蟲師捏造話 3

□こそあど言葉(P1)
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こそあど言葉

 夕刻。
 『磯味屋のおまかせ刺し身弁当』二人前の折り詰めを抱えて、いおは、医家の化野先生の家へと急いでいた。
 こんな夕刻になってから、酒の肴というより、しっかり栄養がとれるご馳走といった注文が来るのは、大概、ギンコが来た時だ。
 いおは、蟲師のギンコが、化野に頼んで集めて貰ったこの小さな漁師町の人らに助けられ、そのまま、この町に居着いた娘だ。その後、化野先生の口利きもあって、いおは、網元の家に身を寄せて、磯漁を手伝い、また網元のおかみが営む小料理屋『磯味屋』の手伝いもしている。
 お勝手口で、化野家の家事を取り仕切る隣家のおかみに折り詰めを手渡すと、いおは、庭木の合間に垣間見える中庭の方へと目をやった。
 いおの恩人の二人は、いた。
 ギンコは、縁側で、胡座をかいて、庭木の低木の向こうに見える海を眺めている。手にした蟲煙草には、火はついていないようだった。ここらでよく見かける稚魚のような蟲が、時折、ぐるうりと遠巻きにギンコの回りを回っては、宙のどこかへと消えて行く。が、ギンコは、気にする風もなく、穏やかに海を眺めている。
 化野先生は、居間の文机に向かって、ぶ厚い紙の束をめくっては、何やらちょこちょこと書き入れている。時に、ぐぃーっと頭を傾げたり、うーむ…と唸ったり―――たぶん、いつもそうしてるみたいに、今日診た患者さん方にしてあげた治療やお薬なんかの記録を読み直したり、書き足したりしているんだろう。
 ふと、座り直しながら傍らに手をついた化野先生が、文机のこっち側を覗いて見て、
「ん? ここに置いたと思ってたんだが――― あれ、どこいったか知らんか、ギンコ?」
「知らんよ」
 と言いながら、ギンコは振り返って、部屋の中を見渡すと、よっと立ち上がって、奥の部屋の壁に備え付けられた飾り棚の方へと歩いて行った。そこの中段に置き並べられた書物の背表紙を見渡して、
「どれだ―――これか?」
 と言いながら、ひょいと、ぶ厚い書物を一冊取り出して、ギンコがかざして見せると、化野先生は、ニカッと笑って、
「それだ!」
「ほれ」
 と、無造作に手渡すギンコに、化野先生は、気恥ずかしそうに笑いながら、
「すまんな。出し忘れていたのか」
「いやいや。そういうこともあるさ」
 いおは、目を丸くして、見つめてしまった。
(どうして、分かるのかしら?)
 いつものことにしたって―――ギンコは、いつも、化野先生の傍にいる訳じゃないのに。
 ぽかんと口を開けて考えていたら、ギンコが、ん?とこっちを見て、そこにいるいおに気がついた。
「どうした?」
 と聞かれて、いおは、つい、今思っていたことをそのまま口にした。
「ギンコさん、『あれ』で分かるんですね、化野先生が言ってるもの」
「あ?」
「あ?」
 二人、面食らったように、ぽっかりと口を開けた表情まで一緒で、いおは、あはっと笑ってしまった。
 ギンコは、ニッと口の端を上げて、
「よう、いお。達者にしてたか?」
 『水蠱』の―――蟲気の名残は……障りはないか? と言外に込められた目線に、頷いて、いおも笑みを返す。
「何だ? やらしーな、二人だけ見つめ合って」
 冷やかすような声音が割って入って、いおは、化野先生の方を見た。
 やだ…化野先生、何となく目が笑ってないかも… ギンコの口の端は、さっきより、にまにま上がっているような―――
 ギンコは、いつもの平易な口調で、
「いやいや、お前と俺が阿吽で通じてるって話だろ」
「阿吽?―――蟲か?」
 いおは、吹き出してしまった。
 ギンコは、ぼりぼりとうなじを掻きながら、
「お前は、本っ当に蟲好みだな」
「何を、今更」
 と、化野先生が胸を張ったので、ギンコもぷっと、いおと一緒に笑い出したのだった。END

作品後記
 学生の時、「『あれ取って。どれさ? それ。これ? ほれ』←この中で、代名詞じゃないのはどれでしょう?」と訊いた先生がいました。ってのを思い出してるうちに出来た話です。
「ギンコは、化野の通い夫として幸せになるといい」と言って下さったY様、私もそう思います(#^.^#)。
 長年、通い夫をしていれば、毎日一緒にはいられなくても、二人が共にいる日々もまた日常。ギンコは、化野の「いつも」を結構知ってるもんだといいと思います。
*注意…いおは、原作第1巻第5話「旅をする沼」で、蟲師のギンコが、友人でお得意様の医家の化野先生に頼んで集めて貰った、小さな漁師町の人らの人海戦術で、蟲と共に海の藻屑と化すところを助けた娘です。―――そこから先の詳細設定は、殆ど色々細部に至るほど捏造です。どうぞ、「蟲師」原作―――特に、第1巻第5話「旅をする沼」をご覧になって、正しい設定をご確認下さい。


 

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