蟲師捏造話 2

□真っ赤な真実(P4)
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真っ赤な真実

 桜の季節が過ぎると、畝(うね)に、間を取って大事に蒔かれた作物の種が芽吹き、やわらかな新芽を伸ばし始める。枯葉色と土色にけぶっていた田畑は、みるみる新緑の色に覆われ、わずかに、条状(すじじょう)に残された小道の土色に縁取られながら、萌黄(もえぎ)色や若草色やら、植え付けられた作物の種類によって、とりどりの緑に染まってゆく。
 田畑を照らす日差しはやわらかく、暖かそうだったが、ギンコは、木々越しに里や田畑が見える里山の中の小道を歩いていた。
 この頃の田んぼの畦道(あぜみち)は、しばしば、ぬかるんでいて、崩れやすい。苗床ですくすくと育った稲の幼苗が植え付けられた田んぼには、たっぷりと水が張られているからだ。
 田んぼの端の方の草取りをしていた里人が、ふと、腰を伸ばしに立ち上がった時に、ちょうど山端の道まで下りて来ていたギンコの姿を見かけて、凝視する。
 老人のような総白髪の頭をしているのに、その下の顔など、よく見れば、おそらくは、まだ二十代後半くらいであろうと思われるような若さで、目は碧。加えて、簡素な綿服ではあるが、筒袖の貫頭衣や下衣に、革靴といった洋装に、ああ、異人さんか・・・とでも納得すると、しかし、その目は離れていくのが常だった。
 が、ギンコは外国人ではない。
 この頭も、白金に近い金髪などといったものではなく、正真正銘の白髪(しらが)だった。目の色が違っているのも、ところどころ『蟲(むし)』に『喰われた』せいで、こんな姿になってしまったらしい。
 喰われたのは、外見の色ばかりではなかった。たぶん、記憶を喰われていた。
 覚えているのは、十くらいの頃から。その時には、もう独りだった。
 見える者だけに見える、われわれとは異なる在り様でこの世に存在している『蟲(むし)』というモノーーーそんな『蟲』が見え、また、集まり過ぎるとよくない、この『蟲』というモノを、ギンコは寄せる体質だった。
 そのせいで辛いことも色々あったが、今は、その『蟲』による障りを取り除く『蟲師(むしし)』という仕事を生業にしている。ひとつ処に蟲を集め過ぎないように、と自ら、旅を棲み処(すみか)とし、流しで蟲師をやっているが、腕は確か、と自負していた。
 そんな、蟲師仕事への報酬や、仕事やその合い間に手に入れた蟲がらみの品々を、蟲好みの好事家連中に売りつけて得た代金で、ギンコの生活は成り立っていた。背に負う木箱のトランクに入るだけの中身が全財産で、貧乏舌の、贅沢知らずなギンコの暮らしは、それで充分賄えていた。
 だから、街場で宿を取りながら、きれいな街道を街から街へ辿って行くより、里山から里山へと抜けて、山小屋や、時には、親切な里の誰かの家や、蟲患いを治してやった者の家に泊めて貰える、という道行きの方が、気持ちも、財布も、いつものギンコには楽なのだったがーーー

* * * * *

「・・・まずいな。血が止まんねえ」
 とある里山の炭焼き小屋でひと休みさせて貰って、腹に巻いていたサラシを開いてみると、中当て用に、たたんで当ててあったサラシの上層まで、赤黒い血が染みていた。
 朝からでこれだけだから、ほんの少しずつではあるのだろうが、その『ほんの少し』が、なかなか止まらない。黄色っぽい染みは混じってはいないようだが、こうも傷がふさがらないのは、傷口が腐りかけてきているからなのかも知れなかった。
 女に包丁で刺された時、とっさに、包丁を握る女の手を掴むことが出来たので、傷は浅くてすんだものの、不覚にも、そのまま昏倒してしまった。意識を取り戻すと、すぐに、自分で処置し直して、ギンコのお得意様の一人である医家の化野(あだしの)先生に持たされてあった化膿止めの薬をつけたのだったが・・・
(ちっと、遅かったか・・・)
 ギンコは、独りごちた。
 この里の医家は、最近、代替わりした、と聞いていた。悪い噂は聞いてはいないが、
(・・・この上、ヤブかも判らねえ医家にいじられんのも怖えしな)
 隠居した、先代のこの里の医家は、と言えば、蟲師が大嫌いだった男だ。
 この里山と、その、もうひとつ向こうの里山を越えさえすれば、化野の診療所は、その山のすぐ麓
(ふもと)にあった。
 それにーーー
「化野んとこの方が、いい薬が揃ってそうだしな」
 口に出してそう呟くと、少し元気が出たようだった。
(ドブネズミに咬まれた猫の怪我も治した、とかいうお手並みにあやかるか)
 ニッ、と口の端を上げると、ギンコは、新しくたたんだサラシを傷口に当てて、腹帯用の綿布を巻き直した。そうして、木箱のトランクをまた背負い上げると、ギンコは、山道を歩いて行ったのだった。

(二)

