蟲師捏造話 2

□白い月 2(P3)
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白い月 2

T 待宵(まつよい) 〜ギンコ〜

 陰暦の葉月(9月)も半ばの頃ともなれば、まもなく五穀の収穫の時期だ。
 薄曇りの穏かな秋の日差しが、豊かな黄金色(こがねいろ)に染まった田んぼや、田んぼを仕切るあぜ道や、その縁ぶちにまばらに茜色の花を散らす彼岸花(ヒガンバナ)を、暖かく照らしている。
 そんな、里山の裾野に広がる棚田のあぜ道を、ギンコは、とある海辺の町を目指して歩いていた。
 ミミズによく似た、くねくねと動く小さな蟲が、日の光とは異なる光の尾をひきながら、稲穂の合い間から、ギンコの足もとへとまろび出た。よく肥えた土壌の田畑では、しばしば見かける蟲だ。
「こらこら。お前らの棲み処(すみか)はそこだろ」
 かるく靴先で脇へ除けてやると、蟲は、また、うねうねと、ギンコの足もとのあぜ道から這い下りて、稲穂の合い間へと姿を消した。
 蟲(むし)。
 という、ふつう、人の目には見えない、われわれとは異なる生命の在り様で、この世に存在するモノたちーーー時には、人に害を及ぼすこともある、そんなモノたちを、その身に寄せる体質ゆえに、ギンコは、ひとつ処に居続けないよう、旅を棲み処とする暮らしを選び、そんな蟲たちが引き起こす様々な障りを取り除くことを生業(なりわい)とする蟲師(むしし)になった。
 また、そんな暮らしが己れの性(しょう)には合っている、と今では思う。
 が、根無しの暮らしで、風の向くまま、あるいは呼ばれるままに、この細長い島国を北へ西へと旅していると、時の流れるのが、やけに速かったり遅かったりしているような、奇妙な錯覚に囚われることがある。
 例えば、冬に向かおうという頃に、西へ、西へと旅していると、まるで、時が流れ澱んででもいるかのように、いつまで経っても秋だったりーーーまた、急ぎの仕事が重なって、北へ西へと目まぐるしく行き来していると、すっかり冬枯れた裸木の林を抜けた後で、のんびり栗拾いをする時間がとれたりするので、まるで、季節を追い越して、また戻って来たかのように感じられるのだ。
 それはそれで、野宿にやさしい、おだやかな天候・気候を享受したり、行く手の土地には一足早い季節の恵みを持ち運んだりするのを、ギンコは、楽しむことにしていた。
 が、ふとした折りに、自分が、ヒトの世の時の流れから外れた道を行き来しているような、不思議な感覚にとらわれるのだ。
 実際、ギンコのように蟲を寄せる体質の者は、人の世と同じ場所にありながら、共に存してはいない『蟲の時空』とでもいうような異質な世界に、容易く(たやすく)取り込まれてしまう。
 そこでは、時は流れ澱みーーーあるいは、逆流しーーーまた、人の世のすべての時とつながっていることもある、という。
 そんな『蟲の時空』に居続けると、人は、自分が人の世に戻ろうとしていたことも、己が人であることすら忘れ果て、いつしか己もまた蟲と化して、その時空の一部になってしまうのだ、と。
 そんな風にならない為には、そうした異層の世界には、決して長居はしないことーーー日めくりの暦(こよみ)をめくるように、そこで、どのくらいの時を過ごしてしまったものかを、常に意識していることが、数多(あまた)の先達(せんだつ)から聞いたところの『人である自分を保ち、人の世に戻ってくる為の秘訣』であるらしかった。
 それに、だ。二十代後半の筈のこの年にして、この総白髪(あたま)ーーーという見てくれで、暦の日付も定かでなくなっていては、まるで、本当の爺さん婆さんよりも呆けてしまっているようで、いささか、体裁が悪い。
 さて。
 暦の日付を数えたり、確かめたりするのに便利なもの、といえば、月の満ち欠けと、節句や祭りなどといった里の行事だ。
 街場では街場の、山里には山里の暮らしに合った、様々な祭りや行事があるもので、ギンコも、そういった祭りや節句の風習の真似ごとをして、自分なりに楽しむことにしていた。
 そして、晴れた夜には、必ず月を見上げる。
 明日は、十五夜。
 中秋の名月だ。
 流しの蟲師に、正確な期日の要る約束を取りつける者なdお、普段はいないのだが、明日の夜ばかりは、予約があった。
 この先の小さな漁師町に住む、化野(あだしの)という蟲好みの医家が、ギンコを、十五夜の月見に誘ったのだ。
 里の祭りとしてなら、葉月の十五日と言えば、盆踊りの方が一般的だと思うのだが、街の医学校に居た先生には、月見の方が馴染みであるらしかった。
 今年は、ちょっと変わった、美味い(うまい)月見団子があるから、ぜひ、喰いに来い!という。
 流れ者には、盆踊りなんて縁がないから、月を見上げて団子を食う方をやってはいたが、せいぜいそのくらいのことだった。
『月を見上げて、団子を食う、か
。はは。まあ、たいして変わりはないが』
 と化野は言ってはいたが、ギンコは、楽しみだった。
 縁側に、秋を彩る薄(すすき)や鬼灯(ほおずき)を活けて、月見団子を積み上げるーーー
 なんて、贅沢で面倒なことを、自分ひとりの為にしたりはしない。
(さて、と。ちっと、一休みすっか)
 ここまで来れば、あとはもう急ぐような道のりではなかった。むしろ、早く着き過ぎては、それだけ、早く出立たなくてはならなくなってしまう。
(今夜は、この先の山ん中の薬屋で買い物をして、ついでに泊めて貰って。明日の夕くらいに着けば、あいつん家に二晩泊めて貰っても、障りがねえかな)
 とーーー
 カタカタッ。
 と背負いの木箱のトランクの中から、伝書蟲の到来を告げる音が聞こえた。
 ウロ、という名のその蟲は、閉所を好んで棲む蟲で、とある空間から他の空間へと瞬時に移動する能力を持つ。その移動に巻き込まれれば、虚穴(ウロあな)と呼ばれる蟲の時空に引き込まれ、そこに取り残されてしまう、という怖い蟲だが、その蟲の特性を利用して、こんなふうに文を送る、というのだから、人ってのは、全く、たくましいものだ。
 木箱のトランクを開いて、引き出しから、虚繭(ウロまゆ)を取り出すと、ギンコは、専用の、鈎爪つきの蟲ピンを使って、今しがた届いた文を取り出した。
 紙縒り(こより)のように細くまるめられた紙片を開いて、読み進めるうち、ギンコは、ぼそりと呟いた。
「まあ、同じ方向だが・・・」
 その文は、そうした、ウロに運ばせる文の中継をしているウロ守からのものだった。
 化野の住む漁師町に続く山並みの中の、小さな村で、蟲患いの治療をしている蟲師から、ある薬草を届けて欲しい、という依頼が来たのだ、という。
 特に、ギンコを指名する、という依頼ではないのではあるがーーー
(・・・俺が行くのが、一番近いんだろうな)
 状況によっては、多少、手を貸すことも必要になるかも知れない。
「仕方ねえな」
 下の引き出しから、薄手の紙片を2枚取り出すと、ギンコは、自分がその仕事を受ける、というウロ守への返事と、宛名に化野の名を記した伝言をしたためて、ウロ守のもとへと書き送った。
 買う予定の薬の名を記した紙片に、もう数種類の名を書き連ねると、ギンコは、薬屋のある山へと、歩を速めたのだった。

