蟲師捏造話 1

□夢の通い路(P1)
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夢の通い路

 その日、化野は、結局、ギンコの言い値ですべて買い上げてはくれたものの、妙に気のない風情で、その“蟲”ゆかりの品々を部屋の片隅に押しやったのだった。
 遅い夕食の後、二人、酒を酌み交わす。
 酒など飲んで大丈夫なのか、と思わず訊いてしまうような顔をしていたのだったが、今日はたぶん大丈夫だろうから、飲ませろ、と言われてしまった。
「医家の不養生って言うが、本当だな」
 と言って、ギンコはため息をついた。化野は、苦笑しながら、
「いや・・・ちょっと、このところ夢見が悪くてな。何が元かは分かっているから、かまわんのだ」
「誰か、悪い患者がいるのか?」
「いや。そういうことではないんだが・・・」
 にっこりと、言葉を濁されてしまう。
「気づまりなことがあるなら、吐いちまえよ」
 ギンコは言った。
「俺なら、この町の人間じゃねえからな。他じゃ言えねえことでもかまわねえだろう」
「ははは。まあ、何にしろ、お前が来てくれて嬉しいよ」
 まあ、飲めよ。
 と、化野は銚子を上げた。上物の冷酒を勧められて、ギンコも杯を上げる。
「夢を現世に伝染させる蟲、なんているのか、本当に?」
 飲みながら、しばし黙りこくっていた化野が、不意にそんなことを言い出したので、ギンコは、どきりとした。
「ああ。いるぞ。夢野間という蟲だ。そいつが、どうかしたのか?」
「いや、どうもしないさ。ただ、話を聞いただけだ」
 ほっとしながら、ギンコはたずねた。
「どんな話だ?」
「そんな蟲を、わざわざ見つけに行ってとり憑かれた男の話だ。いや、憑けた、というべきだろうな。その男の言う“世間”とやらに復讐する為にな。そんなこととは何も知らずに、その男の住む町の連中は皆、その男が夢に見た通りに次々と恐ろしい病におかされていった。
 ところが、ある日、その男は、とある蟲師に文を寄こした。この蟲は完全に絶つことは出来ないのだそうだな? が、それを承知でその力を手に入れた筈だったのに、好きな女が出来た男は、にわかに、恐ろしくなってしまったのさ。好きな女の夢を見ることが。その男は眠れなく・・・いや、眠らなくなった」
「しかし、そいつは、無理だろう。そりゃ、何日かくらいなら出来るかも知れんが」
「ああ。とうとう、ある日うたた寝をしてしまって、男は夢を見た。自分が死ぬ夢を見たんだそうだ。そして、この度も夢に見た通りに、安心したように死んでいったんだとさ」
「そいつは・・・器用な野郎だな」
 いっそ感心した、とでも言うようにギンコは言った。「結局、最後まで、ちゃんと自分のやりたいことを夢に見て死んで行った、という訳か?」
「まあ、そんなところだな」
 化野は、物憂げに呟いた。
「まあ、普通は、見たい夢ばかりなど見られる物じゃあない。その男だって、いつもいつも自分の見たい夢ばかり見ていたわけではないんだろう。ただ、どんなに酷い夢でも、その酷い夢が自分に関する夢だったとしても、それが現実になろうがなるまいがどうでもよかっただけで。が、どうでもよくない相手が出来た。そうなると、見たくない!と強く思うほどに、見たくない場面が心に浮いてくる。好いた相手の酷い有様ばかりが心に浮かんで止まない訳だ。
 どういうものなんだろうな。せめて夢で逢えたら、と願うような相手の夢を、決して見てはならんと自戒せねばならんと言うのは。それでいて、目覚めている間は、その相手の酷い有様ばかりが心に浮かぶ、というのは。自業自得、と言えばそうだが・・・
 好いた相手の酷い夢だなんて、そんな妙な力がなくたって見たい物じゃあないだろう。ゾッとするだろう? まして、その後、夢に見た相手に何事かあったと知ったら、まるで、自分が見た夢が凶運を招き寄せてしまったのか、と・・・」
 ぐい、と化野は杯をあおった。物憂げに手元の杯を見ながら、手酌でまた酒を注ぐ。
 ギンコは、たずねた。
「誰かに、何かあったのか?」
「いや」
 ギンコを見て、化野はほほえんだ。
「ちょっと夢見が悪かっただけだ、本当に。誰にも、何もありはしなかったさ」
 ギンコは、言ってやった。
「なあ、お前の見たっていう嫌な夢、俺に話してみろよ。夢違えって言ってな、見た夢に違う解釈をつけると、夢の持つ運もそう変わるんだそうだぜ」
 が、化野は、
「言霊(ことだま)というものもある。一度、口に出してしまった言葉には力が宿る、というものだ。いや、すまんな。せっかく、気に掛けてくれているのを無碍にしているつもりはないんだ。本当に、お前が来てくれただけで、なんだか悪い夢を祓ってもらったような心持ちでいるんだよ」
 そう言って、銚子を傾けて寄こした化野は、本当にいい表情に変わっていた。
「自慢じゃないが、飲むと陽気になる性質なんだ。まあ、飲めよ、おまえも。あれから、どうしてたんだ?」
「虹を追いかけて、虹の生えてる根元を見て来た」
「虹の生えてる根元だって? そんなものが見られるなんて、聞いたことがないぞ!」
「ああ。と言っても、本当の虹じゃない。虹蛇(こうだ)という蟲だ」
「ほう、そんな蟲もいるのか?」
 楽しげに目を躍らせて、化野が聞き返す。ギンコは話し出した。



