蟲師捏造話 3

□さんらん(P4)
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さんらん

 深い山脈のはずれに連なる里山から、その先の小さな漁師町へと下ってゆく山道を、何やら白っぽい姿をした一人の男が歩いていた。
 尻の辺りまで隠れる長さの白い木綿の貫頭衣に、薄茶色のズボンに靴、といった洋装としても風変わりな衣服に中肉中背の身を包み、革製の背負い紐のついた、大きな木箱のトランクを背負っている。
 背中を丸めて歩いているが、さして、疲れている風ではなかった。背中のトランクの重さを苦にしているといった風もない。ゆったりとした歩き方をしているが、その歩幅もまた、ゆったりと大きかったので、歩く速度は快速だった。
 年の頃は、二十代後半くらいかーーーなのに、短髪のその頭は、なぜか真っ白な総白髪だった。前髪だけ、目が隠れるくらいに長かったので、左の目は見えなかったが、髪の分け目から見える右目は、硝子(ガラス)玉のように綺麗な碧(みどり)色をしていた。
 が、異人の顔立ちではない。
 男の名はギンコ。流しの蟲師(むしし)だ。
 蟲(むし)。
 −−−という、われわれとは異質な生命の在り様でこの世に存するモノたち。ソレ等(ら)、蟲と人とが出会って起きる様々な障り(さわり)を解き明かし、取り除くのが、ギンコたち蟲師の仕事だった。
 また、そうした『治療』をする中で生じた蟲がらみの珍品ーーー時には、古物商から、売り物になりそうな、そういった品を手に入れてきたりもするーーーを、蟲好みの蒐集家連中に売りつけたりもする。
 そんなギンコのお得意様でーーー珍品売りとしても、蟲師としてもーーー大切な友人で、そして、今や、晴れて恋人になった化野(あだしの)先生が、この山道の行く手にある小さな漁師町に住んでいる。
 その町で町医家を営む化野先生の診療所も連ねた住み家は、この山道を抜ければ、ひょいと一跨ぎ(ひとまたぎ)、ひとっ飛びで行き着けそうなくらい、すぐ、そこに見えるのだ。
 が、実際にはあと、もう一息ーーー裾野の薄が原(すすきがはら)を、うねうねと横這いに渡ってゆく小道を辿って、化野邸の正門から、前庭の隅を通って玄関口に至る、のが山越えして来た時の、いつものギンコの道筋だった。

*   *   *

 山道の出口から見やった時には、縁側の雨戸も居間の障子もすっかり開け放たれているように見えたので、とりあえず、化野は家に居るようだと思いながら、ギンコは歩いて来たのだった。
 いつものように、玄関脇の『どあ・のっかー』を二回打ち付けて、来客の意を告げる。
 本当は、住み家側に面した中庭か、まだ、診察中の時間帯なら、診察室の前の前庭に顔を出して、よう、と手を振って見せた方が分かり易いのだが、この『どあ・のっかー』という奴、
『せっかく、いい音がする物を買ったんだがなあ。皆、ガタガタと引き戸を叩くばかりで、誰も使ってはくれんのだ』
と、ある時、化野が嘆いていたので、以来、ギンコは使ってやることにしている。
 が、いつもなら、その音に喜び勇んでやってくる、とたとたと軽い化野の足音は、しばし待てども、聞こえてはこなかった。
「あ?」
 いや、あれだけ開け放ったまま留守ってことはねえだろ。
 そう考えて、ギンコは、とん! とん! と今一度、大きく、ゆっくりと、『どあ・のっかー』を打ち付けた。
 が、それでも、まったく出て来る気配がない。
 家の中からは、物音ひとつしなかった。
(あれ、留守だったか?)
 ギンコは、首を傾げた。
 すっかり、開けっ放しのように見えてたんだが。
 大きな庭石と、庭木の低木の間から、中庭を覗き見る。
 いや、やはり、縁側から居間の奥まで開け放たれていた。
 昼寝でもしているのだろうか?
