蟲師捏造話 5

□もしもしカメよ(P3)
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もしもしカメよ

(一)

小さな漁師町で町医家を営む化野先生は、腕がいい上に人が良くて腰も軽いと評判で、けっこう繁盛している。医家が繁盛、とはあまりよろしくない言い回しかも知れないが、まあ、それなりにけっこう忙しい。
玉に瑕なのが、蟲(むし)がらみの珍品・お宝に目がないところだが、おかげで、他の町医家なら首をひねるばかりの、いわゆる『蟲患い』の患者が出ても、知り合いの蟲師(むしし)を呼んで治してくれる。
蟲───と呼ばれる、われわれとは異質な生命の在り様でこの世に存するモノたち。ソレ 等=蟲と人とが出会って起きた障りを解き明かし、取り払うのが、蟲師の仕事だった。時にその過程で得た、あるいは道中や古物商で見つけた蟲がらみの品を、蟲好みの蒐集家に売りつけるのがまたいい稼ぎになっている。つまり、この化野先生、蟲がらみの品を売りたい蟲師たちにとって、けっこうな上客なのだった。

***

さて、蟲師のギンコが、いつものように、午後の往診も終わった頃合いを計って化野先生の家を訪れると、普段なら、この時分には診療録を書くとか、せいぜいカチャカチャと器具やらを片付ける音しか聞こえない診療室が、何やら騒がしい。
(蟲と関わって…のことなら何か手伝えるかも知れん)
と思い、診療室の窓からちょいと中を覗くと、化野はすぐに気がついて振り返り、
「いや───怪我人だ。暫くそっちの奥の部屋で休んでいてくれ」
ただの、と蟲師への説明ゆえに言いそうになった言葉を飲み込んだのであろう、わずかな間を挟んでそう言うのへ、ギンコも短く即答する。
「おう」
そっちの奥の部屋、というのは客間ではなく、玄関前の短い廊下の突き当たりにある部屋だ。痩せた土地には少ないが集まり過ぎると良くない蟲を『寄せる性質』であるギンコが、以前に泊めて貰った時に、『この家の中じゃ一番、蟲の寄りが少なくていい部屋だ』と言ったら、以来、毎度この部屋に泊めてくれるようになった。診察後すぐに帰すのは案じられる患者をしばし休ませておく病室として使っている部屋でもあるが、今や『ギンコの部屋』と化野家の家事を手伝う隣家のかみさんに呼ばれていることを、ギンコは知らない。
しかし、本当にあの部屋で寛いでいていいのか? 居間で待ってたほうがいいんじゃないのか?と一瞬ギンコが逡巡していたら、『あとは患部を押さえるだけ』の止血に移ったらしい化野が、続けて、
「あとは、出血が止まるのを待つだけだ。止まったのが確認出来たら家に帰っていい。今夜は静かにして、絶対に傷口は濡らさんように気をつけていろよ」
と、怪我人とその付き添い人に向かって説明するのが聞こえてきた。
不意に、化野はギンコを振り返り、
「今夜は泊まっていくのだろう、ウチに?」
「ありがたく」
とギンコは答えた。化野はニカッと笑って、
「ああ、すまんが、あの部屋に蕁麻疹の子どもを寝かせてあるんだ。急に容態が悪化するようなことはないと思うが、居るついでに様子を見ていてやってくれんか」
「おう」
と気安く請け合って、ギンコは母屋の方へと向かったのだった。

