蟲師捏造話 2

□惚れ薬(P4)
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惚れ薬

 夕刻。
 仕事を終えた医家の化野(あだしの)の家の居間には、この日、初めて来た行商人が持ち込んできた、唐風、あるいは、南蛮風の、自称=珍品・希少品のお宝の類が、幾つも並べられていた。
 徳川の治世以来、長崎の出島でしか、外国との貿易はなされていないが、昔よりは、様々な決まりごとが、ずっとゆるやかになっていた。加えて、今では、国内産の品でも、渡来品に劣らないような、美しく、かつ、実用的な、日本人好みの色合いの品も、次々と造られるようになってきていた。
 今、この行商人が盛んに売り込もうとしているこの品も、おそらく、そういった国内産の品のひとつだろう。渡来品、と銘打った方が高く売れるので、詐称して売る者も多いと聞くが、唐人や、南蛮人の色彩感覚は、かなり違っているから、これらの品が、本当は渡来品ではないか、たとえ、本当に渡来の品であったとしても、思い通りの色に仕上がらなかったような安物であろうことは、容易に知れるものだった。
「ご覧下さいよ、センセイ。このリスの毛皮の彫りのこまやかさ! 葡萄の色づきも、よだれが出そうだと思いませんか?」
 タヌキなのか、本当に価値が分からないのかーーーおそらくは、その両方なのだろうが、舶来の品にしては安いが、よい品にも、そうでもないような駄作にも、同じ値段がつけられていた。
「ふむ。確かに、細かいな」
 化野は、頷いた。
「この毛並みの表現は、見事なものだな。撫でたら、気持ちよさそうだ。しかし、どこにでもあるような構図で、つまらんなあ。『リスと葡萄』の模様は、別に、俺の好みではないしな。
 それよりーーー 」
 その向こうの水差しには、目を惹かれた。
 これは、確かによい品だった。
「これは、いい色合いだなあ」
 化野が手にしたのは、珍しい、青みがかった緑色をした、蓋つきの、硝子の水差しだった。
 陽にかざすと、どこまでも透けるようでいて、その実、向こう側までは見通せないその色は、晴天の空を映した、深い、水のきれいな海の色にも似て、化野の心を惹きつけた。
 そのまま飾っても、美しいだろうが、これに水を入れて、窓辺に掲げて置いたら、たゆとう水の動きも、この、きれいな彩りの影に映し出されて、さながら、人工の逃げ水のような、幻想的な、美しい影が造り出されることだろう。
 そういえば、診療室の水差しは、この間連れられて来た小僧の患者が、手負いの山猫みたいに暴れて、叩き落して、割ってしまったのだった。
 見るからに効果なそれの、ばらばらに割れた様と、怪我の無い我が子をせわしなく見比べ、半泣きになっていた母親の顔を思い出す。
 そう、診療室の備品など、安物で充分。なるべく丈夫で、万が一、壊れた時にも、危険な、鋭利な破片などが飛び散らないような物がいい。次に買う時には、竹筒の水筒とか、いっそ、瓢箪(ひょうたん)でもぶら下げておくか、などと考えていたのだったがーーー
 これが、欲しくなってしまった。
 いや・・・まあ、あれは、置き場所も、置き方も悪かった、とも思うのだ。
 それに、この水差しの硝子は、以前に使っていたのと違って、分厚くて丈夫そうだし、木枠と、欄間(らんま)のように透かし彫りにした飾り扉でも、手前につけてやれば、日の光も遮らないし、この間のような壊され方をすることもないだろう。
 扉の模様は、葦や、水辺に生えるような草花をかたどったものにして貰おう、と化野は考えた。水辺のような彩りの影の上に、逆光に、その形だけを浮き上がらせているような葦の姿が影を落として、さぞ、綺麗なことだろう。
 仕事の合い間に、そんな、綺麗なものを眺められたら、たとえ、地獄の鬼のように忙しいさなかでも、ふと、心が潤うのに違いなかった。
 他には、たいした品はなかった。
「では、これを貰おうか」
 気前よく、言い値で支払いをすると、化野は、にっこりと笑って、どこか、おどおどと後ろめたげな男に、言ってみた。
「他にも、こういった物が手に入れて来られるのなら、貰いたいんだが、どうだろう?」
 本物の渡来品なら、こんな日用雑貨の銘柄などないから、確約するのは難しい。が、この国の内で作っている窯を知っているなら、別だった。
 へへへ・・・
 と笑って、男は言った。
「ちぇ。化野先生も、お人が悪いや」
 化野は、笑って、
「それなりの値で仕入れてくるなら、これからも、この値で買わせて貰うよ。好みな品を作る窯には、もっと善い品を造って欲しいからな。お前さんも、そうなった方が、いい商売になるだろう?」
