蟲師捏造話 1

□蟲好み(P9)
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蟲好み -1ページ目

 『蟲好み』の好事家として名が知れているとは言え、一介の町医家に過ぎない化野(あだしの)に『狩房(かりぶさ)文庫』の名を耳にする機会があったのは、化野が、蘭方の医術も手がける近代的な医家でありながら、蟲師(むしし)という生業の者たちが施す、いわば民間療法的な治療を、呪い(まじない)じみた胡散臭いものと厭わない、数少ない医家の一人であったからだと思う。

***

『化野先生になら、こんな相談にも乗っていただけるかと思いましてね』
 蟲師だと名乗るその老人は、そう前置きをして、生まれながらに右足に蟲が巣食っているという、とある娘の話をしていったのだった。
 その蟲は、この世のすべての生き物を滅して栄える悪霊のような蟲であるのだという。
 娘の一族には何代かに一人、その娘のように、生まれながらに身の内にその蟲が封じられている印がある者が生まれ、その者は、その蟲を眠らせ、少しずつ、その身の外に封じ出す力をもまた持っているのだということだった。
 その封じ方というのは、一風変わったものだった。立ち寄る蟲師達から聞いた蟲退治の話を、筆ではなく、その指先から流し出す墨文字のような文字列によって、巻物に書き記すというものだ。その墨文字の列こそが蟲なのだった。そうして、体外に封じ出された蟲の眠る巻物は、地下の穴蔵の奥に厳重に保管される。その封じ方ゆえに、その者たちは『筆記者』と呼ばれていた。
 その書は、危険な蟲そのものであると同時に、蟲師達にとっては、貴重な症例集とも言える代物であった。『狩房文庫』と呼ばれるその巻物を読む権利とひきかえに、数多の蟲師達が、彼らの蟲封じの話を語っていった。そして、その話をまた呪(しゅ)として、筆記者は、己が身の内に巣食う蟲を眠らせ、封じ出し続けているのだった。
 そうして、その娘も、少しずつ蟲を封じ出しているのであったが、その際に、酷く、その蟲の巣食うほうの足が痛むのだという。その痛みをどうにか楽にしてやれないか、というのがその蟲師の相談ごとだった。
 医家の書物や症例とともに、蟲がらみと言われる症例やその療法も収集している化野であったが、そんな恐ろしい蟲の話は、それまで、まったく聞いたことがなかった。
 が、蟲師たちの間では、それは公然の秘密であるらしい。
「そういや、先生ん家によく出入りしている蟲師のギンコさん、あのお人から、もう、こういうことぁ聞かれてましたかねえ?」
 化野は、首を振った。
「いや、ないな」
「へえ、そうなんですか?」
 老蟲師は、不思議そうな顔をして、
「狩房のお嬢さんとあのお人は仲良しだ、って聞いてたんですがねえ」
 と、その蟲師は言った。
「まあ、でも、あのお人も、『闇を飼っている』だなんて妙な噂のある人ですからねえ。いや、ただの噂ですがね。でも、まあ・・・先生みたいなお得意様に、そんな怖い蟲の話はしたくないですか」
 おっと、これは余計なことまで言ってしまった、とでもいうように、老蟲師は、すぱすぱと立て続けに蟲煙草をふかした。
「『闇を飼っている』?」
 ギンコの左目が闇で満たされていることなら知っていた。それが何なのかは、ギンコは教えてくれなかったが。
「そいつも蟲なのかね?」
と訊くと、老蟲師はあわてたように、
「さ、さあ・・・」
「何か気になるようなことがあるなら、教えてくれんかね」
 言葉巧みに、化野は、老蟲師を落としにかかった。
「見ての通り、この家は、体の弱った者が来る所だ。ギンコも、勿論気をつけてくれてはいるだろうが、病人に何か障りがあってはいかんからなあ」
 穏やかに、そう尋ねる化野に、それでも、老蟲師は言い澱んでいたが、
「いや、本当に知らんのですよ、私は。ただ、ね───ギンコさんの左目が義眼なのはご存知かと思いますが、あの義眼を外したら、眼の穴の洞が見える筈でしょう。なのに、真っ黒な闇が見えるばかりで、中には何も見えないんだそうで。あのお人が覚えている限りの小さい時から、あの姿だったそうですよ。十かそこら位の時分に、どこかの山里にふらりと姿を現したのが最初だそうで、それより前のことは、本人も覚えていないし、その里の近隣で尋ねても、誰も見かけた者はいなかったんだそうで───だから、その闇が何ものなのかも、誰も知らないんですよ」