 医家は、真夜中でも呼ばれて、そのまま寝ずの仕事が入ったりする。昨夜の眠りが少なかった分、夕飯前にちょっとうたた寝するつもりで、そのまま、ぐっすりと眠り込んでいるのかも知れなかった。
 しかし、これでは無用心だろう。
 起こすか、化野が目覚めるまで、留守番しがてら、傍で寝言でも眺めていてやるか、などと考えながら、ギンコは、化野邸の住み家側の庭へと足を踏み入れた。
 中庭を渡って、縁側から、家の中を覗きこむ。
 が、居間の畳の上に、化野の寝姿はなかった。
 すっかり眠る態勢で眠る時には、化野の寝室である玄関側の部屋の障子は閉めて眠るし、日の明るさに眠りを浅くされないように、雨戸も半分閉めて眠るのが常だ。
 ならばーーー
 と、振り返って、ギンコは、背後の、中庭に立つ化野の蒐集物用の蔵の扉を見た。
 きっちりと閉められてはいるが、大きな南京錠がついていない。
 確かに、この蔵の中に居たなら、玄関口から鳴らした『どあ・のっかー』の音も届かないかも知れない。
 にっ、とギンコは口の端を上げた。蔵の扉の合わせ目に口をつけるようにして、
「おーーい。化野先生」
 と、中に声をかけると、
 おっ。
 と中から声がして、とたとた・・・と小さな軽い足音らしき音が、奥の方から聞こえてきた。
 じきに、ギギィと分厚い蔵の扉が開いて、
「おお、ギンコ!」
 見慣れた藍色の着物姿の化野が現れて、ギンコを見た瞬間、ぱぁッと瞳を輝かせた。
「よく来たな。まあ、上がれよ」
 満面の笑顔で、無邪気な喜びをあらわして、化野は、くいと左手の親指を上げて己が背後を指すと、ギンコを、昼なお薄暗い蔵の中へと誘った。
 と言っても、こいつは、決して『昼下がりの情事』の誘いなんかではない。
 どうやら、また、何か、ろくでもないーーーあー、いや、『いいもの』を買ったらしい。
 まあ、時には、化野の蒐集物自慢の聞き役に徹してやるのもいいだろう。この度は、ギンコの方には、売り物がなかった。
 晴れて恋仲になれてからは、可能な限り、せっせとこの家に通ってーーー即ち、蟲を寄せる体質であるギンコが、この町の人々や山河に障りが出るほど蟲を寄せ過ぎてはいない、と考えられるギリギリの所で、きっかり三十日毎にーーー来ているのだが、その間、けっこう忙しく蟲師仕事をこなしていても、その副産物である蟲がらみの珍品・お宝の方は、出ない時は、まったく出ない訳でーーーそんな時は、その蟲師話だけを土産に持ってくることもある。
 先に、ギンコは言い置いた。
「あー、今回は俺、売り物(うりもん)はねえんだ」
「そうか」
 化野は、残念そうな顔をした。が、また、にこっと笑って、
「いやいや。こっちも、立て続けに買い物をしたばかりでな」
 それでな。
 といった顔つきで、にこにことギンコを見、蔵の奥へと目線を流す。
 蔵の中には、先客が居た。
「お? あんたはーーー 」
 歯ッ欠けの小柄な蟲師は、去年の『蟲ピン的当て大会』の上位戦で一緒になった、蟲(ポチ)憑き蟲ピンの使い手だった若い蟲師だ。
「こんにちは、ギンコさん」
 歯ッ欠けの蟲師は、にこっ、とお辞儀した。
「よう」
 と、ギンコも会釈を返す。
「あ? やはり、知り合いか」
 化野は、ひこひこと頷くと、右手を上げて、壜底がその手のひらに収まるくらいの大きさの、広口の硝子壜(ガラスびん)を、ギンコの目の前に掲げて見せて、
「今、この山太(ヤマタ)から、これを買っていたところだったんだ」
「あ、砂?」
 いやーーー
 無色透明なその硝子壜の中には、壜の半分くらいまで入れられた砂の上に、小さな巻貝?がひとつ、見目良い角度を保つために、やや、砂に減り込ませるようにして、ちょこんと置かれていた。
「−−−よく見ると、星のような形をしている粒があるだろう」
「あ?」
 珍品は、この巻貝のようなものじゃあなく、砂の方なのだ。
(星型をした砂粒、ねえ?)