***

部屋へと行ってみると、いつぞや『雲喰み』にやられた子供らの、二人のイタズラ坊主の方の片割れが寝かされていた。
「おう、どうした?」
背中の蟲箱を下ろしながら声を掛けると、
「あ、ギンコさん」
と子供は───この子は、シンと言ったか?───暇をもて余していたのだろう、嬉しそうにギンコを見上げて、
「腕にブツブテが出たんだ、ほら」
と、宙に両腕を突きだして見せて寄越した。
見るからに痒くてたまらなそうだが、ついぼりぼり掻いてしまいそうになるのを堪えている、という風でもなさそうだから、そうでもないらしい。その腕をてかてかに光らせている軟骨がよく効いているのだろう。
「・・・ほう。出ているな」
と相槌を打ちながら、部屋の隅の方へ行って荷を下ろしていたら、
「感染るものじゃないし!」
と少し声を大きくした声で、シンが慌てたように、
「薬を飲んで出すもの出したら大丈夫だろうって」
避けられた? とシンは感じたようだった。
「けど、『今帰っても、家に誰もいない』って言ったら、『なら、ここで昼飯を食って、暫く寝ていけ』って先生に言われたんだ」
ひょっとして、『今、家に誰もいない』ってのは、他の兄弟やらが他所へ避難して行っちまったからか?
「もうそんなに痒くないし、全然痛くもないし、眠くとかもないんだけど、『そのブツブツを治すのに力が要るんだ。なのに、ちょろちょろ動き回っていたら、なかなか治らんぞ』ってさ」
「そうだな」
ニッと口の端を上げて同意を示しながら、ギンコは、木綿の貫頭衣の上に羽織っていた外套を脱ぎ、井桁に衣紋掛け(ハンガー)が掛けられているのを見かけて、それに掛けた。その下に、蟲除けの香と、そこ香を焚く為の小皿があるのに目を留める。蟲除けの蟲煙草とは言え、『子供の前で煙草を吸うのは、教育上よろしくない』という化野の配慮だろうか?
小皿に一匙、茶葉のようなその香を入れて火をつける。ようく日に当てた干し草のような匂いが、薄い煙と共に辺りにひろがった。この香を焚く度、『お天道様の光の匂いだな』と化野が言っている匂いだ。
そんな一連のギンコの動きを、シンは暫し黙って眺めていたが、当座の作業を終えてギンコが傍に腰を下ろすと、ニコッと笑って、
「ねえ、ギンコさん。何か面白い話、して」
「あー、そりゃ注文高過ぎだな」
と即答するギンコに、シンはぷっと吹きだした。
「じゃあ、何でもいいから。あっ、そうだ。日本昔話とかどう? ウサギとカメの駆け比べの話」
「あ?」
「えっ、知らない? ほら」
♪もしもしカメよ、カメさんよ〜♪ とシンは歌い出した。
「あー、そう言や─── 」
と、ギンコは頷いて、
「前に化野に貸された本に、そんな話があったな」
「貸された? そうなの?」
「ああ。ちなみに、そいつは『伊曽保(イソップ)物語』という異国の寓話集に載っていた話だ」
「あれっ、そうだっけ?」
「日本昔話として載ってる本もあるそうだがな。お前、本読むのが好きか?」
「うん!」
「ほう、勉強してんだな」
「違うよ。物語が好きなんだ。ねえ、駆け比べの話、して!」
「ああ、いや、読んだことは読んだんだが───『なんで、ウサギとカメが駆け比べなんぞをしなけりゃならんのだ?』とそこが納得いかなくてな。化野が好みそうなお宝の話も、あの話にゃ出て来ねえし─── 」
ぷっ、とまた子供は吹き出した。
「そっ───そう!」
「他にも色々あって・・・覚えてる話の筋が、元の話とちゃんと同じな気がしねえ・・・」
「いいよ。うん。その方が面白そう!」
「よし。後で文句を言うなよ」
「文句・・・ 」
シンは一瞬、笑いを堪えるようにイッと口を閉じた。
「うん、言わないよ」
「よし。
じゃあ、昔々、大きな川が流れる野原に」
「むかしむかしあるところに、じゃないんだ」
「あ? それでいいのか?」
「あ、これ、日本昔話の、だった」
「そうか」
「なんで、大きな川が流れる野原なの?」
「走るのがのろいカメなら水辺に棲むようなカメだろう。ウサギは、食い物の草や隠れたり逃げ込んだり出来る棘(いばら)や低木が生い茂っているような場所に棲む。カメもウサギも棲んでいる所だ」
「そっかあ」
「まあ、走るのが速い陸カメもいるが・・・そいつは置いといて、だ。
さて。この話のウサギには気になることがあった。ヤツの縄張りの内でよく見かけるカメ、コイツは、何時見ても、川縁のでかい石の上でじっとしているか、たまに動いている姿を見かけても、のこのこのろのろ恐ろしくのろまな動きで、隣の石の上に移動するところくらいしか見たことがない。それで、ある日、ウサギはカメに言ったんだ。
『カメさんよ、そんな、のろのろとしか歩けないのか?』
