蟲師捏造話 1

□蔵の中(P2)
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 その日の朝立つと言っていたギンコが、行く先の山の端にかかる薄絹のような雲を見やって小さく舌打ちしたのを見て、化野(あだしの)は、勇んで、ギンコの見つめる先と思われる辺りを眺めやったのだった。
「蟲(むし)か?」
「ああ。羽衣がいるな」
「はごろも?」
 首を傾げて、化野は問うた。
「というと、あの『天女の羽衣』の『羽衣』か?」
 ギンコは、頷いて、
「ああ。あの辺に、薄紫色の霞(かすみ)のようなものが見えるだろう。あれが、その蟲だ。ナガレモノの一種で、普段は雲みたいに空を流れてるんだが、時々ああやって、山にひっかかっていることがある。知らずにその中を歩いている時に、ひょいとそのひっかかりが解けると、こいつと一緒に空を移動してどこかへ連れて行かれてしまうんだ。神隠し、と呼ばれているものの中には、こいつが原因のものもあるんだろうな。厄介なのは何処だか分からねえ所へ運ばれちまうことくらいで、中にいる分にゃ、そんな高いところを飛んでいても凍えることもねえし、何故だか腹も減らねえんだが、運ばれた先や季節によっては───例えば、万年雪が残ってあるような山の上なんかでうっかりそいつから降りちまうと、死ぬ目に会うって話だ」
「ほぉー 」
(大したことはないってのは『話』なんじゃあなくて、実際、大したことはなかった訳だ)
「・・・お前、乗ったことがあるんだな?」
 化野の声音が低くなる。が、ギンコは、淡々と言ってのけた。
「ん? まあ・・・一度くらいは、な」
 思わず、化野は目を剥いた。
「おい。その時ゃどこに───!」
「あー・・・ 」
 ギンコは、急いで話の方向を変えた。
「それより、この町にも羽衣の言い伝えがあるのか。ここの『羽衣伝説』はまだ聞いたことがないな。どんな話だ? 同じ読みの名前のものは、その蟲の性質を表していることも多いんだ。もし、知ってるなら聞かせて貰えるか?」
 言いたくないのか、単に言わないだけか───いや、仕事で関わった蟲なのだったら、依頼者の秘密に関わる為に言えないこともあるのかも知れなかった。
 化野は、話をそらされてやることにした。
「ああ、かまわんよ。浜で、漁師が、綺麗な薄絹のような衣を拾うんだ。喜んで、家へ持って帰ると、落し主の天女がやって来て、『返して欲しい』と言う。が、漁師は、それを売って母親の病気を治してやろうと思っていたので、なかなかうんと言わない。事情を知った天女は、『羽衣を返してくれたら、天に帰る時に舞いを舞って見せてやる。その舞いを見れば、病気などたちどころに治ってしまうだろう』と言ったんだ。漁師は天女を信じて、羽衣を返してやった。天女は約束通り、舞いを舞いながら天に帰って行き、その時に羽衣から漂い流れ出た薄紫色の霞のようなものを眺めていたら、漁師の母親の病気はすっかり治ってしまったんだとさ。おしまい」
 と、化野はそう締めくくった。
 ふっ、とギンコはわらった。
「いい話だな」
「ん? よそのはそうじゃないのか?」
「ああ。中には凄まじいのもあった」
 と、自らの調べた蟲の生態や、同じ名を持つ物語や言い伝えを綴った巻物を取り出しながら、ギンコは呟いた。
「ここの言い伝えにも、見ていると病気が治る、っていうのが出てくるんだな。しかし、実際に何かの病気が治ったという話は聞いた事がねえな。こんなに各地に同じような昔語りが残っているくらいだから、どこかしらに、そんな話が残っていてもおかしくねえような気もするんだが。この辺にゃ、そういう話はねえか?」
「無いな」
 と、化野は即答した。自分も、ギンコの隣に屈んで巻物を紐解くのを覗きこみながら、
「雲や霞を見ていたら病気が治りましたなんて話、聞いたことはないぞ」
 我が声ながら、苦虫を噛み潰したような口調だ。
「そうか」
