蟲師捏造話 3

□禁恋歌(P3)
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禁恋歌 2

 と、淡幽は思う。
 淡幽にとって、禁種の蟲は非日常ではない。日々、蟲との戦いに明け暮れているという、取り分け働き者の蟲師たちと同じように、彼女にとってもまた、蟲は日常なのだ。
 不意に、白い綿シャツを着た胸に日を遮られて、淡幽はドキリとした。
 その上の先を見上げると、彼女の髪の上辺りで、掌を上向きにかざしたギンコが、彼女の顔を覗き込んでいた。
「蜘蛛が、お前の髪の上に着地したそうだったから、一応受けたんだが―――蜘蛛の方が良かったか?」
「いや、ありがとう」
 にっこりして、淡幽は礼を言った。とっさに、ギョッとした顔をしてしまったのであろう淡幽に、ギンコが困っているのが分かる。ギンコは、声を掛けたのだろう。
「すまない。少し、考え事をしていた」
 珍しいことに、ギンコは、笑って気にするな、とは言わなかった。
「最初に会った時から思ってたんだが、ちょっと無用心過ぎねえか?」
「え?」
 戸惑う彼女に、憮然とした表情て、ギンコは、
「蟲退治の話聞く時、話し手の蟲師と二人きりで、この距離で対座して聞いてるんだろう?」
「そうだが・・・それが、何故、無用心なんだ?」
「若い娘が―――」
「ははははっ」
 思わず、淡幽は、笑い出してしまった。
「いや、すまない。しかし、禁種の蟲入りの女だぞ。手を出す蟲師などいるものか」
 そう言って、真っ直ぐに、彼女は、ギンコを見つめた。
 それを、いたずらに嘆いたりはしていない。が、同時に、それは積極的な諦めであるのかも知れないが。
 しかし、それはそれとして、いつか、この身の内の全ての蟲を眠らせて、巻物へと封じ終えることが出来たなら―――『その時』のことを考えることくらいは、かまわないだろう。
 夢は、夢だとしても。
 そんな彼女の目線を、ギンコも、真っ直ぐに見つめ返す。その目が、
(いや、いるだろう、ここに、そんな男が)
 そう言ってくれているような気かして、淡幽の心は沸き立つ。
 が、そう思っても、彼女は、何も言わない―――言えない。
ギンコも、何も言わなかった。
 たとえ、本当にそう思っていてくれたとしても、ギンコには言えない訳がある。蟲を寄せる体質を持つギンコには、たとえ、子をなす為だけだろうと、淡幽に手を出す資格はないのだ。
 けれど、この身の蟲を全て身の外に封じ終えた後ならば、彼女はここを離れられる。どこへでも行ける―――たとえば、ひとつ処に留まれない、蟲を寄せる体質の蟲師と共に、旅を住み家とすることだって。
 あるがままの彼女の姿を――この身の内に巣食う蟲を浮かび上がらせた姿までをも――――ただ、見つめ続けていて貰えること。
 今は、それだけが、ギンコとの間に許された、彼女の交情の全てだった。が、それでもいい。いつか、彼女がここから解き放たれるその日まで、ギンコが、彼女を見つめ続けていてくれるなら。
 が、先に目線を外したのは、彼女の方だった。彼女は、言い綴った。
「確かに、それでも、そういう相手はいるんだ。そのうちに、な。禁種の蟲をこの身に宿して生まれたからには、私は、子を生まねばならない。強い力を持つ蟲師の子を。たぶん、薬袋(みない)の一族か、彼らが見つけてきた蟲師が、その相手となるだろう。そうした相手と結婚した者もあれば、ただ、子を宿した者もあったそうだ。まあ、結婚したといっても、肢体が不自由で、ただ蟲を封じて書を記す毎日を過ごすしかない妻だ。名ばかりの妻であったのだろうがな。
 でも、おかげで、私にも、この身の内の蟲を眠らす力が備わっているのだ。ご先祖に感謝しなくてはな」
 短くなった蟲煙草を火鉢に挿し捨てて、新しい煙草を取り出しながら、ギンコは、尋ねた。
「・・・お前、好きな奴はいねえのか?」
「いるぞ」
 と、淡幽はこたえた。
 一瞬、息を飲んで、ギンコは彼女を見た。が、喉元まで出掛かった言葉を、ギンコは飲み下したようだった。代わりに、なギンコは、平易な口調で、
「そいつとは添えねえのか? せめて、その・・・子を生む、とか・・・」
「無理だな」
 さらりと、淡幽はこたえた。
「向こうには向こうの理由があるようだし、私とて、禁種の蟲を宿したこの身だ」
「そいつも、お前のこと、好きなのか?」
「たぶん、な」
 と、彼女は答えた。
「そうか」
 知らず、身を乗り出していた自分に気づいて、ギンコは、伸び加減になっていた背筋から力を抜いた。
(やれやれ)
 心の中で、淡幽は苦笑した。
 ギンコは、誰のことを言っていると思っているのだろう?
(好きな奴、か)
 けれど、近い将来、彼女が好きでも、彼女を好きでもない男が、ただ子を成す為にだけ、いずれ淡幽を抱くのだろう。それもまた、彼女のつとめだった。
 それとも、そうなる前に、何かが変わるだろうか? たとえば、そうなる前に―――全ての蟲を外に封じ終えることが出来るだろうか?
 夢は―――
 平易な声で、ギンコが問うた。
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