蟲師捏造話 3

□猫踊り(P2)
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猫踊り

 夕刻。
 食後に、幾つか残っていた診療録も書き終えた医家の化野(あだしの)は、縁側に腰掛けて、趣味の、蟲がらみの珍品・お宝名鑑本の頁をめくっていた。
『季刊 蟲好み 夏の号』
 最新刊だ。
 街の骨董屋から、この雑誌を買い付けて来てくれた男は、急ぎの仕事が入ったからと言って、化野に、頼まれていたこの本を渡すと、すぐにまた、この先の里へと旅立って行ってしまった。
 男の名は、ギンコという。
 流しの蟲師(むしし)だ。
 蟲―――という、われわれとは異質な生命の在り様で、この世に存するモノたち。
 ソレら蟲と人とが出会って起きた様々な障りを解き明かし、取り除くのが、ギンコたち蟲師の仕事だった。
 そして、そんな、集まり過ぎると、それだけで良くないことになるという蟲を、ギンコは『寄せる体質』なのだった。ゆえに、ギンコは、蟲を寄せ過ぎる程に長く一つ所に留まることはするまいと、『流し』の蟲師を生業としている。
 けれど、そんな浮草稼業も、
『なに・・・ 性分に合ってるし、苦じゃあない』
と軽く、ギンコは言う。
 化野がギンコと出会えたのも、そんなふうに、ギンコが、旅を棲み家とする身で、風の向くまま、気の向くまま、全国津々浦々のどこへでも出かけて行くのを苦にしない性分であるからだった。
 『蟲好みの蒐集家として名高い化野先生』なら、喜んで、ギンコが己が蟲師仕事をこなす中で手にした蟲がらみの品々を、良い値で買い上げてくれるだろうと、ギンコは、この片田舎の小さな漁師町へも、ふわりと流れて来てくれたのだ。
 その折に、ギンコが、化野の前に並べて見せてくれた品々といったら!
 自身も、蟲がらみの珍品の類いと言ってもいいような、異彩の風貌をした男だった。
 二十代後半の若さで総白髪。隻眼の右目は、水のきれいな深い海の色を思わせるような碧(みどり)色。
 尻まで隠れる長さの木綿の白い貫頭衣に、ズボンに、靴、といった、洋装にしても変わった服装を着心地よさそうに着崩して、あの蟲師特融の持ち物である、背負い紐の付いた大きな木箱のトランクひとつで旅している。
 そうやって、化野の恋人となった今も、変わらず、流れ続けている。
 そんなギンコを、切なく想う。
 それでも、化野と恋仲になってからのギンコは、ほぼ三十日置きに、化野に会いに来てくれる。ほぼ三十日置き、というのが、この町に蟲を寄せ過ぎないギリギリの間隔であるのだった。そのギリギリの間を測って来てくれるのだから、マメな恋人であると思う。
 夕刻、化野が仕事を終える頃を見計らって、ギンコはやって来る。
 くわえ煙草で、『よう』と片手を上げて。
 その身に寄る蟲を散らす為にと、ギンコがしばしば吸っている蟲煙草(むしたばこ)の匂いが、まるで香を焚き染めたように、いつも、ギンコの周りに漂っている。
 いや、ただの蟲煙草だけの匂いとは違う―――ギンコの体臭混じりの。
 目を閉じれば、浮かぶ―――
 くわえ煙草で、化野を見て、わずかに口の端を上げて笑む顔。
 触れ合う互いの片頬と、うっすらと汗ばむ項。
 いつも、胸元の釦を三つ外して、楽そうに緩められた襟ぐりから匂い立つ蟲煙草とギンコの匂い。
 それが、化野の特製ヨモギ湯に浸かって旅の汚れや疲れを落とすと、一時だけ、ギンコも、化野と同じヨモギ湯の匂いになる。
 この前に来た時も―――
 今や、客用でさい、ギンコの浴衣を着たギンコが、我が家の薬湯の匂いを漂わせていたので―――
(うちの匂いだ!)