U 宵の月 〜化野〜

「ギンコは、間に合わんそうだ」
 大きな南瓜(かぼちゃ)を抱えて、元気よく、化野邸へと続く坂道を登って来たいおに、化野は、眉をハの時に落として、そう言ったのだった。
「たった今、文が届いた。この先の里へ呼ばれたんだそうだ。ギンコは、薬の届け物をすればいいだけなんだそうだが・・・」
 こっくりと、いおは頷いた。
 この少女も、いわば、そんなふうにして、ギンコに助けられたようなものだった。ギンコが、どんな男かは分かっている。
「仕方がないなあ」
「・・・どうします?」
 と、いおは、化野にたずねた。
 にこっ、といおに笑いかけて、化野は言った。
「いや、月見はするよ。今夜と、ギンコが来た晩と二回しよう。俺は、ギンコと遊びたいだけなんだがーーー」
 にっこりと、いおが、同意の笑顔を浮かべたので、化野は、思わず微笑した。
「 −−−あいつが来られなかったからといって、俺たちも月見を取りやめたと知れたら、ギンコの奴、『守れねえから』とか言って、もう、こういう約束をしてくれなくなってしまうかも知れんからな。それに、十五夜のお月見だからな、月の入りより前に着けるようなら、夜中でも来るかも知れんし・・・
 それでな、すまんが、今夜と、ギンコが来たらと二回、例の、南瓜の団子を作ってくれると嬉しいんだが?」
 と言うと、
「いいですよ」
 と、いおは頷いた。

