蟲師捏造話 1

□蟲の卵(P7)
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蟲の卵

 小さな漁師町で医家を営む化野(あだしの)の診療室は、早朝から働いて、昼頃にはその日の診療を終える。年寄りや漁師たちの朝は早く、また町屋の者たちも、具合が悪いとなれば、昼前にとっととかかりに来るので、自然、早く終わるのだ。
 それは、午後からだと、化野は、診療所まで来られない患者たちのもとへと往診に出かけていることが多く、せっかく忙しい合間を縫って行っても、結局診て貰えない、ということが多々あるからでもあった。
 だから、化野個人に用のある者は、日は傾いたが日没にはまだ間がある、といった頃合いに訪ねてくる者が多かった。
 その日の夕刻には、ギンコという蟲師(むしし)が訪ねてくることになっていた。
 このところ、この町の者たちは皆、息災で、往診に出る必要もなく、ゆえに、化野は、数日前に、蒐集家仲間から買い取りを持ちかけられていた『蟲の卵』の買い取りに、この時間を割り当てることが出来たのだった。
 化野とて、蟲関係のモノを蒐集するようになって久しく、自然、蟲に関する様々な情報が入ってくるようになってはいたが、しかし、『蟲の卵の育て方』などというものは、今まで、見たことも聞いたこともなかった。蟲に関しては、化野は素人だったし、この度は、売り手の方も好事家仲間の素人で、その男から聞いた卵の管理のしかたが、本当に正しく、かつ、安全であるかは疑問だった。ゆえに、それを確認出来るような相談相手が必要だ、と考えたのだ。
 管理が不適切なせいで、せっかく手に入れた、生きている蟲の卵を死なせてしまったりしたら、泣くに泣けない、と思った。まして、逃げられて、周囲に性質の悪い蟲患いを流行らせた、などということになっては、医家の名折れだ、と思う。
 それに、今後も、わからないことがあったら、ウロ守を通じて文を出して、相談に乗って貰おう。それには、一度、それがどんなモノだか見せておかなければ、という腹づもりもあったのだった。
 かくして、化野は、ウロ守に文を託して、旅先のどこかにいるギンコを呼んで貰ったのだった。
 ギンコからの返事は、すぐに来た。今日の夕方遅くには着く、と言う。
 こんなに早く来て貰えるとは嬉しい驚きだった。早くても明日か、遠くに呼ばれていれば−−−ギンコたち、流しの蟲師には、ウロ守を通じて、蟲師のいない里からの蟲師仕事の依頼が入るのだ−−−そこからこの町まで来るには、ひと月くらいかかるかも知れん、などと思っていたのだ。
 ギンコという蟲師の訪れを、化野が、こんなに楽しみにしているのは、ギンコの持ってくる品が、いつも、まさに化野の心の琴線を震わせるような品ばかりであるからでもあったが、それとは別の理由もあった。
 ギンコとは、他の蟲師たちとは出来ない−−−あるいは、してくれない色々な話が出来るのだ。
 ギンコの話す蟲の話は、今まで、どの蟲師からも聞いたことがないような話ばかりだった! 龍が天に昇るような壮大な話もあれば、どこか日常茶飯事めいた他愛ない結末の話もあった。そして、何より、それらは皆、生きている蟲の話だった。他の蟲師なら、人に害をなした蟲など殺して当り前、時には、周囲一帯根絶やしにするまで『退治』−−−つまり、殺してしまう。
 が、このギンコという蟲師は、違うのだ。
 ギンコは、人に害をなすような類いの蟲に対する対処法でも、殺すのではなく、無害化する、といったような、実に様々な方法を知っていた。
 そんなギンコの博識さ・含蓄の深さも、確かに頷ける。蟲師には珍しいことだが、ギンコは、蟲好みで、蟲患いに関する化野自身の記した症例や、そちこちから手に入れた調書や覚え書きの類いだけでなく、蟲がらみの珍品・お宝自慢(もとい蒐集品の説明)の話までも、興味を寄せて聞いてくれるのだ。
 だから、つい、化野も、蟲患いに関する覚え書きなどが手に入った時には、ギンコにも見せて、よく分からなかったところを説明して貰ったり、化野のように蟲の見えない者でも出来る対処方法を教えて貰ったりしていた。
 あるいは、もっと違う方法もあったのではないか、と互いに意見を出し合って論じ合うことも出来た。
 そんな話は、他に蟲師たちが相手だったなら、『化野には蟲が見えない』といった時点で、まず論外だっただろう。
 しかし、蟲が見えないからといって、蟲による障りを免れられる訳ではない。ただ、訳もわからずに苦しみ続けるだけだ。化野には、蟲自体は殆ど見ることは出来ないが、せめて、蟲患いを蟲患いと診断して、専門家である蟲師に治療の依頼が出来るように、とこの家に寄る行商人や流しの蟲師に頼んで、そういった、蟲関係のものを色々と集めているのだった。
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