 金を渡すと、化野は、急ぎ、品物を包もうとする行商人を制して、
「ああ、かまわんよ。もう、すぐに使うから。実は、前に診療室で使っていたものが、壊れてな。代わりが欲しい、と思っていたんだ。ちょうど良い物が手に入って、嬉しいよ」
 買い上げた水差しを持ち上げてみて、化野は、その肉厚な硝子細工の持つ安定感のある重さと、それでも、片手で、楽に持ち上げられるような大きさの絶妙さに、舌を巻いた。なみなみと水を湛えた後でも、これを持ち上げるのは、苦にはならないだろう。 
 本当に、よい品だった。
 手にした水差しを眺めながら、思わず、口もとに笑みをのぼらせた化野に、行商人の男は、嬉しそうに、
「いやあ、本当に気に入って下すったんですねえ、先生。実は、そいつを作った男は、俺の幼馴染なんですよ。壊れたら、また、作らせますんで、お入用になったら、どうぞおっしゃって下さい。何んでも、お好きなものを作らせますから」
「そりゃ、楽しみだなあ。考えておくよ」
 何度も振り返って、礼をしながら、その行商人は、浜から街道へ続く小道を下って行った。
 それを見送ってやると、化野は、今しがた買ったばかりの水差しを持って、大股で、台所へと歩いて行った。
 水差しを洗って、中に、半分ほど、澄んだ飲用の水を注ぎ入れると、診療室へと運んで行って、文机の前の出窓に置いてみる。
 すると。
 考えていた通りだった。分厚い硝子の水差しは、厚さの割りに、よく光を通して、文机の上に、緑青色の陰を落とした。たった今置いたばかりで、水面が揺れているので、文机の片側に落ちた緑青色の影も、まるで、沖合いに浮かぶ船から覗いた、深い海の底のように揺らめいていた
「おう。きれいだなあ」
 染料の混ざり具合にムラがあるのか、水の揺らめきか光の角度か、分厚い硝子の中で、微妙に色が混ざり合って、青が濃くも、緑の方が勝っても見える。
 そんな不思議さは、化野の知る、とある異形の男の瞳の色を思わせた。
 化野の友人でーーーこの小さな漁師町の『おかかえ蟲師』でーーー蟲好みの化野=垂涎の、蟲がらみの珍品・お宝を携えてやって来る行商人でもある男。
 ギンコ。
 というのが、その男の名だ。
 老人のようにまっ白な頭をしているが、化野より、幾つか若いらしい。
 らしい、というのは、この男が、おのれの生年を知らないからだった。
 この水差しの硝子の色のように、微妙に色合いを変える、不思議な緑青色の瞳をした、流浪の男。
 ひとつ所に集まり過ぎると、人に、何らかの障りを及ぼすという『蟲(むし)』を寄せる体質ゆえに、旅を棲み家とする暮らしをしている。
『前に来た時に、寄せてしまった蟲が、自然と、また四散してしまった頃に、また来るから』
 と言って、何事もない限りは、必ず、丸ひと月は開けてから再来するのが常だった。
「もう、そろそろ、また、来てくれてもいい頃合いなんだがなあ」
 思い出すと、無性に会いたくなる。飽かず、この不思議な色合いを眺めていたくなる。
 だから、普段は、あまり、あいつのことは考えないようにしていた。
 それでも、つい、何かにつけて、思い起こしてしまうのだ。奴も興味を惹かれそうな、蟲患いと思しき症例を、新しく買った医術書の中に見つけた時とか・・・あるいは、珍しい、旨いものを食べた時など、(ああ、あいつに食わせてやったら、喜ぶだろうなあ)とか・・・
 そうとも。こんな、綺麗な、不思議な色合いをしているから、珍品好きの自分は、つい、いつまでも眺めていたくなってしまうのだ、とーーーだから、あの腐酒(ふき)の亜種だとかいう蟲に憑かれた男が、ギンコに姿を変えて、化野の上に乗っかってきたときにも、つい、間近で見る、あの、不思議な色合いの瞳に見入ってしまって、振り落とすのを忘れてしまったのだ、と・・・
 つまりは、化野の抵抗を封じて口づける為に、あの時、あの蟲が、ギンコの姿を使って化野を欺いたのは、どんな美女に擬態するより、もっとも効果的な選択であった、ということだ。
 ということはーーー
 更に、その後の、自分の行動も謎だった。
 なぜ、そのまま、蟲に乗っ取られてしまうかも知れない危険を冒して、
『もしも、ギンコにも、この蟲の力を及ぼしてやったなら、誰に見えるか』
 なんてことが、知りたかったのだろう?と。
『蟲に操られかけてた時に考えてたことなんざ、、もともと、マトモじゃねえんだ。あんまり、深く考えねえ方が、身の為だぞ』
 と、ギンコは言っていたが。
 考えない訳にもいかない、と化野は思う。
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