 不意に、そう強く感じて、化野は、とてもうれしくなった。
 何だか、ギンコが、もう、すっかり『うちの人』になった気がして。
 思わず、しみじみと、
『もはや、夫婦同然だな』
 思ったことが、つい、そのまま口に出た。
 そうしたら、ギンコは、ぼりぼりと項を掻いて、
『通い婚かね?』
 ほんのりと目元が色づいて見えるのは、単に、湯上りであるせいだろうか? それとも、照れているのか?
 言った化野も、頬が熱くなるのを感じながら、にまにまと口元をふやけさせて目線を落とす。
 ところで、
『通い婚?』
 と首をひねって、化野は、ギンコに問うた。
 じゃあないだろう。
 と言いたかったのだが、ギンコは、
『あー、通い、ってことは、ここは俺ん家じゃねえんだな』
 と、そう言い直して、ギンコが苦笑したので、
『いやいや』
 と化野は、急ぎ、かぶりを振って、
『通い、じゃなくてだな―――ほれ、遠洋の、鯨獲りの人らみたいなものだろう』
『鯨獲り?』
 いきなり、話が飛ぶな。
 と目を丸くして、首を傾げるギンコに、
『あの人らは、陸(おか)にいるより、船に乗って海上で暮らしている方が長い、と聞くぞ。しかし、その船が出て帰る港があって、そこの陸に、ちゃあんと自分の家がある。
 だから。
 と化野は言った。
『お前の港はここだ。ここがお前の家。そう思っていちゃあ、いかんかなあ、ギンコ?』
 ギンコは、じっと化野を見つめて―――次の瞬間、ふんわりと、化野は、ギンコのヨモギ湯の匂いに包まれたのだった。
 出会ってから、ン年―――やっと、ここまで漕ぎ着けたというのに。
 今や、そんなギンコの帰りを待っているのは、化野ばかりではない、と言うか―――
 この界隈に住む人々―――化野の住むこの小さな漁師町の住人のみならず、両隣の町や村、裏手の山間の里々の人らまでもが、皆、『お医家の先生も頼りにしている、腕のいい蟲師のギンコさん』を頼りにしているようなのだった。
 例えば・・・この界隈で、何かしら奇妙な障りが起きる。すると、皆、『もしや、蟲の影響やの知れぬ』と考えて、まずはギンコに、相談の文を寄せているようなのだった。
 いや、気持ちは分かる。
 化野だって、奇妙な症状の患者があれば、ギンコに相談しているし、ギンコ自身がすぐには来られないような時でも、ギンコの紹介で来てくれた蟲師に診て貰えるなら安心だと思うし。でも、やっぱり、ギンコ本人に診て貰えるのが、いちばん安心だと思う。
 だから、気持ちは分かる。
 分かるが、だ!
 ・・・困ったもんである。
 そんな訳で、この度も、『ギンコがこの界隈に来る頃・・・』と見越して寄せられたらしい蟲師仕事の依頼先へと、ギンコは、ここを通り過ぎて行ってしまったのだった。それでも、急ぐ傍ら、待つ身の化野の手慰みにと、ギンコは、『季刊 蟲好み 夏の号』だけ、先に、化野の手元に落として行ってくれたのだ。
(簡単に片が付くような蟲であってくれりゃあいいんだが)
 蟲ピンでちょん、で済むようなとか。
 いやいや。そんなふうに考えていたら、待たされた分だけ、『まだか?』が『まさか・・・!』になって、不安になって―――せっかく、やっと会えたギンコに恨み言を言ってしまいそうだ。
 そら、もう『待たされた』なんぞと考えている。
 ふう、と吐息をついて、化野は、己がひざの上に目線を戻した。
 『季刊 蟲好み 夏の号』
 まあ・・・せっかく、先に置いていってくれたのだから・・・と早速、読んでいる。
 それなのに、さっきから、どうも気が滅入っているのは、この、今回の『夏の号』に乗っている珍品・お宝の品々が皆、誂えたかのように揃いも揃って、『以前の持ち主の中に死人が出た』とかいった類いの、曰くつきの代物ばかりであるからだった。
 いや、ほしくない、とは言わないが・・・
 好事家とは言え、医家の化野には、あまりいい気はしない。
 『夏の号』だからと言って、『怪奇なお宝特集』といった訳でもあるまいに。
 せめて、『お宝、売ります!買います!』の頁には、良いものが載ってますように!
