蟲師捏造話 2

□ヒブタマガイ(P8)
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ヒブタマガイ

 深い山並みから里山へと続く山道を、一人の男が歩いていた。
 丸めた広い背中に、背負い紐のついた大きな木箱のトランクを背負って、ゆったりとした歩調で歩いている。歩幅の広い軽い足取り。起伏の荒い山道も歩き慣れたその様子と、背に負った木箱のトランクの独特な形状から、この男の生業(なりわい)が窺えた。
 流しの蟲師である。
 ギンコ、という。
 前髪だけ目にかぶる長さの短髪の髪の色は、二十代後半の若さだというのに総白髪で、目は碧。やや猫背気味の中背(ちゅうぜい)で、必要な筋肉だけしっかり身につけた一見、細身の体は、筒袖の、ややだぼついた白い木綿の貫頭衣に、ズボンに、靴―――といった奇妙な洋装を、いかにも着心地よさそうに着崩していた。
 蟲(むし)。
 ―――という、われわれとは異質な在り様でこの世に存するモノたち。
 そんな蟲と人とが交差する中で生じた様々な障りを取り払うのが、ギンコたち蟲師の仕事だった。
 そんな蟲師仕事への報酬と、そうした仕事をこなす中で手に入れた蟲がらみの品々を蟲好みの好事家に売りつけて得た金で、日々の暮らしを賄っている。
 無論、全ての蟲師が『流し』でやっている訳ではない。
 ただ、ギンコには、集まり過ぎればヒトに障りを及ぼすという『蟲』を『寄せる』体質である、という厄介な特質があるのだった。半年も同じ場所に居続ければ、そこを『蟲の巣窟』にしてしまう。だから、ひとつ処に居続けぬよう、また、ひと月以上近い間隔では、同じ場所を通らぬようにと道筋を選んで、旅をし続けているのだった。
 そんな、行くあてのない旅の暮らしに疲れる時もないではないが、自分の性分には合っていると思うし、苦じゃあないとも、ギンコは思う。
 恋人は、共に旅して暮らす訳にも行かない町医家で、月に一度の逢瀬にとどめるしかないのは寂しかったが―――それで、かの人と、かの人の暮らす小さな漁師町を害することなく通い続けていられるものなら、それも甘受出来るというものだった。
 が、そんなギンコにも、悩みはあった。
 それは、その恋人のこと―――ほんのふた月ほど前、とある蟲がらみの椿事で、思いがけなく『蟲師で、蟲がらみの珍品・お宝を扱う行商人と、その友人で、蟲好みのお得意様』から『恋人同士』へと昇格出来た、かの人との『その後』について、だ。
 化野(あだしの)、というその恋人の医家先生とギンコは、未だに清い関係なのだった。
 決して、もう枯れたような年でもなければ、清くあらねばならぬような童子でもない、年頃の二人だというのに、だ。
 なにしろ、忙しいのだった。二人とも。
 めでたく告白し合って、実は両想いだった!と分かったあの時も、その次も、急の病人だの、かつぎこまれた怪我人だのに邪魔されて、その先の恋人らしい睦みごとへは進めなかったのだった。邪魔、だなんて言ってはバチが当たるというものだが、2度もお預けを喰らっているのだ。
 おまけに、ギンコの方にも、急ぎの蟲師仕事の依頼が入って来たりして、ギンコもまた、化野が仕事を終えて帰って来るのを待てずに、慌ただしく旅立って行くしかなかったのだった。
 蟲相手に、純粋な殺意を感じたのは、あれが初めてだった、と思う。
 というのは、勿論冗談だが、十割本音ではない、とも言えない。
 ぼりぼり、とギンコはうなじを掻いた。
(まあ・・・何だ。商談を、まず先にしちまうのも悪いんだが)
 が、生活費は必要不可欠だ。化野に売りそびれたなら、それは、他へ持って行かざるをえず、そうなったら、その他の客にそいつを見せびらかされた化野から恨まれるのは必定だった。
 それに、化野好みの珍品・お宝を取り出して見せてやった時の、化野の喜びようといったら―――!
 おぼえず、口の端がゆるんで、慌てて、ギンコは、くわえていた蟲煙草を指でつまんだ。
 あー・・・いや。
(それに、昼間のあの家は、何時でも、何処にでも、ひょっこり人が入り込んで来るからな)
 化野がこの家の家事全般を頼んでいるという隣のおばさんだのお譲ちゃんやら、医家の先生を呼びに来た町の人やら、仕出屋の小僧の御用聞きやら・・・
 野育ちのギンコと言えども、里の子供らや少女(むすめ)たちには、目の毒な大人の触れ合いなど晒さぬようにという分別はある。
 しかし、珍奇な化野の蒐集物に興味シンシンな里の子供らは、居間の奥の蔵部屋に並べられてある物ならば、縁側からちょっと覗き見すれば見られるとあって、何かと理由をつけては、しばしば、庭に駆け込んで来るのだった。
 娘らは娘らで―――化野とて、未だ枯れてない『男』には違いあるまいに、とギンコは思うのだが―――だが、まあ、ひと声呼べばすぐに隣家から人手が来ることになっている、医家の化野の契約のことは聞き知っているのだろう。ひと声悲鳴を上げれば、すぐに人が来てくれるだろうし、
『それに、ほら、化野先生には・・・ねえ?』
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