蟲師捏造話 1

□働き者(P9)
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     働 き 者

 高い木立の間を縫うようにして進む山道を抜けると、いきなり視界が開けて、その山の麓に広がる小さな猟師町の町並みが一望に出来る。その町並みから浜の向こうに、遠く、ゆるやかな弧を描く水平線。そんな、山裾に続く、小高い丘陵の上に、ギンコがこれから訪ねようとしている化野(あだしの)という医家の家がある。
 医家を訪ねる、といっても、ギンコは医術を施して貰いに行くのではない。持参の、蟲がらみの珍品を売りつけに行くのであった。
 ギンコは、蟲師なのだ。
 蟲、という、ふつう人の目には見えない、生と死の狭間を移ろい漂っているようなモノたちーーーそれらの引き起こす様々な障りの原因を調べ取り除いてやるのが、ギンコたち蟲師の主な仕事だった。
 そうした仕事を解決した折に手に入る、いわば蟲の存在した名残りのような品々もまた、商売物のひとつになる。そういったものは、化野のような蟲好みの好事家達に高値で買い上げて貰えるのだった。
 化野は、ギンコにとって上客だった。
 ギンコが化野の為に選んでくる品は概ね、ギンコの言い値で化野には買い取って貰えたし、他の蟲師や行商人から買い取った品のことで相談されたりしているうちに、いつの間にか敬語も取れ、来る度、泊り込んで酒まで馳走になるような間柄になっていた。
 もっとも、真贋の目利きなどは、頼まれても、ギンコはしない。化野の方も、それをギンコに頼んでくることはなかった。
 時には、蟲のムの字も出て来ないような真っ赤な偽物をつかまされていることもあるようだが、それでも、買って後悔するような代物には手を出さない、というのが化野の信条であるらしかった。
 実際、マグロとサルとたぶんもう一種類くらいの何かの干物を縫い合わせて作られたと思われる人魚の木乃伊(ミイラ)も、化野にとっては、彼奴の奇々怪々な浪漫趣味を楽しませるに充分なものであるようだったし、とある蟲の移動した後に残る美しい光沢に彩られた竹細工は、たとえ蟲がらみというのが嘘だったとしても、聞いたその値に不足はないような、優れた工芸品だった。
 ギンコには、化野が欲しがるようなモノがどんなモノかがよく分かっていたし、また、そういった品々を、化野のように蟲も見えない素人の手に渡しても安全な状態にして渡すことも、ギンコになら出来た。実のところ、必ずしも本当に蟲を孕んだものではなくとも、そういった『浪漫』を感じさせる物でありさえすれば、化野にとっては『買って、後悔しないモノ』なのだ。まあ、そんなペテンじみた品を売りつけたことはあまりないがーーー蟲がらみの代物であることだけは、いつも確かだったーーー概ね、化野にとっても、ギンコは、いい売人であるだろう、と自負している。
 その日も、ギンコは、化野が結局はギンコの言い値で買い上げてしまうような、蟲ゆかりの不思議な品を持って、化野の家を訪れたのだった。
 このところ、ウロ守(うろもり)を通して呼び出される通いの仕事がいくつか続けて入っていたので、この家を訪ねるのは3ヵ月振りだった。
 日は傾きかけてはいたが、日没までにはまだ時間がありそうだ。この時間なら、いったん診療室側へ回って顔だけ見せて、あとは庭ででも待っていた方がいいものか。
 ギンコは考えたが、やはり、玄関から訪ねることにした。玄関の引き戸の横にこの間から備え付けられている『ドアノッカー』なるものを使ってやるためだずっしりとした質感の木彫りの山羊の頭を、それの鼻先につけられた木製の輪を掴んで持ち上げ、柏木を打つようにしてトントンと台座に打ちつけるようにして鳴らして、家人に来訪を告げる、という仕組みなのだった。ちなみに、この山羊の頭の紋章というのはバテレンの悪魔の紋章なのだが、化野にはそういった信仰だの趣味はない。化野にとって、山羊の頭は山羊の頭なのだった。
 ギンコが、その木製の輪を握った時ーーー
 突然、母屋の奥から、化野の悲鳴が聞こえた。
 うわぁーッと言うか、ぎゃああっ!と言うか、何とも凄まじい悲鳴だ。化野が、こんな声を上げるようなことが起きるようなところと言えば、母屋の向こう側の蔵か、その手前の庭を挟んだ片側に位置する縁側に続く居間の更に奥部屋に当たる書庫・兼・蒐集蔵(しゅうしゅうぐら)のどこかから聞こえてきたのに違いなかった。
「どうした!」
 とうとう崩れた蒐集品か、書の山の下敷きにでもなったか、と急ぎ駆けつけてみるとーーー
 居間の奥部屋に位置する書庫部屋の中、書物の山の間で棒立ちになった化野が、なにやらボロボロに喰い破られた紙の束ーーーおそらくは何かの書物のなれの果てーーーをつかんで、がっくりと肩を落としていた。



 
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