蟲師捏造話 5

□カメはどこへいった?[2018/5/20 改訂版](P3)
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カメはどこへいった?(1ページ目)

往診帰りに浜沿いの小道を歩いていると、ちょうど化野(あだしの)のもとを訪ねようとしていた流しの蟲師のギンコと出くわすことがある。
蟲。
と呼ばれる、われわれとは異質な生命の有り様でこの世に存するモノたち。ソレら蟲と人とが出会って生じた様々な障りを解き明かし、取り祓うのがギンコたち蟲師の仕事だった。そうして手に入れた蟲がらみの珍品・奇品を、化野のような蟲好みの蒐集家たちに売り付けるのもまた、良い収入源なのだという。
ただ集まり過ぎても良くないというその蟲をギンコは『寄せる性質』なのだそうで、ゆえに、ギンコは流しの蟲師になって、時折り蟲煙草をふかしてはその身に寄った蟲を散らしながら、ひとつ処にそんな蟲たちを寄せ過ぎぬよう間ひと月はあけるように諸国を巡っては、この小さな漁師町へとやって来る。
「よう。変わりはねえか」
「おう。お前も息災か」
と挨拶を交わして互いの無事を確かめ合い、お次は、
「出物はあるか?」
と、商談に移る。
「いい物がある」
その一言で、化野の目がピカリと輝き、二人並んで家路を急ぐ。
話の内容は『久し振り』でも、昨日も今朝も会っているような口調で話す。そんな日常の他愛ない遣り取りが、根無し草のギンコにとっては得難い安らぎであることを化野は知っている。
***

その日は、途中、子供らがカメをつついているのを見かけて、化野は注意した。
「こらこら、カメをいじめてはいけないよ」
その声に、子供らは振り返り、あるいは身を起こして、
「あー、化野先生だ」
「先生、それ、浦島太郎の真似っこ?」
「そうとも言えるが、カメをいじめちゃいかんぞ。海へ帰してあげなさい」
と言うと、子供らはきゃっきゃと笑って、
「わあー、浦島先生ぇー」
「何かくれたらいいよー」
化野は、いったん懐に手を入れて拳を握ると、
「カメいじめを続けるなら、ほれ、拳固をやろう」
「うわっ、酷っ」
「嫌だよ、ケチ、ケチー 」
「ケチじゃないぞ。ほれほれ、遠慮すれな」
勿論、冗談だし、子供らも、カメをいじめていた訳ではなかった。
「どうすればいいの?」
「波打ち際まで運んで行って、置いてやりなさい。あとは、波に乗り損ねて逆さにひっくり返ったりしなけりゃ、自分で歩いて波に乗って沖へと帰って行ける」
「ひっくり返っちゃったら、どうなるの?」
「自分で戻れないの?」
「時間をかければ戻れることもあるだろうが、甲羅の背中と違って腹の方はまだ柔らかいだろうからなあ。ぐらぐらしている間に、カモメや何かにたべられてしまうだろう」
「腸(はらわた)喰われんの? 怖っ」
「かわいそう」
「カモメにとっちゃあ、やっとありついたご馳走なんだろうがな」
が、子供らはすっかり、柔らかい腹の方を喰い破られるカメの心持ちの方に同調してしまったようだった。
「う〜ん、でも…海へ帰してあげる」
子供らがカメを海へ帰してあげると、化野は握っていた拳を上向けて、一人にひとつずつ分の飴玉の包みを載せた掌をひらいて見せた。
「わあっ、飴玉だ!」
「先生、ありがとう!」
喜び受け取って走って行く子供らに背を向けて、こちらも再び帰路を急ぐ。
「お前もどうだ? のど飴」
「お、ありがてえ」
「ほれ」
と、ギンコにもひと包み手渡しながら、化野は、
「後で恩返しに来るかね」
「お礼に竜宮城へ、ってか?」
「いやいや。タイやヒラメが舞い踊っているような深い海の底より、イソギンチャクとクマノミが戯れる南国の珊瑚礁の、あまり深くない辺りでいいな。箱眼鏡で底が見えるくらいの、と言うか─── 」
「むしろ、それがいい」
「そうそう。はは、水中で呼吸出来るか云々を抜きにしても、いきなり、そこに城が建っているのも知られちゃいないくらい深い海の底まで連れて行かれるのは、なあ」
「ははは」
「恩返しに、そんなことを勧めるカメもカメだし、その背中に乗って行く浦島太郎も度胸があるよな」
「無謀とも言うな」
「『羽衣』に乗って旅したくせに」
「アレは事故だ。知らずに踏み込んだ時に、俺に何の相談もなくあの蟲が浮上したんだ」
「『ふるやのもり』の背に乗ってしまった!ってか?」
「あー、まぁそんな感じだ」