 小さな漁師町で医家を営む化野の診療所は、その町を取り囲むいくつかの里山のひとつの麓(ふもと)にある。
 山の麓、と言っても、その山の片側は、小高い崖になっていて、その山と山を割って流れる広く緩やかな川の河口へと下れば、すぐに、浜へとつながっていた。
 こんな、田舎の町医家をやってはいるが、化野は、適塾で、蘭方の医学も修めてきた男だ。今でも、新しい医術書が出れば、適塾時代の知人が知らせてくれる、とかで、流しで蟲師をやっているギンコに、時々、その代買いを頼んでくることがある。その場合は、むろん、行き帰りの路銀は化野持ちだった。その上にまた、この『お使い』の駄賃もけっこう貰える。旅を棲み処(すみか)とし、日々の生活費=路銀とも言えるような生活をしているギンコにとっては、それは、楽で、割のいい仕事だった。
 ギンコが化野と知り合いになったきっかけは、蟲好みの好事家(こうずか)として知られる化野のもとへ、その、蟲がらみの珍品を売りに来たことだった。
 化野は、いい客だった。本当に、自分の欲しいものしか買わないが、買うとなったら、たいがい言い値で買ってくれた。ギンコも、化野相手には、あまりふっかけたことはないしーーーまあ、まったくない、とは言わないがーーー化野の欲しがるようなものは、今では、心得ている。
 時に、蟲師としてのギンコへの依頼も送って寄こすこともあった。
 適塾出身の医家の先生方は、各地で開業してからも、自分があまり詳しくない病の患者を診ることになった時や、自分の治療の方法で行き詰まりを感じた時など、塾の先生医家に相談や問い合わせの文を送ったりするのだと言うが、それと同じように、この化野先生という人は、蟲患いと思しき(おぼしき)症状に出会うと、蟲師であるギンコに、そういった文を送ってくるのだった。
 が、今回はーーー
(俺が患者か)
 そう言えば、患者として、医家の化野のもとを訪ねる、というのは、今回が初めてだった。
 それは、そうだ。
 流れ者は、医家になぞかからずにすむよう、平素から気をつけているものだし、まして、蟲師など、医家から見れば、よくて民間療法ーーー悪ければ、おそらく効きもしない呪い(まじない)のような手技や薬を治療と称して施す、医家を騙る(かたる)不届き者として、多くの医家に忌み嫌われていた。
 中には、化野のように、蟲師にも好意的な医家もいるが、たまに、(医家にかかりたい)と思うような時があっても、今回のように、運よく、そういった医家が近場にいることなどなかった訳で。
(そうだ。俺は運がいい)
 このペースで歩いて行ければ、日が暮れる前に、化野の診療所にたどり着くことが出来そうだった。
 最悪、途中で動けなくなったとしても、あの漁師町の里山の中でなら、その時分には、夕飯の仕度の為の薪(たきぎ)を取りに来ているであろうあの町の者の誰かが、麓の診療所まで肩を貸してくれるか、化野に知らせるか、してくれるだろう。
 もう少し行ったら、裾野の作付けは、田んぼではなく、豆かじゃが芋の畑に変わる筈だった。
(・・・向こうの里山の山道の入り口までは、山ん中じゃなくて、畑の縁の道を山沿いに迂回して行っか)
 連なる里山の向こうまで、空は、薄曇りに晴れていた。ぎらぎらとキツく照りつけるでない、明るく、過ごしやすい日向の道を歩いていけそうだった。

