蟲師捏造話 3

□禁恋歌(P3)
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禁恋歌(きんれんか)

「ああ、それは、巻之一千四百九十二・三之章に記した蟲(むし)だな」
 と、淡幽(たんゆう)はこたえた。
 彼女は、ギンコから、彼の遭遇した蟲たちとそれへの対処の話を聞いているところだった。
 その昔、他のすべての生命を消さんとしたという『禁種の蟲』が、その身の内に封じられている淡幽は、館に寄る数多(あまた)の蟲師(むしし)たちから蟲を屠る話を聞いては、その話を呪(しゅ)として、その身に封じられた蟲を墨文字と化して巻物に貼り付け、地下の穴蔵に封じ込めている。だから、ギンコの話す一風変わった蟲退治の話は、本当のところ、その半分が彼女にとっては『使えない』代物だった。が、そんな『使えない』話をねだって、ギンコにここに寄るように頼んでから、もう何年にもなる。約束通り、ギンコは、時々この館に寄っては、そうした『使えない』蟲の話もたっぷりとしていってくれる。
 今しがた聞いていた話も、そうした風変わりで『使えない』類いの話だった。
「やっぱり、ここでか。どうも、前に聞いたことがあるような気がしてたんだ」
 ギンコは、やっとすっきりした、といった顔をして頷いた。
「しかし、巻の一千四百九十二って、凄え大立ち回りの話ばかりだったように思うんだが、こんなチンケな蟲の話なんぞ載っていたかね?」
「それは、お前の解決の仕方がそうなだけだろう。他の蟲師なら、そうはいかんさ」
「チンケなのは、俺のやり方か」
 苦虫を噛み潰したような顔をして、ギンコは呟いた。
「チンケと言ったのはお前で、私ではないぞ」
 可笑しそうに、淡幽は言った。
「私は、お前の解決の仕方の方が気に入っているのだからな」
「そりゃ、どうも」
 ギンコは、ニヤッと笑った。
「しかし、見たこともねえ蟲もまだ山ほどいんのに、そう新種の蟲だのにあってもらっちゃ困るけどよ。巻の一千四百九十二・三之章だっけか? よく覚えてるよな、せこまで」
 感服した面持ちで、ギンコは言った。
「これが、私のつとめだからな」
 淡幽も、さらりと答える。
「それに、この話は、私が直に聞いた話だぞ。そう言うお前だって、前に読んだのを覚えていたから、わざわざ確かめに来たのだろう?」
 淡幽は、言った。
「お前こそ、相変わらず研究熱心だな。蟲の話は随分聞かされているが、そんな、何の事件も起きてはいない、金にもならん蟲のことまで調べているのは、ギンコ、お前くらいだと思うぞ」
 淡幽の声は、笑みを含んでいる。なぜ、ギンコが、そんな得体の知れなそうな蟲の正体だの蟲の異変だのにまで心を配ってくれているのか、彼女にはわかっている。わかっていることを、ギンコも知っている。
 蟲煙草をふかしながら、ギンコは言った。
「金にするのもしないのも、そうするのは人の本で・・・なに、知っていて損することはねえさ」
「で、その蟲は、ずっと山の奥の方まで、お前について行って、そこに住みついたのか?」
「ああ。今度のところなら、めったに人の来るところじゃねえから、居心地がいいだろう」
 件の巻の一千四百九十二・三之章に綴った結末を、淡幽は思い返した。あの話の蟲師は、『そこに巣食う蟲どもを根絶やしにする』ため、大きな池の水を干上がらせて、その池に棲むすべての生き物ごとその蟲を『退治』したのだった。
 が、そんな大掛かりなことをしなくとも、ただ、その蟲さえ他所へ移せば済むことだったのか―――
 この話を聞いた時の蟲師との対話を思い出す。
『殺さずに済むのではないか、と? 失礼ながら、それは実際に蟲と対峙した者でなければ言えぬことか、と』
 それは、以前にも他の蟲師の口から発せられたことのあるセリフだった。確かに、ここに居て、ただ、話を聞くだけの彼女に、その場に居て、命を脅かされながら戦っているそのやり方を、どうのと言われるのは忌々しいことだろう。そう考えるようになってから、淡幽は、時に、そう思うことがあっても黙っているのが常だった。が、この時は、つい、たまりかねてそう言ってしまったのだった。正確には、『池を干上がらせなくとも』という言い方を自分はしたと思うのだが、その蟲師の答えはそうだったのだ。
 が、ギンコの手にかかればこの通りだ。
(ほら・・・殺さずとも済むではないか)
 蟲も、人も生かす―――極力、そんな解決の仕方をするギンコが、淡幽は好きだった。ギンコ以外の蟲師は、そんな解決の仕方はしない。たまでさえ。大方の蟲師たちにとっては、蟲とは、滅すべき、忌むべきものなのだ。
 しかし、本当のところ、彼らは―――あんな言い方をして威張ってみせても―――恐れている―――『禁種の蟲』の棲み処(すみか)である淡幽を。
 そして、そんな恐ろしい蟲を身の内に宿しているというのに、怯えおののきもせずに、座して平然としている彼女自身もまた、彼らにとって不気味な存在なのだろう。
 が、
(毎日、一日中鳥肌を立てながらなど、暮らしていけるものか)
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