蟲師捏造話 3

□闇雲(P13)
1ページ/13ページ

闇雲1

☆注意1・・・ギンコ&イサザ話です。
☆注意2・・・『蟲師』原作全十巻およびオフィシャルブックによりますと、ギンコとイサザの関係は、『齢=十余りで漂泊の民=ワタリに拾われた、白髪碧眼の、蟲を寄せる体質の子供と、ワタリの子供で、旧知の間柄』。そこから先の詳細設定は、ワタリや光脈等についての説明等、殆ど色々細部に至るほど捏造です!―――どうぞ、『蟲師』原作(特に第4・6・10巻)をご覧になり、正しい設定をご確認下さい♪
闇雲 1

 子供の頃、少し年下の子供の面倒をみていたことがある。
 イサザが『仕入れて』きた『噂』を元に見つけた―――と言うか保護した―――子供だったので、イサザが面倒を見ることになった子供だった。
 イサザ自身、『里の普通』というものが、まだ、よくわかっていなかったあの頃―――もの心ついた頃には、もう、この流れゆく民『ワタリ』の群れの中にいて、里の人らに比べれば、ずっと『普通』の範疇が広かったであろうイサザの目から見ても、その子供はちょっと『変わった』子供だった。
 あれは、イサザが十三の頃―――
 『光脈筋(こうみゃくすじ)』を旅して、見回りつつ、土地の人らの『噂』を集め、そうして己が目耳で集めた情報を元に作った最新の『光脈図』や、あるいは、売れそうな『噂』があればそれも売る、という『ワタリ』の『生活の立て方』を自分でもやってみ始めた頃だった。

* * *

 深い山の中を行く道を、細々とした列をなして、ひと群れの老若男女が歩いてゆく。
 粗末な形(なり)の群れだった。
 丈の短い袖なしの着物に包まれた体躯は、皆、骨太で頑丈そうだが、痩せている。その手や背に負った大小の荷から垣間見える物どもが、彼らが旅を住処(すみか)とする人の群れであることを示していた。子供も二人歩いていた。が、その子らも、他の大人ら同士も、血の繋がりを思わせるような何かを感じさせる者らは誰もいない。
 その名を知る人々には、『ワタリ』と呼ばれる人の群れだ。
 『ワタリなんてのは、蟲(むし)のために里からあぶれた奴らの流れ着くところだ』
 イサザは、そう聞かされていた。
 蟲―――という、われわれとは異質な生命の在り様でこの世に存するモノたち。
 そんな、見える者にだけ見える『蟲』というモノが見える体質の人らの中には、そんな奇異な体質を逆手にとって、その『蟲』によって引き起こされる様々な障りを解き明かし、取り払うのを生業(なりわい)としている人らもいる。『蟲師(むしし)』と呼ばれる生業の人らだ。
 が、蟲のために、『光脈筋』から離れられない人らもいた。そんな人らが寄り添い、集って、出来たのが、この『ワタリ』と呼ばれる人の群れだった。
 『光脈(こうみゃく)』とは―――それを河に例えるなら、その河を流れる『水』は、すべてのものどもの存在・活動を根源的に支える生命そのもの、とでも言えばいいだろうか?
 『光酒(こうき)』と呼ばれるその『水』の、いわば『水蒸気』である精気が、その『河』の流れる地底から―――いや、その上に繁る木の葉の一枚一枚からも立ち昇り、そこに在る全ての生命に恵みをもたらし、生きる力をいや増す所―――それが、『光脈筋』だった。
 そんな『光脈』の恩恵を、その時々で十分に受けられる土地土地を巡って、ワタリの人らは流れ続けているのだった。
 彼らの命綱とも言うべき『光脈』の『流れ』を追って、ワタリの人らは流れ往く。
 時に道筋を変えるその『流れ』を見失うことのないように、幾つもの群れに分かれてそれを追い、旅をしながら、土地の人らの噂を集め、また己が目耳を澄ませて、その『流れる』土地に異変はないか、その変動の僅かな兆し(きざし)も見逃すことなく、彼らの地図に記して、伝え合う。
 ワタリの地図―――即ち、最新の『光脈図』だ。
 むろん、『光脈』を見回るだけでは食べてはいけないから、川魚や山の実りを採取して食べたりもしているし、少し余分に採らせて貰った物を、持ちのいい干物や細工物にして麓の里や村で売り歩き、お金や、山では手に入りづらい物を交換で、手に入れたりもしている。
 が、そうした里の人らとの交流の中で『噂』を集めることの方が、やっぱり、主要な目的であるのだろう、とイサザは思う。
 そうして作った『ワタリの地図』を必要とする人らは、イサザたちワタリの他にもいる。
 蟲師や、薬売りなどの行商人たちだ。
 そういった人らに、その最新の『光脈図』や、あるいは、集めた『噂』の中で、彼らの生業にかかわる『噂』―――例えば、蟲による障りと思しき異変の情報を売って、金にする。
 ワタリとはそういう人らだった。
 イサザは、そんなワタリの子らの一人だった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