 どれ、とギンコは、ジッとその砂粒を見つめた。
 確かに、変った形をしていた。
 普通の砂粒のような、細かい顆粒の中に、同じように、細かいヒトデ型のような形の粒やーーーもとい、こいつが星型だというのだろうーーーもっと沢山の先の丸い針状の小さな突起が付いているような粒が見えた。
(ん?)
 ふと、奇妙な気配を感じて、ギンコは、目を眇めて、その硝子壜の中身を見つめた。
 蟲の気配? が、するーーー?
(いや、違うか)
 ん〜、よく分からんな、と思いながら、ギンコは、つい傾げていた首を元に戻した。
 そんなギンコの様子を、興味深げに眺めやりながら、化野は、
「ああ、蟲じゃないぞ、こいつは。お前が調べたがるような」
 なんだ。
 それに、安堵しつつも、ちょっとがっかりしながら、ギンコは、
「いやいや。お前の大好きな、だろ?」
 と混ぜっ返しながら、
「へえ、蟲じゃねえんだ」
 化野は、頷いて、
「これは、ホシズナというものだ」
「ほしずな?」
「星の砂、と書く。が、名前は砂だが、砂ーーーつまり、岩や石が風化して細かくなったものじゃあない」
「ほう?」
「星砂(ほしずな)、というのはな、有孔虫目(ゆうこうちゅうもく)に属する原生動物なんだ。もっとも、この硝子壜の中の星砂は、もう生きてはおらんから、正確には、その死骸の殻(から)だがね。暖かな南の島の浅瀬に住む生きものでな。大きくなって、この大きさなんだ、と言われている。そんな、微細な生きもののーーーこれは、まあ、成れの果て、という訳だ」
「ほう」
 と頷いて、ギンコは、その砂のようなモノを見つめた。
 不思議な星型の形状だけでなく、色も、その辺によくある濃い灰色や茶色混じりの砂とは違う、乳白色の、きれいな砂だった。
「なるほど。こりゃあ、珍品だな」
 ギンコは、頷いた。
 だろう?
 と、にこにこと化野は頷いた。ギンコの目にもお宝に見えたのが嬉しかったようだった。
 が、ギンコが考えていたのは、
(へえ。コイツは、いい値で売れそうだな)
 何処かの浜で手に入れて来たものなんだろうか? それとも、どこぞの仲買人から仕入れて来たのか? だったら、仕入れ値が幾ら位のものを、幾らで売ったんだろう?
 等など、売主である山太に、後でそれとなく聞いてみよう、と考えながら、
「で、一緒に入ってる、この巻貝は?」
 その貝殻も、この砂ならぬ砂地によく似合うような、やはり乳白色の、きれいな貝殻だった。
 ただ、惜しいかな、殻の奥が、煤けたように黒っぽい埃だらけだ。
 何か、珍しいいき物だったもののーーー化石、というほど古くはないだろうーーー標本的価値のある殻、みたいなものなのだろうか?
 いや、砂地に巻貝ーーー案外、金魚鉢の中に竜宮閣の置物を入れたがるようなものなのかも知れん。
 などと考えながら、そう聞くと、化野は、なぜか、ごほ、と咳払いをして、
「蟲のな、『忘れ形見(がたみ)』だそうだ」
「蟲の忘れ形見?」
 何だ、そりゃ?