 真夜中過ぎーーー
 小用を足しに行った帰りにまた化野の部屋の前を通ると、何やらうなされているような呻き声が、まだ障子の向こうから聞こえていた。
(・・・長えな)
 まさか、妙な蟲が付いている、という訳でもなさそうだが、と、しばし躊躇ったが、中に入って起こしてやっても別に嫌がられまいと思ったので、ギンコは、するりと障子を開けると化野の部屋の中へと入った。
 薄い夜具を腰まで払いのけ、苦しげに首を打ち振りながら、化野は、悪い夢の中でもがいていた。障子ごしに差す月の光に、額に浮かぶ水滴の粒が光って見える。傍らに膝をついて覗き込むと、化野は、うめき、時にむせぶようなか細い呟きを漏らしながら、必死な表情を浮かべて喘いでいた。その呟きは、悲鳴のようでもあり、誰かにささやきかけているようでもあったが、何と言っているのかまでは聞き取れない。
「化野。おい、化野」
 耳元で囁いて、軽く肩をつかんで揺すってやる。が、まるで起きる気配はない。
「化野。起きろよ、おい」
 心持ち声を大きくして、肩を揺する力を強くした。と、化野の目から涙がこぼれ始めたので、ギンコはギョッとした。が、目覚めているふうではない。苦しげな呻き声はさらに大きくなり、ギンコはぐいぐいと揺すって化野の名を呼んだ。
「化野! おい、起きろ!」
 ふっ、と化野の目が開いて、ギンコを見た。ほっとして、ギンコは口元をほころばせた。が、見つめる化野の目からは、見る見る大粒の涙がまた溢れてくる。
(おいおい、どうしたんだよ、一体。寝ぼけてんのか、まだ?)
 はっきり目を覚まさせてやろうと、ギンコは、もう一度、化野の肩を強く揺さぶった。
「化野!」
「・・・生きて・・・」
「あ?」
 何とか聞き取れそうな呟きが聞こえたので、ギンコは顔を近づけた。それを、頭ごといきなり抱え込まれて、引き寄せられる。
「うおっ?」
 寝ている化野の上に倒れ込みそうになるのを、両脇に手をついて踏み留まったが、強く抱え込まれて、頭だけそのまま更に引き寄せられた。
 唇に、唇が触れた。
「−−−!」
 すぐに、舌まで差し込まれて、深く口づけられた。逃れる場所もなく舌を絡め取られて口の中じゅう舐めまわされる。驚いて、両手を突っ張って上体を起こしたが、頭は、しっかりと化野の両腕に抱え込まれたままだった。何だか凄いことになっている、と思うものの、この先どうしていいのか分からない。しゃにむに引き剥がそうと思えば出来ないことはないだろうが、この状態で目覚められるというのはまずいと言うか、やばいと言うかーーー互いの為に、だーーー抱きついているのも、舌まで差し入れて口づけているのも化野の方だが、ここは化野の寝室だった。ギンコがここにいるべき理由は、何もない。といって、いつまでもこんなことをされたままでいる訳にはいかない。
 そんな内心のあせりをさらに掻き乱そうとするかのように、化野の舌が中を舐めまわす。他人の舌に入り込まれて激しく動きまわられているので、口の中がいっぱいで、少し息苦しい。喉元まで突き上げるようにして差し込まれ、舌の根まで絡め取られて舐めまわされていた。グイと頭をそらして横を向こうと試みたが、化野の口づけもそのままついてくるだけだ。思う程に唇をそむけられぬ上に、こんな格好を続けていても、化野の腕が疲れるより先に自分の首が痛くなりそうで、捻り上げていた頭を元に戻した。困り果てたまま、結局、舌を舐められつづける。