「ほう」
「ああ、でも、そいつのせいで蟲患いが出たとか、そんな話はないですよ」
 と、慌てたように、老蟲師は言い綴った。
「ただ、その闇が蟲を寄せるようだと言うんで、ひとつ所に居続けないようにしている、とは聞いてますがね。いや、人に害のある蟲ばかり寄せる、とかそういうんでもありませんから。医家の先生が気に病むようなことは何も───まあ、何て言うか・・・蟲師にはよくある体質なんですよ。それで、必要に迫られて、蟲除けの技を学んで、ついでに、己の生業(なりわい)にもしちまうんです。蟲を寄せるんじゃあ、お店者などにはなれませんからねえ。
まあ、だから、その、あのお人がこちらに出入りしているからといって、ここの患者さん方に障りが、なんてことは、ちっともありませんから」
 いったん喋り出すと、ぺらぺらとそんなことまで喋って、老蟲師は、最後にこう言って、頭を下げた。
「・・・あのお人が言わんかったことをわしが喋ったなんてことは、内緒にしといてください」
 化野は、鷹揚に頷いてやった。
「いや、うちの患者たちに障りがないようなら、かまわんのだ。ギンコにも誰にも、何も言ったりはせんよ」
 ともあれ、ギンコが、化野には教えたくなくて教えてくれなかった訳ではなかったことは分かった。
 まあ、どちらにしろ、そんな恐ろしい蟲の話などみだりにしていいものではないのだろう。
 それと、舶来の痛み止めに関する講釈を、そう言えば、前にしてやったことがあるのを、化野は思い出した。蟲師のギンコ相手の講釈だったので、それが、蟲患いにも使ってやっていいものかどうかは、手元にそういった症例がないので分かりかねるが、という補足も加えて伝えたことを。
 あれから調べたことも含めて、化野は自分の考えを伝え、老蟲師は落胆して帰って行った。もう、ひと月は前の話だ。
 が、以来、化野は、その狩房の娘とギンコのことが頭から離れなくなってしまったのだった。
 右足に巣食う悪霊。
 左目に巣食う闇。
 同じだ、と思った。得体の知れない蟲、という点では。ギンコとその娘は同じ境遇にあるのだ、と。
 が、そう、思い至った時に感じたイラつきと言うか、嫌な感じ───今も、思い起こす度にチリチリと頭の隅で何かが燻し焦げるようなその感じは、本来、何と表現すべきものなのだろう?
『狩房のお嬢さんとは仲良しだって───』
 ギンコが、その娘に慕われていたからと言って、何の不思議もなかった。
蟲師としての造詣も深いギンコが、蟲師版の『医学全書』あるいは『症例集』とも言うべき『狩房文庫』と、その4代目の『筆記者』である娘のことを知らない筈はなく、その娘のもとへも、定期的に寄っては、蟲師にとって貴重なその文献を読ませて貰っているだろうことは間違いなかった。 ギンコがあんなに勉強家で研究熱心なのは、おそらく、単に生業の腕を磨く為だけではないのだろう。ギンコの左目に湛えられた得体の知れない闇───その正体を知り尽くして、今現在にも、知らぬ間にその蟲が及ぼしているやも知れない悪しき影響への対策を講じ、また、失われた記憶を───取り戻せるものなら────取り戻す為であろう、と化野は考えている。
その中で、もしも、狩房の娘に巣食う蟲と関わりのあるような何かと出会ったならば、ギンコは、それに関する調査や研究もしてやっているのに違いなかった。それは、相当に危険なことではないのか、と化野は思うのだったが、たとえ、そう言ってやったとしても、『どのみち、自分の調べたいこととかぶるのだから』とギンコは言うのに違いなかった。まあ、実際そうなのだろうが。が、それでも、やはり『あまり、危ない橋は渡ってくれるな』と、今度会ったら言ってやろう、と化野は思っている。言えば、ギンコは嬉しそうに、が、その実、きく気もない奴の口の軽さで、『ああ、肝に命じておく』などと、ぬけぬけと返すのだろうが。
そうして、その巻物の知識とひきかえに、その狩房の娘の蟲封じに役立ちそうな話を───呪となる蟲殺しの話にしろ、今まで知られていなかった蟲の話にしろ───聞かせる傍ら、足の不自由なその娘をおぶって、ちょっと外へ連れ出してやったり、といったようなことも、ギンコなら、時々してやっていそうだと思う。
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