***

なんて戯れ言を交わしながら、ギンコと二人並んで歩いたことを思い出す。
今は、早朝。
北の山脈を越えて来た冷たい風がびゅうびゅう吹き下ろす、人気のない浜沿いの小道を、化野は家へと歩いていた。
いつもなら、こんな時間でも出漁仕度の漁師たちでそれなりに賑わっているものだが、連日の荒天で、舟や何かも、荒波の届かぬ場所までとうに避難させてある。しっぽりと、久々の朝寝を決め込んでいるのかも知れなかった。
(三千世界の鴉を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい、ってか?)
化野の寝所の傍らで眠るギンコの姿が脳裏に思い浮かぶ。
あの日と同じ浜沿いの小道を、今は一人で歩く。むしろ、それが化野の日常だ。ギンコが傍らにいるのは月に一度以下───町医家を生業に選んだ化野が、この小さな漁師町やその周辺の人らの病や怪我の治療に日々勤しんでいるように、流しの蟲師になったギンコもまた、時に蟲の障りを祓いつつ、何処にも蟲を寄せ過ぎぬようにと旅し続けている。化野の住むこの町にも根は下ろさずに。そうやって、蟲と人の世の均衡が保たれるよう、ギンコは世界と我が身を守り続けているのだ。
(継続は力なり、だな)
旅し続けるのも、性に合っているから苦ではない、とギンコは言っていたが───
願わくは、ギンコの旅が天候と一日三度の食事に恵まれますように、と祈る。
(うむ、俺も頑張らねばな)
と、化野は己に気合いを入れた。
昨夜の患者は、解熱剤や各部位に当てた水枕やらで持ち直してくれたが、まだ容態は落ち着いたとは言えない状態だった。日頃は使わぬ薬も使って、また入り用になるかも知れないので、それらの調剤もしておかなければなるまい。
とは言え───
(くそう、眠いな。俺も早く寝たい)
こちとら、ぬしと朝寝どころか、仕事で完徹夜して、忘れんうちに昨夜の診療録を書いて朝飯を食ったら、もはや朝寝どころか昼寝だ。たとえ、ギンコが傍らにいようが、本気でぐっすり熟睡できる自信はある。
(眠い・・・)
う〜ん、これでは、座して調剤を始めた途端に、うつらうつらと舟をこぎ始めてしまいそうだ。うっかり溢したりしたら無駄な手間と金がかかるし続けて、調剤を間違えでもしたら、もっと大変なことになる。
(これは、帰ったらまず寝る!だな。いや、その前に軽く湯漬けくらいは食って─── )
などと、この後の時間の割り振りを考えていた筈なのに、いつの間にかうとうとしてしまっている。左手の薬箱を取り落としそうになって、ハッと目を開く。
その目線の先に、あの日のカメに似た小さなカメが、チョコチョコと行く手を歩いているのが見えた。
化野は微笑んだ。
波にさらわれて浜に打ち上げられてしまったのか、それとも、荒波を避けて陸へと避難してきたのか───
が、そのカメは、海へと戻るでなく、陸地に身の置き場を探すふうでもなく、海沿いの小道を辿り続けていた。
まるで、化野の行く手を先導しようとしているかのようだ。
(今時分のここらでカメを見かけるというのは、珍しいな)
「・・・・・」
あの日のカメと同じ種のカメなら、このカメも子カメということになるが、今はあの種のカメが孵化する時期ではない。
(よく似た種類だが違う、この大きさで大人のカメなのかね?)
チョコチョコと短い四本の足を駆使して歩く姿はごく普通のカメの動きで違和感はない。
が、ならば、化野も普通に歩いているのに、それに追い付かぬというのは妙だった。
もしや───蟲か、コイツは?
思わず、化野の歩調は速まったが、そのカメは、のこのこと動きを速めた風ではないのに、やはり化野の一寸先辺りを歩み続けていた。
いつもの化野なら、目を爛々と輝かせて、早速捕まえにかかるところだったが、さすがに今はそんな元気も無かった。第一追いつけない。どう見ても、そう見えている歩幅以上の距離を、目の前のカメは移動し続けていた。
(ギンコがいたらなあ)
ギンコなら、こんな蟲も捕まえてくれられるに違いなかった。