 と念じながら、化野は頁をめくった。
 ギンコが来たら、早速『お使い』を頼むことになるような、化野好みの売り出し品が!
 この『季刊 蟲好み』という本には、蒐集家同士での『売り買い、求む!』の頁もあるのだ。
『こういう、情報のあいまいな物、買うんじゃねえよ』
 と、以前に、怖い蟲に当たって、ギンコに叱られたことがある化野だったが、こういった出所が蟲師でない品―――蟲の素人たる蒐集家や誰かが出所の品でも、ギンコに『お使い』を頼んで手に入れて来て貰えば、安心だ、という訳だった。
 つまり、それ―――もしくは、それに憑いている蟲による障りは決して起きない、という意味で。
 逆から言えば、その辺の裁量は、全面的にギンコに任せている化野である。
 ギンコが行って見て、『どうやっても、これに憑いている蟲は、危険だ』と判断したなら、ギンコは、それは仕入れて来てくれないのだった。
『あれは駄目だ。諦めろ』
と、ばっさり、言われたこともある。
 ともあれ、良くない蟲の憑いた物でも、障りが起きぬように処置することが出来れば、そのように処置して、仕入れて来てくれた。時には、すっかり『蟲抜け』にして持って来てくれていることもあるのではないか、と思うが、それでも、蟲とまったく関わりないようなガセものを掴まされてくることだけは、おそらく無いだろうと思うので、まあ、それは良しとする。
 が、残念。こちらの頁にも、今回は、あまり化野好みに良さげなモノはなかった。
 さて。
 もうひとつ、最近、化野が楽しみにしている記事があった。
 『天空の蟲使い』
 という題名の、蟲師による連載記事だ。
 『わりと、その辺にザラに居るような害の無い蟲を使役する』お呪い(おまじない)みたいな、蟲の使役方法が載っているのだった。
 無論、その蟲が居ない地方や、居るには居るが、活動し難い土地柄の所もあるから、『必ず、効く』とは言えない、という但し書きがついている。いささか眉唾な企画頁ではあるのだが、化野のように蟲の見えない素人にも、安易に、かつ安全に蟲を使役してみることが出来る(かも・・・?)というのがうれしいのだった。
 まあ、実際は使えないのだろうが―――
 しかし、いつもは疎らにしか咲かない西の村境の桜の老木が、今年は、見事にたわわの花数を付けた、というのは、先の『春の号』に載っていた『花咲か』を使役する呪いを、あの家の爺様がかけたからだ、という噂が流れていたから、効く時にはちゃんと効くのかも知れなかった。
 ともあれ、まあ、害はない(と言う)のだから、やってみるのも一興だ。
 さてさて。
 今回の蟲の名前は、『招き蟲』。
 ざっと一度目を通すと、化野は、早速、読みながら、やってみることにした。
(なになに? 用意する物―――手拭いが一本。に、唐糸草の花穂、一本。確か、あの辺に―――おお、あった、あった)
 ぷち。
(で、手拭いをこう、こう、こう折って猫耳のような形を作って、頭にかぶり、踊っている途中でずれたり、落ちたりしないように、きっちり顎の下で端を結ぶ。次に、帯の背中側に唐糸草を挿して、花穂を垂らす。
 踊り方―――両手を、親指は握り込まずに、軽く握るようにして人差し指から小指を丸めて、胸の前に―――注意:両の手の位置は、常に平行に。右足を一歩、踵はつけずに足指だけで立ち、前に踏み出すと同時に、両手を丸めたまま右に寄せ、次に、両手を左に寄せつつ、左足を一歩前に出す。これを、三度繰り返す。こうして、こう、こうして、こう、か。と、そうやって三回ほどこの『猫踊り』をした頃には―――ほう、やっぱり『猫踊り』なのか、これは―――『招き蟲』が寄ってきているので、呼んで来て欲しい相手の名や姿を念じて、ひと声、猫の鳴き声を入れる、と)