 目線だけチラリとこちらへ上げて、ギンコはほほえんだ。口角が僅かに上がって、また元に戻る。何を目印にしているのか、すぐに『羽衣』の記述を探し当てて、ギンコは、巻物のその部分を延べ広げた。広げられた箇所には、きれいな彩色の施されたどこかの山間の風景が描かれ、それに箇条書きのような細かい文字列から成る記述が続いていた。
 この絵の風景のような所なら、天女が舞い降りて来ても不思議は無いような気がした。病が治る、とまではいかないまでも、心洗われるような───身も心も軽くなるような気分にはなれそうな気がした。
「こういう霞の中で暮らしているからなのかね? 天女がいつまでも若く美しい、というのは」
「あ?」
 巻物に書き込みをしていたギンコは、思わず目がテン、といった表情を浮かべて、顔を振り向けた。
「若くて美人? 何だ、いきなり?」
 化野と、その目線の先を見比べる。
「・・・ああ」
 得心した声で、ギンコは呟いた。
「『天女の羽衣』だったな」
 が、絵をほめられたことには気づかず、ギンコは、また、巻物に目線を戻した。続きを書きこみながら、
「ふーん。みんな若くて美しいのかね、天女ってのは?」
「俺にきくなよ。いや、不美人で年寄りの天女の話は、俺は聞いたことがないんでな。本当に、老いも知らず、病も知らずの不死身の生き物なのか、それとも、ただ命を永らえているだけで、実は厚化粧の婆さんの天女もいるのか、と思ってな」
「厚化粧の天女・・・」
「まあ、天女が熟女だろうがかまわんが、そんな力があるものなら、せっせと舞い踊っていてほしいものだぜ」
「おいおい」
「実際には、天女も、他の医者もこの辺にはおらんし、俺が何とかするしかないんだがな」
 あっさりと、そう締めくくると、化野は、巻物から目線を上げた。遙かな山の端(は)にかかる薄紫色の霞のような蟲を眺めやる。
 憧れるように、化野はつぶやいた。
「・・・旅に出たい、と思うことがある」
「お前、羽衣に運ばれて行ってみたいのか?」
 ギンコは、たずねた。にっと笑って、
「蟲は、俺らの都合に合わせて動いてくれる訳じゃねえからな。医家の先生向きじゃねえと思うぞ」
「ああ、そんな意味で言ったんじゃない」
 化野は、目を伏せた。ギンコも、目を伏せ、蟲煙草を取り出して口にくわえながら、
「・・・旅の暮らしもいいことばかりではないぜ」
「だろうな」
 化野は、頷いて、
「何にでも、一長ありゃ一短もある。だが、そうだな、俺は、お前と旅がしてみたい。俺が夢みたいに憧れているのは、ギンコ、お前という生き方なんだと思う」
「・・・俺という生き方?」
 おうむ返しにたずねて、ギンコは笑い出した。
「何だ、そりゃ?」
「それ、そのトランク」
 と、化野は、部屋の片隅に寄せられたギンコの背負い紐のついた木箱を指して、言った。
「その中に、お前がそうやって生きていくのに必要不可欠なものがすべて入っている。荷物は、極力増やさないだろう? 重過ぎては、旅をするのが辛くなるからな。俺には出来ん。お前のような生き方は。俺は、欲しいものがあり過ぎる。ただ、生きていく為になら、さして必要じゃないものも、欲しくて、手に入れて、ためこんじまう。・・・俺には出来ん」
 夢、だな。
 と、改めて、心の中で化野は思った。
 そんな生き方は、俺の手には入らない。こいつも───
 蔵の中にしまっておけたら、と常々思っていた。母屋の座敷でもいい。この、異形の碧の瞳や色のない髪や薄い肌の色を、飽かず眺めていたいと思うことがあった。が、そうではなかったのか。ギンコを美しいと感じるのは・・・この、おのれとは対極の生き方だ。ただ生きていくのに必要不可欠なもの以外は、清々しいほどに何も持たず、欲しがらない、この男の生き方だ。この男を飽かず眺めていたいと、化野に思わせるのは。
(だが、生き方ではなあ、蔵にしまっておけるものではないしな)
 見蕩れるように見つめる化野の視線を受けて、困ったように、ギンコは、ぼりぼりとうなじを掻いた。が、すぐに、また軽い調子で笑って、
「・・・まあ、いいじゃねえか。そうやって、お前が何処へも行っちまわずここに居てくれるから、この町の連中も安心していられるんだし。珍品好きの化野先生という、お前の生き方のおかげで、俺の生活も潤っている。世の中、持ちつもたれつだ。色んな奴が居てちょうどいいんじゃねえか?」