カメは、ムッとしたようだった。
『余計なお世話だ』
カメは、頭も手足もシュッと甲羅の中に引っ込めてしまった」
「あれ、駆け比べは? しないの?」
「だから、何でカメがウサギと駆け比べをしなけりゃならんのだ」
「でも、『駆け比べ』の話にならないよ」
「そうか。・・・すると、その時、ガサッと向こうの草叢が動いて、にゅっとキツネが顔を出した」
「うわ、いきなり急展開?」
「すぐに、ウサギはぴょーんと跳ねて向こうの草叢に飛び込み、棘の根元に逃げ込んだ。
だが、カメはそんなに素早くは動けない。
茂みの向こうからはゴンゴンと、キツネがカメの甲羅を叩いているらしい鈍い音が聞こえてくる。助けたい! 何とかしたいが、ウサギごときがただ出て行っても、カメを助けるどころか二匹でキツネのご飯とオカズになるだけだ。何かいい方法はないか、とウサギは必死で考えた。が、何も ちっとも思いつけねえ。
ガンッ!とひときわ凄い音がして、ウサギはビクッと身を竦めた。恐る恐る様子を窺うと、キツネは、痛そうに顔を歪めながらぷらぷらと前足を浮かせていた。業を煮やして思いっきり叩きつけたら、殴ったキツネの方が痛い思いをしたようだった。どうやら、すっかり甲羅の中に引っ込んじまったカメには、キツネも手も足も出ないようだった」
「あはは、ギンコさん、それ洒落?」
「いいや」
と平易な口調で答えて、ギンコは物語の続きを言い綴った。
「ウサギは、ほっとした。
(そうか、カメさんには頑丈な甲羅があるから、キツネより速く走って逃げられなくても大丈夫なんだ)」
「そっかあ」
「ところが」
「えっ」
「意外と諦めの悪いキツネにゴンゴンやられているうちに、カメは腹を上にしてひっくり返されてしまった」
「ええっ、お腹から食い破られちゃうの!」
「いやいや、そこらの浜で稀に見られる生まれたばかりの子カメなんぞとは違って、育ち上がったカメは背中も腹の方も固いんだ。
だが、このウサギも、お前さんみたいに発育途上の若いウサギで、そんなことは知らなかった。だから、このウサギもこう考えた。
(もしかして、いつも石の上でじっとしていたのは、柔らかい腹の方が常に甲羅の下になっているようにして守っていたからだったのか? 腹の方から襲われたら、お終いなんじゃ!)
思わず、ウサギは、棘の隠れ家から飛び出して、腹を上にしてひっくり返されていたカメトに゙ーン!と体当たりを食らわせた。カメはゴロンと転がって、ドボンと傍の川に落ちた。そして、勢い余ったウサギも一緒にボチャンと川に落ちてしまった」
「あれ、ウサギって泳げるんだっけ?」
「さてねえ。
まあ、この話のウサギは泳げなかった。バシャバシャ夢中で水を掻いて何とか水の上に顔は出せるが、すぐそこの岸へと近づけない。それに、岸へと目をやれば、すぐそこの岸にはキツネが立っていて、ウサギが這い上がって来るのを舌なめずりしながら待っている」
「うわあ・・・ 」
「どうするもこうするも考える間もなく、ウサギは速い流れに乗せられて、みるみる川の真ん中の方へと運ばれて行ってしまった」
「ええ──っ!」
「じきに、必死に水を掻いていた四つ足がもはや水面を叩いていたいことに、ウサギは気付いた」
「えっ、なんで?」
「ウサギはカメの甲羅の上に乗せられていたんだ」
はああぁ、とシンは安堵のため息を漏らした。
「よかったぁ。あっ、ねえ、ギンコさん、このキツネも泳げなかったの?」
「さてねえ。
このキツネ、ここで諦めたらカメもウサギも喰いっぱぐれてしまう訳だが、わざわざ毛皮を濡らして、水の中でカメと競争して体力を消耗するより、他の獲物を探した方がいい、と考えたんだろうな。キツネは追って来なかった。
という訳で、お互い得手なやり方で助け合って、ウサギもカメも、キツネから何とか無事に逃げ切れましたとさ」
「・・・あれ、駆け比べは?」
「いやいや、見事逃げ切って、キツネに勝っただろう」
「ウサギとカメの駆け比べ、の話じゃなかったっけ?」
「だから、なんでウサギとカメが駆け比べなんぞしなけりゃならんのだ?」
「そう言や、ギンコさん、最初っからそう言ってたね」
「カメの足とウサギの足じゃ、もともと用法も用途も違うんだ」
*用法:そのものの使い方、用い方。
*用途:その物やお金がどんな(範囲の)事に使われるかということ。
───(三省堂『新解明国語辞典』より)
と、ギンコは説明して、
「だからな、本当の速さを競うなら、カメは池を、ウサギは平地の同じ距離を走って速さを競う、ってのが公平ってもんだろう。と俺は思うんだが」
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