 と化野を見やると、化野は、
「蟲というモノは、ふつう、死んだら、骸(むくろ)も残さずに消えるものなのだろう? しかし、この蟲は、この星砂のように、こういった『殻』が残るんだそうだ」
「ほう?」
 『殻』の残る蟲。
 更に、詳しく言えばーーー
 われわれと同じ在り様でこの世に存する物を材料にして、己が棲家(すみか)とする殻(から)を生成し、残す蟲。
 −−−で、ギンコは、己が記憶の中に検索をかけた。
(ヤドカリみてえに、空いた貝殻を使う蟲、ってんなら、聞いたことがあるが・・・)
 そのまま黙り込んでしまったギンコの様子を、化野は、小首を傾げて伺い見ていたが、そのうち、ふむと頷くと、ギンコが、まだ何も訊かぬうちから、言い足した。
「実は、貰い物なんだ、これは。知り合いの蒐集家仲間から貰った」
「ほう」
 自分は買ったものを、無料(ただ)で。
 と目を丸くするギンコに、思わず苦笑しながら、化野は、説明した。
「そいつは、蟲が見える性質(たち)の男でな。コレを買う、と決めた時には、その貝殻の奥の方に、何やら、影とは違っていそうな黒っぽいものが蠢いて(うごめいて)いるのが見えたんだそうでな」
「ほう?」
 黒っぽい、蠢くモノ。影とは違っていそうなーーー
「で、『こりゃあ、この中の蟲は、まだ生きているぞ!』と思って買ったんだそうだが、一度、仕舞って、また開けてみたら、この通り、貝殻の中は黒く煤けたみたいに汚れているだけで、その黒っぽい何かは、すっかり姿を消してしまっていた、と言うんだ」
 と、化野は、話しつつ、自分も首をひねりながら、
「居たのに、逃げられてしまったものか、最初に(見えた!)と思ったのが錯覚だったのかーーーこの貝殻を割って、中を検めて(あらためて)みようか? とも考えたんだそうだが、しかし、『蟲が生成した物』だと言うのには、嘘ではなさそうな講釈がついていたしーーー壊しちまう、というのも、また忍びないような気もするしーーーというのでな。そうだ、俺なら、気に入るんじゃないか、と思って、俺にくれた、という訳だ」
「そうか」
 と頷いて、また、ギンコは、その貝殻を見つめた。
 黒っぽい、蠢くモノ。
 蠢く、って言うと、例えばーーー
 もぞもぞ、とーーーいや、にょろにょろ、と?
 不意に、子供(ガキ)の頃、イサザと、釣り餌のミミズを集めて入れておいた壜の中身が、鮮明に思い浮かんできた。
 うおっ。
 と、思わず、ギンコは、ぶるっと首を震わせた。
 あー・・・いやいや!−−−そんなのじゃあないだろう。貝殻の奥の陰影と見紛う(みまがう)ような蟲なら、そんな、にょろにょろしたモノではなくて、塵(ちり)や靄(もや)のようなモノとか、あるいは影のように実体のないモノだろう。
 ふと気がつくと、化野が、びっくりしたように、そんなギンコを見つめていた。
「あ? いやーーー 」
 とギンコは言ったが、化野は、その貝殻を見つめて、ちら、とまたギンコの方を見て、おそるおそる、といった風に声を潜めて(ひそめて)、
「もしかして、何か、居そうなのか?」
「いや・・・」
 あいまいに頭を振りながら、ギンコは、貝殻から目線を上げると、ぐるりと、辺りの、蔵の中も見回して、
「俺にも、何の蟲も見えちゃいねえし、生きている蟲の気配も、この中からはしちゃあいねえ、と思う」
 そうーーー
 思うんだが、何故だか、いねえ、とまでは、はっきりとは言い切れんような気がする。何故かーーー
 なぜだろう?
 そして、そんな、どうにも煮え切らないギンコの言い様に、化野は、目をきらきらさせているようなーーー
 くそっ。
 また、妙な蟲に喰われかけてんじゃねえだろうな、と思って、こっちは、心配してるってのに。
 いやーーー考えようによっては、そんなの、いつものことだった。
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