 そう言って、営業用笑顔とでもいった表情を浮かべて、愛想よく笑って見せる。思わず、化野も笑ってしまった。
「ははは、そうか。俺という生き方は、お前の役に立っているのか」
 が、───
(それでも)
と、化野は思った。
(お前も、この家のどこかにしまっておきたい、と思うことがあるよ、ギンコ。蔵の中とは言わない。ただ、どこか俺の目の届くところへ。なんで、俺という男はこうなのだろうな。もしも、そう・・・しちまったら、お前は、どうなってしまうんだろう? 蟲と一緒に澱んでしまうのか? 俺の憧れる美しい生き方をお前は失くしてしまうのだろうか)
「なあ、ギンコ。俺が爺いになって、ここの町医者を隠居出来たら、一度、俺もお前の旅に連れていっちゃあくれまいか?」
 一瞬、目を見ひらいて───ギンコはにやりと笑った。
「そいつは、路銀はお前持ち、ってことだな?」
「ああ。かまわんよ」
 鷹揚にそうこたえると、ギンコは、また、人好きのするような笑顔を作って見せた。
「そいつは豪勢だな。長生きしてくれよ、化野先生」
「お前もな」
 不意に、素の表情を垣間見せて、ギンコは言った。
「ああ。それまで俺が生き延びられてたら、だな」
 時には死を賭す修羅場をもくぐり抜けて来た者の、凪(なぎ)のように静かで豪胆な微笑。
 言われて───胸が苦しくなった。
 戯れ言(ざれごと)めいた言い方はしているが、これがギンコの誠実なこたえだ。まだまだ分かっていることの方が少ないという『蟲』相手の仕事などしていれば。
 けれど───
(そんな口ばかりきいているなら、本当に、蔵の中に閉じ込めてしまうぞ、ギンコ!)
 時々、夢に見る。お前が、2度とここへは来られなくなる夢。そして、俺は、何も知らずに、ただ、ただ、お前を待ちつづけている夢。時が過ぎてから、ようやく、俺は知るんだ。他の蟲師か誰かの噂話で。もう2度と、お前が来ないということを。
 そうだ。そんな知らせは、俺には、すぐには来ない。
 お前には、俺は『不可欠』じゃない。
 俺には、お前が───
「おいおい、そこで黙るなよ」
 ふざけた口調で、ギンコが言う。半ば独り言のように、化野は呟いた。
「いつか、どうしても欲しい!ってものが出来た時のお前が見てみたいよ」
「お、何だ、藪から棒に?」
「欲しくて、欲しくて、どうしても手に入れたくてたまらなくなって、手に入れたら最後、もう2度と決して手放すことなど出来ない!と思えるような、そんなものが出来た時のお前が見てみたい。そしたら、お前はどうするんだろうな」
「・・・そいつは、ゾッとしねえな」
 目を見開いて、ギンコは、少しひきつった笑いを浮かべた。が、それは、ふわり、とやわらかな笑みに変わって、
「でも、そんなもんが手に入れられたらいいよな。それさえ持って歩けば、俺はいつも幸せで、他には何もいらねえってくらい身軽になれるような気がする」
「おいおい、これ以上軽くなってどうする気だ?」
 思わず、化野は叫んだ。
「お前、今でも重いのか?」
「俺にだって、色々つきあいもありゃ、シガラミもある」
 と、ギンコは言った。
「そんな宝物なんか、持っては歩けねえさ」
「おい、そんな宝物があるのか、本当に? 何だそれは? 教えろよ」
「教えねえ」
「何だよ? ケチケチすんなよ」
「なんで、お前に教えなかったくらいで、俺がケチなんだよ」
「ケチだからケチだと言っているんだ。そんなお宝の話、隠すことはねえだろう。蟲師と客の間で」
「お宝って、骨董品や何かじゃあるまいし・・・大体、いつからお宝の話になったんだよ。意味わかんねえぞ、化野先生」

「だから、何なんだ?」
 心なしか、不機嫌そうに
変わったギンコの表情に気づいて、化野も、鳴り止んだ。しばし、沈黙が続いた後、化野は、しんみりとした気持ちで、呟いた。
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