* * * * *

 ギンコが、化野の診療室・兼・住み家の前にたどり着いたのは、裏手の山なみにすっかり日が落ちた頃だった。
 いつも通りに歩いていたつもりだったが、歩幅も、速度も、いくぶん落ちていたようだ。この上、雨風にさらされたりして濡れ鼠にならずにすんだことを、ギンコは、天に感謝した。
 門代わりの、庭木の低木の脇を通ると、蜜のような甘い匂いが漂ってきて、ずっとギンコの周りにまとわりついていた血の匂いを、しばし、忘れさせてくれた。万重咲きの紫紅色のその花は、暮れの薄闇の中に沈んでいるが、この、庭木の牡丹(ぼたん)の花が咲いているのだ。
 玄関には、明かりが灯っていた。
 蔵と居間の間の前庭の方からも、庭木の低木越しに、ほんのりと明かりが漏れているのが見えた。
 化野は、忙しかった日の常で、その日の診療の記録書きなどの書類仕事を、居間に持ち込んでいるようだった。
(悪いな、化野。患者、ひとり増やしに来た)
 玄関の引き戸の横に据え付けられた、来客を告げる為の『ドア・ノッカー』なるものを打ち付ける。
 すぐに、軽い足音が聞こえてきて、よく聞き知った心地よい声が、穏かな返事を返した。
「はい。どちらさん?」
 カラリ、と目の前の引き戸が開く。ほんのりと、薬草の匂いがして、見る者の安堵をさそうように、おだやかに笑みを浮かべて、医家の化野が立っていた。
 おぼえず、ギンコは、蟲煙草(むしたばこ)をくわえた口の端を上げた。こちらも、笑みを浮かべて、
「よう」
 と、和やかに声をかける。
 が、ギンコを一目見たとたんに、穏かに微笑んでいた化野の眉が寄せられた。
 かすれるような声で、化野は、問うた。
「お前、どうしたんだ?」
 すっ、と化野の手が上がって、ギンコの額に当てられた。
 一瞬、どきりとして身動いだら、ふらついたと思われたのだろう、肩というか二の腕を掴まれる。
「お前、歩いて来たのか、ここまで?」
「あ?」
 何を、当り前のことを? と一瞬ぽかんとして、ギンコは、化野を見た。
 化野の手は、少し冷んやりとしていた。
 それを、気持ちいい、と感じた自分に、どうやら、少し熱があるようだ、と気づく。
 苦笑いを浮かべたギンコに、化野は、小さく息をついて、自分も苦笑した。
「まずは、中へ入って、荷を下ろせ、ギンコ」
 荷、と言われて、つい、ギンコは言ってしまった。
「実は、今日は、何の売り物も土産もねえんだ」
 どうも、いつもと勝手が違い過ぎる。
 が、そう言い出したら、
「ばかっ」
 と、鋭く叱責された。化野は、大きく溜め息をついて、
「今日のお前は、患者だろう」
「はは・・・違いねえ」
「よく来たな、ギンコ」
 掴んだ二の腕を、そっと引いて、化野は、ギンコを家の中へと招きいれた。
 靴紐を解こうと、框(かまち)に腰掛けると、化野は、ギンコの背のトランクを下ろさせにかかった。
 ギンコは、軽く抗って、
「このまま背負って運んだ方が楽そうだ」
「俺が運んでやる」
「大丈夫だ。俺、そんなひでえ顔してっか?」
「している」
 と、化野は言った。
 が、それ以上、無理に荷を奪おうとはせず、玄関口のすぐそばの、己が寝室へと案内する。
 そこには、今まさの化野が抜け出したばかりのような形に盛り上がった布団が敷かれてあった。
「ん? 寝てたのか、先生?」
「ああ。今朝は、夜明け前に往診に出たんでな。夕飯の後、ひと眠りし終えたところだ」
「悪いな、お越しちまって」
「ひと眠り・し・終・え・たところだ、と言っただろう。ちょうどいいから、その布団に横になれ」
 荷を降ろし、外套を脱ぐギンコに、あれこれと喋りかけながら、化野は、ふわりと大きな布団をめくってくれた。
「どうしたんだ。腹でもこわしたか? まさか、怪我をしているんじゃないだろうな」
 化野がめくってくれたところに腰を下ろしながら、ギンコは、
「ああ。腹、刺されちまってな」
 お前に診て貰おうとーーー
 そう言いかけたギンコに、
「刺されたーーー 」
 一瞬息をのむ音がして、ギンコは、自分で上衣の裾をめくり上げる間に、上から後ろ襟を引上げられて脱がされた。
 静かだが、緊迫した声が問う。
「いつ、どこで、どんな風にだ、刺されたのは?」
 胴に巻いていたサラシも、くるくると手際よくはずすと、化野は、ギンコの右の脇腹に厚く折りたたんだサラシが当てられているのを見て、それが、雑に外れ落ちないように、そこに手を添えて、
「横になるといい」
 ギンコは、臥床した。
 傷口にあてたサラシ布が濡らされて、そっと取り外される。布は、血の乾ききらないその傷に張り付くことなく、すんなりと剥がされた。
 しばし、化野は、傷の様子を調べていたが、じきに、額をぬぐうと、安堵の吐息をもらした。
「切れたのは、上っ皮だけだったようだな。大丈夫だ。腹の臓腑が収まっている袋の皮までいっちゃいないし、傷口の奥に汚れが残っていて膿んでいる、といった風もない。きれいな傷だ」
 知らず、詰めていた息をゆるめて、ギンコは答えた。
「刺されたのは、二日前だ。包丁で、こう、来たところをーーー」
 と、かるく手振りもまじえて、
包丁を持つ手と、それを捕えたところを示しながら、
「とっさに柄ごと手ェ掴んで防いだんだが、間に合わなくてなーーーしかし、その日のうちに血は止まっていたんだが、昨夜から、またちびちび出始めて・・・血が止まんねえんだ」
「そうか」
 赤黒く血の染みたサラシを捨てて、化野は、寝室の隅に常備してある往診鞄を開いて、傷口を清め、薬を塗布した新しいあて布を傷口に当ててくれながら、
「そのあて布は、いつ替えたんだ?」
「今日の昼頃だ。幸い、先生ん家が、すぐそこにあると思ってーーー 」
 不意に、化野は、大声を出した。
「誰に刺されたんだ!」
「あ?」
 驚いて、身動ぎ(みじろぎ)した拍子に、
(痛・・・!)
 顔をしかめたギンコに、ハッとしたように、化野は声を落とした。
「すまん。大丈夫か?」
「ああ」
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