「ギンコ!」 と、化野は、縁側を見やって、そこで毛づくろいをしていた己が愛猫に呼びかけた。
「るるにゃ」
 と、全身真っ白な毛並みに珍しい碧青色の瞳が恋人を思わせるので、その名を付けた猫のギンコは、化野の方を見て、喉を鳴らしながら鳴いた。
「おお、すまんな、ギンコ」
「るるにゃ」
 と、また喉を鳴らしながら返事をした愛猫に、にっこりと微笑み返して、化野は、また『天空の蟲使い』の頁に目線を戻し―――
 が、その続きを読んで、化野は目を見開き、次いで、眉根を寄せた。
(普通の鳴き方ではいかんだと? 『にゃ』では駄目なのか? 『うー』とか『ふー』とか『しゃーっ』でなくてはいかんと言うのか?)
 化野は、彼の愛猫を見た。
 猫は、毛づくろいをし終えて、きちんと前足を揃えて座ると、小首を傾げて見つめ返してきた。
 毛並みも体型も、なめらかで細身な、ごく普通の日本猫のそれだが、目は、洋猫の中でも見かけない、緑青色の不思議な目をした、きれいな、きれいな猫のギンコ。
 あまり鳴かない猫だった。
 名前を呼んだ時だけ、いつも、『にゃ』と短く鳴くか、『るるにゃ』と喉を鳴らしながら返事をする。唸ったり怒ったりしている声など、化野は、終ぞ聞いた覚えがなかった。いや、縄張りを侵して入り込んで来たものには、『ふー』とか『しゃーっ』と言って威嚇したり、警告を発して唸ったりしているのだろうが、いつか見た、ギンコの仲良しの黒猫以外に、化野は、ヨソの犬猫などあまり見かけたことはなかったから―――化野に対しては、そんな怒声を発したことはない。
 必要なかったから、とか―――?
 いやいや。
 前に、化野がやっていたみたいに、猫の背を往復で撫でたりしたら、ふつう、猫は嫌がるものだ、と―――人間の方のギンコが言っていた。確かに、そう言われてみれば、化野が猫を撫でた後、すぐ、ぶるぶるっと体を震わせたり、盛んにぺろぺろと毛づくろいをし始めたりしたことが、何度もあった。以来、猫を撫でる時は必ず一方向に、毛並みの向きにそって撫でるようにと改めたのだったが―――が、それでも、唸られたり、爪を立てられたりしたことなど、一度もなかった。
 かまい過ぎても、かまい方が変でも怒らないから・・・
(なのに、わざわざ、ギンコが嫌がることを仕掛けて、唸らせるのか? 俺は?)
 化野が猫にすることで多少―――と言うか、かなり不快なことがあっても、猫のギンコは我慢してくれているようだのに、そんな、我慢強い猫のギンコが、耐え切れずに、しゃーっ!と怒ってしまうようなことを、たかだか手慰みの蟲遊びの為に、しようと言うのか、俺は?
 ぷるぷるぷるっ!
 と、化野は首を振った。
(そんなこと―――出来るものか!)
 猫のギンコは、ちょっと首を傾げて、そんな化野の姿をじぃっと見つめていた。まるで、また化野が彼の名を呼んだら『るるにゃ』と返事をしようと待っているみたいだ、と化野は思った。
 微笑んで、化野は、猫の前に膝をついた。
「ギンコ」
「るるにゃ」
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