いや、ギンコは、愛玩用の蟲なんぞ捕まえてくれはしないだろう。野放しにしておいては危うい蟲とか、普通ここらのような環境には棲息していないような蟲とかなら捕まえてくれるだろうが、勿論そんな蟲は化野の手元には残らない。たまたま何かの物に憑いていたというような無害な蟲憑き物件なら、たまに売りに来てくれることがあるが、大概は蟲本体ではなく、蟲の生成物だった。
今、化野の一寸先を歩いている───と言うか、そんな振りをしているがもっと高速で、滑るか、飛んでいる?───カメだって、一見かわいい子カメに見えているだけで、本当のところ、どんな性質を持ったモノだか化野には分からない。妖怪で例えるなら、一見いたいけな赤ん坊の姿で現れるが構うと大変なことになる『子泣き爺』みたいな、危うい蟲なのかも知れなかった。
カメ(に見える蟲?)は、化野が家へと辿る浜沿いの小道を、化野より一寸先立って歩き続けている。
ふと、ギンコから聞いた『蟲の宴に招かれて、半蟲になった娘』の話を思い出す。
化野には、そんな宴に招かれる理由はない、とは思うが。
(しかし、あの娘の話のように、まだ生まれてもいない俺の血縁の因果で、というなら心当たりなんぞ有る訳はないのだしなあ。
ともかくも、このカメが先導する道からは、降りられるものなら外れておいた方がいいのかも知れん)
そう考えて、化野が歩を運ぶのをやめようとしてみると、普通に止められた。若干ホッとしつつ、さて、元来た道を戻るだけでいいのか、ぬかる砂地か泥んこの水溜まりへとこの小道から外れておいた方がいいのだろうか?と一瞬躊躇していると───
「化野」
いつの間にか、目の前にギンコが立っていた。
「カメの恩返しだ」
「あ?」
「本当だ。あの時の子カメは蟲だったんだ。成長して力がついたので恩返しをしに来たんだ」
「恩返しって─── 」
思わず、足元の一寸先と周囲を見回したが、つい今さっきまで前を歩いていた筈のカメはいなかった。
ギンコは、可笑しそうに口の端を上げて、
「お前に『蟲に乗れ』とは言わんよ。俺が乗って来た」
何ですと!
『情報の曖昧な物には手を出すな』と言っていたギンコが? 『自分の愛でているものが異形のものであることを忘れるな』と俺に釘を刺していたギンコが!
(ああ・・・そうか)
と、化野は気がついた。
この蟲がどういうモノなのか、ギンコは知っているのだ。
安心したら、ちょっとむくれる余裕が出来てしまった。
「あのカメを助けたのは俺だぞ。なのに、なんでお前が乗せて貰って来るんだ?」
が、ギンコは悪びれもせずに、いつもの平易な口調で、
「お前が、俺に会いたがってたから、だろ?」
「うおおっ」
たじろぎ、赤面した化野だったが、突然ギンコの背景が陽炎のように揺らぎ始めたのを目にして、急ぎ手を伸ばして絶叫した。
「来いギンコ! こっちへ、早く!」
が、ギンコは少しも動じずに、いつもの平易な口調で、
「心配するな、化野。『はまぐり御殿』だ」
「『はまぐり御殿』?」
あ。と思い至って、
「『蜃、気を吐きて楼閣と成す』の、あの蜃(はまぐり)か?」
と問う間に、ギンコの後ろの靄がうにゃうにゃと寄り集まって、巨大なはまぐりの貝殻を開いた形の屋根をした小さな一軒家が出来上がる。
(何だ、これは?)
ぽかんと口を開けて、化野は、その『はまぐり御殿』を眺めやるばかりだった。
「・・・いやいや、これは御殿じゃないだろう。小屋とまでは言わんが、普通───じゃないが大きさとしては普通の平屋建ての小さな一軒家、だろう」
やっとのことでそう言うと、ギンコは頷いて、
「確かに、御殿じゃあねえが、俺とお前が二人で暮らすのにはちょうどいい位の大きさだろう?」
あ?
なんで、当然のようにここに移り住む、みたいな話になるんだ? 俺には、診療所付きの家があるのに。夜中に急に呼びに来るかも知れない患者や怪我人がいるんだぞ?
寝不足で疲れた頭では、もうこの展開についていけない。
「なあ、化野。ちょっと中へ入ってみないか?」
何ですと?
「そりゃ、入ってみたいが・・・」
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