も聞こえやしない。普段睡眠の妨げでしかない霧骨のいびきさえ、今日に限って聞こえてはこないのだ。
聴覚が駄目なら視覚を満たし、気を紛らわせよう。そんな思いで星輝く満天の空を仰いでみる。心なしか気分が楽になった気がした。
ああ、今晩が雲一つない晴天で本当によかった。





闇を喰らって分かつまで





自室前の縁側に腰を落ち着け、一人ぼんやりと時を過ごす。これが現在の状況。時刻は恐らく丑の刻限。
別に好き好んでこんな刻限に起きている訳ではない。本当は一刻も早く眠りに就きたいと思っているのだ。その証拠に右手には睡眠を促すための飲み物で満たされた盃が。
しかし、いざ飲もうと盃を寄せれば水面に映った己の顔が否応なく視界に飛び込んできて――、


「ひっでぇ顔」


目を背ける他なかった。
鮮やかな朱色の器の中でたぷんと揺れる水面に映るのは傭兵を束ねる首領としてあるまじき表情。こんな情けない顔、仲間には見せられない。それにあいつにも……、


『…蛮骨なの?』

「…っ、…!」


噂をすれば…ではないけれども、ある女の顔を脳内に浮かべた刹那、その声が聞こえたものだから思わず息を呑む。反射的に声の方へと顔を向ければ廊下の突き当たり、左側の柱から声の主がひょっこり不安げな顔を覗かせた。


「名無し」

『よかった。盗っ人だったらどうしようかと…』

「わり、驚かせたな」

『ううん。それよりどうしたの?眠れない?』

「まぁ、そんなとこだ」


何とか平常を装いつつそっけない言葉を返せば、ちょこんと隣に腰を下ろして悪戯な笑みを浮かべてくる。


『もしかして怖い夢でも見た?』

「……」


普段なら間髪入れず言い返してみせるのに、今に限ってはそれもできない。何故ならるるの言葉は完全に的を得ていたからだ。

丑の刻限、眠りにつけずこうしてただ一人静寂の夜を過ごすのはある夢のせい。理由なき殺戮を繰り返す“夢”。否、これは正夢か。何にせよ現実であることには違いない。
周期的に見るこの夢は俺を底無しの罪悪感へと誘い込む。そして目覚めれば途端に自分という存在が恐ろしく思えてくるのだ。蛮竜を強くするためひたすら殺戮を繰り返し、血に濡れながら楽しいと笑ってみせる、そんな己が――。
何だか笑えてくる。こんな外道でも一応は人の血が通っているらしい。




『ふふ、蛮骨って本当に嘘がつけないよね』


結局、何も言い返せないまま難しい顔を続ける俺の隣で名無しはそう言って笑っていた。



『そうだ、子守唄歌ってあげようか?』

「…うるせーよ」




なぁ、名無し。
俺といて幸せか?

その一言がどうしても口に出せない。
俺は所詮人殺しを生業とする外道。一方名無しは汚れを知らない純粋無垢な町娘。釣り合いが取れていないのは一目瞭然だろう。こんな俺と共に生きて名無しが幸せになれるかと尋ねられれば、きっと自信を持って頷けない。俺が傍にいれば、名無しはきっと後ろ指をさされながら生きることになるだろう。


俺は名無しが好きだ。
何よりも大切な存在で。それは今もこれからも、ずっと変わらない。

だからこそ、名無しが悲しむようなことはしたくない。
だからこそ、何度も別れを決意した。でも、


『蛮骨、肩借りていい?』

「ん、ああ」


こうやって甘えられてしまえば、固い決意も一瞬にして揺らいでしまう。
少しだけ、あともう少しだけこのままで――と。



『ねぇ、蛮骨』

「…ん」

『私ずっとここに居てもいいんだよね?』

「……、え…」

『私もね、時々怖い夢を見るの。蛮骨が暗闇の中一人で苦しんでるのに私、何もできなくて』

「……」

『気付いたら、蛮骨いなくなってた。私の前からいなくなってたの』


語尾に向かうにつれて震える声。最後には涙に負けて嗚咽を漏らすのみとなってしまった。
るるが泣いている。不安を取り除いてあげなければ。それともここで別れを告げてしまおうか、なんて。
頭の中で選択肢を幾つか並べてみても選ぶものは決まっていたりする。


「泣くな、名無し」


そう。結局は別れを告げることなく、優しく諭すだけで事を終える。
るるのこととなると自分に甘くなる、この性分はどうにかならぬものか。ほとほと呆れ、漏れる溜息。
だがそんな時、今まで俺の肩に乗っていた彼女の頭が離れ、涙に濡れた瞳がこちらを見据えた。どこか不安、しかし芯を持つ強い瞳。不覚にも圧倒される。
だから、油断したのだ。


「……っ!」


突如彼女の細い腕が首に回り込んだかと思えば、あっという間に抱き込まれる。普段の名無しからは全くもって予想つかない行動。一瞬呼吸さえ忘れる。尚且つ次に彼女が紡いだ言葉には心底驚かされた。


『正夢になんかさせない。
私、ずっと傍にいるから。だから、少しずつでいいから蛮骨の心の奥にある闇を半分私に分けて?』


……、何てことだ。
立場上、悪夢に苛われようが不安を覚えようが必死で隠し通してきたつもりでいた。なのに名無しには全て見通されていたのか。


「…俺の傍にいる限りきっとお前は幸せになれねぇ。それでもいいってのか?」

『もう、そこは蛮骨が意地でも幸せにしてくれないと…!』

「……」

『……じゃあ私が幸せになるために、一つだけお願いを聞いてもらえる?』


名無しが幸せになるために。
何か方法があるというのなら、迷わずその願いを聞き入れよう。
ごくりと生唾を呑んで体を硬直させ、彼女の口から紡がれる願いを待ち望む。そんな俺の両頬を名無しは手でそっと包みあげ、額を合わせた。まるで大丈夫だから、と優しく宥められているようだった。


そして――、遂にるるは願いを囁くように口にする。



『ずっと、私の傍にいて』



その言葉はまじないだろうか。思わずそう考えてしまう程に、それは俺の心中で確かな変化をもたらしたのだ。


「……、っ…」


答えは勿論決まっている。なのに、言葉は上手く返せずに。

だから、せめてものと。
答える代わりに彼女の体を強く、強く抱きしめた。





fin.
 

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