V 無月(むげつ) 〜化野〜

 薄(すすき)も、鬼灯(ほおずき)も用意した。
 ほくほくの南瓜をふかして作って貰った、外皮も、中身の餡も黄金(こがね)色をした月見団子も積み上げた。
 が、空は、東の方から八割がたに薄雲がかかっていて、星も、よくは見えなかった。
 満月は、濃い目の雲に阻まれることなく、その姿を見ることが出来たが、ぼんやりと薄雲に覆われていて、美しい黄金(きん)色の輝きを無くしている。
 まるで、満月を模して作られた、ただの、白い紙細工のようだ。
 ぼんやりと暗い闇夜に、ぼんやりと白い月。
(春らば、朧月夜と呼ぶような、これはこれで、風流な月の筈なんだがなあ・・・ )
 浜の方を見下ろすと、盆踊りの囲む火も、下火になってきているようだった。
 そろそろ、いおは帰してやらねばならないだろう。
「・・・来なかったなあ、ギンコは」
 白い月を見上げてそう呟くと、いおも、こっくりと頷いた。
 ギンコに会えなかったので、いおも寂しそうだ。
「まあ・・・月も、よく見えんしな」
 まあ・・・文は貰っていたのだから、もしや・・・などと期待する方が間違っているのであったが、化野はーーーいや、いおも、ちょっと、あがいてみたかったのだから、仕方がない。
 傍らに坐る少女を見やると、同じく、浜の火を眺めやっていた。
 が、すぐに気づいて、少女も、化野の方を見た。口の端に小さく笑みをのせて、少女は立ち上がった。
「化野先生。私、そろそろ、帰ります」
「うむ。そうだなあ」
 化野は、少女を見上げた。
「ギンコが来たら、網元のところに使いを出すよ」
 と言うと、少女は、にっこりと頷いた。
「ええ」
 今日は、ずいぶんと大人しい。
 いや、いつもが少し浮かれていたのだ、と化野は気がついた。
 ギンコが来ていたから。
 思えば、ギンコが去った後、浜で魚を運んでいた少女に声をかけた時は、やはり、こんなふうに物静かな風だった。
「それじゃ、さよなら、化野先生」
「うむ。気をつけてな」
 門代わりの庭木のところまで、連れ立って歩いてゆく。
 庭木のところで、別れを告げると、化野は、少女が、浜へと続く小道を駆け下りて、まだ人々の群れ集う網元の家の近くまで辿り着くまで見送った。
 少女の安全を確かめると、化野は、また中庭に戻って、薄と月見団子を並べた縁側に腰かけた。
 どうせ、月もよく見えないのだし、そろそろ雨戸を立てて、戸締りをしてしまってもいいかもしれない。
「もう、来ないかねえ、今夜は」
 月は、まだ中天にある。
 月見の宴には間に合わなかったと思っても、夜露をしのぐ宿を頼みに、ギンコがこの家を訪ねるには、まだ充分な刻限だろう。
 ギンコから来た文には、今夜の月見の宴には、自分は、間に合わない、という知らせとともに、その仕事を廻して寄こしたウロ守から伝え聞いたという、その里の患者らの症状も詳しく記されていた。そして、蟲患いのための薬草では効かない、何か別の病と思われる者があったら、医家がしておいて欲しい処置は何か、と尋ねていた。
 その山の麓に住む町医家は、化野も知っているが、蟲師が大嫌いな男なのだった。が、決して、性根も、腕前も悪い医家ではない。
 ギンコは、患者らの症状を聞いて、一応、医家も呼んでおくようにと、仲間の蟲師に進言したようだった。
 すぐに、化野も、文を送ってやった。
 ギンコたち、素人でもしておけるような処置の仕方と、自分名義の紹介状を、その山里の長宛てにして書き送ってやったのだったが・・・
 まだ、ギンコは、その里にいるのだろうか。
 それとも、ギンコが手を貸すような類いのことは終わって、もう、こちらへ向かっているだろうか。
 どうやっても、今夜はもう間に合わないから、と野宿の場所でも探しているか・・・
 今夜は、雨は降らなそうだが・・・
 思いのほか、難儀な蟲患いだったとしたら、ギンコがここに着くのは、もう4、5日くらい後になるかも知れない。
(流行病 -はやりやまい- のようなら、ここには寄らんかも知れんなあ)
 いやいや、そんなものなら、この町から、決して遠くはない村での話だ。病の詳細と、このまま、まっすぐは寄らないとか記した文も、追って、寄こしている筈だ。
「いかんな」
 と、化野は呟いた。
(俺も、もう寝んだ方がいいかも知れんな)
 そう思いながらも、ぼーっと、化野は、月を見上げていた。
(まあ・・・明日は休診日だし。明け方に、少し眠ればいいか)
 良夜とは、とても言えないが、夜通しの月見というのも、たまには、悪くはないかも知れない。
(ピカピカの満月を期待する目には、侘しい月だが・・・これはこれだ、やはり、きれいなものだなあ)
 ぼんやりと、薄雲におおわれて、華やかな光沢も、色もないのに、その白さゆえに、墨色の濃淡の中に、際立って浮かぶ、白い月。
 そんな白さは、なんとなく、ギンコを思わせた。
 白い髪。色の抜け落ちたような、白い肌。
 服装も、冬以外は白っぽい。
『それじゃあ、汚れが目立つんじゃないのか?』
 と、以前に聞いたら、
『蟲がついた時の染みに、すぐに気づくには、この色が一番いいんだ』
 と言っていた。
 不思議な、碧色のギンコの瞳。
 左目はなく、眼窩には、闇色の蟲が囚われているのだ、という。
 いつの間にか、化野のまわりには、碧色のものが増えていた。
 診察室の水差し。遮光の薬壜に、小樽焼きの湯飲みに、茶碗。使うあてもなければ、誰ぞに送る予定も勿論ない、玉かんざし、なんてものもある。
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