 不意に、口づけから開放されて、ギンコは、いつのまにかボーーッとしていたらしい自分に気づいた。ぼとり、と落ちそうになった化野の背にとっさに片腕をまわして衝撃を緩めたものの、さすがに、片腕で二人分の体重を支え続けるなど無理なので、体を重ねたまま、そっと化野の体を布団に下ろす。どんどんのっぴきならない体勢になっていくような気がして、めまいがした。
 頭を抱え込む化野の腕が少しゆるくなったような感じがしたので、そっと頭を上げてみる。と、難なく上げられた。化野は、目を開いてじっとギンコを見つめていた。
 どきり、と心臓がとびあがった。
(げっ・・・起きちまったのか、この体勢で!)
 が、その瞳に、安堵したような微笑が浮かんで、化野は静かに目を閉じた。ギンコの頭を抱えている腕からも力が抜けていく。スルリ、と化野の腕がギンコの頭から離れて左右に落ちた。穏かな寝顔に戻った化野は、やさしい、深い眠りの中へとかえっていった。
 ほっとして、ギンコは、そうっと吐息をついた。
 どうやら、また眠ったらしい。
 そろりと、化野の上から、重ねていた上体を起こす。
しばし、呆然と化野を見つめていたが、とりあえず、うなされている夢から化野を開放する、という目的は達したので、そっと起こさないように静かに部屋を出た。半ば思考停止状態で、おのれにあてがわれた化野家の客間の方へと歩いて行ったが、不意に、化野の唇と舌の感触がまざまざとよみがえってきて、思わず、立ち止まり、片手で口を押さえる。
(・・・何の夢、見てたんだか)
 肉親の誰かの夢だろうか? いや、あんな口づけをする相手なのだから、やはり恋人だろう。
(あんな口づけをするような相手がいたんだ)
 そんな、情熱的な恋のひとつやふたつ、経験していても不思議な年ではなかった。相手に不足するような男でもない。好みなものに傾ける想いの深さは、日頃、ギンコが持ち込む蟲ゆかりの品々を買う時の買い方からもうかがえた。ただ、今はいない、というのは断言できると思うが。
 それとも、夢の中だから出来たような相手なのだろうか。今もいるのか、噂の口の端にものぼらぬほど秘めてはいるが、あんな口づけをしたい相手が?
 しかし、あんなふうに、じっと見つめられてから口づけられては、本当にギンコが相手のつもりで化野がそうしていたみたいで、妙な気分だった。化野の過去の恋人(か、現在の片恋の相手?)のことでもわかれば少しは落ち着くような気もしたが、唐突に、そんなことを訊くのも変だし。はっきりと目覚めぬままに眠りにかえった、夜半の夢のことなど、朝には何も覚えてはいまい。あんなの・・・覚えていられても困るが。
(・・・まいったな)
 ギンコの中にだけ、惑乱が残された。本来なら、他人事でしかない筈なのに。 END

作品後記
 単行本第一巻『枕の小路』ネタです。蟲を媒介せずに、夢が現実に感染する瞬間、みたいなものが見たくて、描いた話です。
 『枕の小路』ネタでは、他に「夢(予知夢)を破る」話も描いてみたいです。夢ネタは、元々大好きなので、『枕の小路』ネタに限らず、色々考えるのが楽しいです。


 

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