蟲師捏造話 1

□罠(P9)
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罠(わな)

 その日。
 ちょうど昼飯時を前にして、午前中の診療を終えられた化野は、午後からの往診の患者たちに備えて、薬包の準備をしていた。
 いつもの処方の薬草類を鞄に入れ、急の病変の為の備えの薬も確かめる。
(咳・痰と、解熱の薬が乏しくなったな)
 薬包をくるんだ残りの薬草類をしまいながら、化野は、考えた。
(心の臓の薬と、強壮剤も、そろそろ買い足さんとなあ)
 この時期ーーー季節の変わり目には、特に、体力のない年寄りなどに不調を訴える者が増えるので、こういった薬の減りが早くなる。
 が、それを見越して、薬売りの方でも、この時分には、早めにまわって来てくれるので、なんとか持ちそうだった。猫のギンコを飼うようになってからは、ネズミの被害にもあわないので、以前に比べると余裕だった。
 猫のギンコは、洋種の猫の話でも聞いたことのないような、不思議な緑青の瞳をした猫で、それが真っ白な毛並みによく映えて、とても綺麗な猫だった。とある長屋住まいの者から譲りうけたのだったが、とてもネズミを捕るのが上手な猫で、以来、化野家の書庫・兼・蔵部屋を主な根城として、化野家全般を、ネズミの被害から守ってくれている。
 おかげさまで、夜半の急な医術書調べの折りに、自身がネズミ捕りにかかるような危険もなくなった。お猫様
様である。
 もっとも、ギンコは、珍しくも美しい色目が気に入って貰い受けて来た猫で、決して、ネズミを捕らせる為に貰い請けて来たわけではなかったのだったが。
 ところで、白猫に『ギンコ』などという名前がつけられているのには、訳があった。
 この猫と同じ、不思議な碧(みどり)色の目をした、流しの蟲師。生っ白い訳ではないが、色というものが抜け落ちたような肌の色をして、二十代後半の若さだというのに、総白髪のようにまっ白な頭をした、異形の男。その男が、いわば、この猫の名づけ親なのだった。
(そう言や、以前にあいつが来てから、もう、そろそろ、ひと月経つ頃だな)
 人間のーーー蟲師のギンコは、どうしているだろう?
 『蟲』という、見える者にだけ見える、われわれとは異なった生命の在り方で存在しているモノたちが引き起こす様々な障りを除き、解決するのが、ギンコたち蟲師の仕事であった。
 そうした蟲退治の仕事を解決する中で手に入れた、蟲がらみの品々を、化野のような、蟲好みの好事家に売りつけるのも、蟲師の収入源のひとつである。
 商談の折りにはーーー化野の購買意欲をそそって、より高値で買い上げてもらう為なのだろうがーーーギンコは、そうした売り物の珍品・希品にまつわる蟲の話を聞かせてくれた。
 そんな蟲の話もせがんで引き止めるうち、立ち寄る度に、ギンコも、当り前のように、この家に泊まりこむようになって、もう何年にもなる。買い上げた品々に関する話の他にも、ギンコが遭遇した様々な蟲の話を、ギンコは、話してくれた。
 が、そんな、ギンコ自身から聞いた限りの話だけでも、化野には、随分と無茶と思えるような対処も、ギンコは、けっこうしているようなのだった。
 時々、聞くだに、先が思いやられて、気が気じゃなくなる時がある。
 この間、していってくれた、『山のヌシになった男』の話も、そうだった。光脈筋の山の『ヌシ』になった男を、その『ヌシ』の代替わりによる死から救い出そうとして、自ら巻き込まれに行った、というのだ!
(そのまま、あいつが『消えて』いたとしたら、俺も、あいつが存在していたことすら、わすれていたのだろうか?)
 それとも、こんなに離れていれば、その山の新しい『ヌシ』となった、クチナワとかいう蟲の影響も受けることなく、いつまでも、消え失せたギンコを、俺は、待ち続けていたのだろうか?
(ヌシたるに足りるような蟲と比べれば、微々たる命の人が、山の『ヌシ』をやるなど、確かに、過酷なことなのだろうが・・・ )
 好いた男を、山の『ヌシ』にしてまで、その地に留まらせた女の気持ちも分かる、と思う。知る術もないどこかで消えられるよりは、常に、その目の前にあってほしいと願うのは。実際には、その女の方が、その山の精気に耐えられずに、ずっと先に亡くなったのだということだったが。
 ギンコも、その『ヌシ』になった男と同じ、ひとつ所に留まれない体質だと聞いていた。
 集まり過ぎるとよくないという、蟲を寄せる体質だからと、必ず、丸ひと月以上あけてから、ギンコはこの家に寄ることにしているという。
(前に来てから・・・まだ、丸ひと月は経ってないか)
 いや、実際には、ひと月以上空けてくることなど、ザラだった。
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