蟲師捏造話 3

□さんらん(P4)
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さんらん 2

 気を取り直して、ギンコは、考えた。
(この貝殻からの気配じゃねえなら、何処からだ?)
「化野。前に、俺が来た時から後、増えた物はどれだ?」
 と訪ねると、そう来ると思った、とばかりに化野は、
「いつもの、戸棚の中にまとめておいた」
「分かった。じゃあ、まずは、それから片付けるか」
 早速、ギンコは、『いつもの戸棚の中』を覗いてみた。
 が、ざっと見た限りではだが、とりあえず、今すぐ何かしなければマズイ、というような蟲は、どうやら居なさそうだ、とギンコは思った。
 しばし考えて、ギンコは、
「あー。その前に、ちっと、色々用足してくるわ」
 出入り口扉の方へと歩き出したギンコの背に、化野は、
「何か、入用なものがあったら、好きに持って来てくれていいぞ。
 ああ、そうだ。塩は、無料(ただ)で持って行ってくれていいぞ」
 どうやら、治療費を現物で納めた者が、また、いたようだった。そんな場合は、大概が、こんなふうにーーー独り住まいの化野にとっては、十二分におつりの来る量だ。
 もっとも、塩は医家にも有用な物だが、化野は、ギンコにも、おすそ分けの大盤振る舞いをしてくれる。
「蟲にも、塩が効くモノは多いのだろう?」
 という化野に、頷いて、ギンコは、
「ありがてえ」
 そう。
 意外に思われるかも知れないが、塩は、蟲患いの治療をするには、結構な万能薬なのだった。『野錆(やさび)』や『吽(うん)』のように、塩に弱い蟲は、けっこう多いのだ。
「すまんね。がっつり貰ってく」
「おお。要る(いる)だけ持って行ってくれ」
「おう、そうさせて貰うわ」
 後は、貴重な薬草の蟲下しを、ここで使い切ってく、なあんてことにならねえようにと祈るだけだな。
 心の中で、そんな、本音混じりの戯れ言(ざれごと)も加える。化野の方は、と言えば、こちらは音声付きで、
「う〜ん。もしも、蟲が居るのがこの貝殻の中に、だったらーーーやはり、あいつに返してやらなけりゃあいかんだろうなあ・・・ぶつぶつ」
 などと、半ば本気と思われる呟きを垂れ流している。
「もしも、この中に蟲が居るんなら・・・一
匹くらい、この壜の中の砂浜に住み替えてはくれんものかなあ?」
 にわかに、そんなことを呟き始めたところを見ると、この貰い物の蟲抜けの品は、化野にとって、蟲の『忘れ形見』とは言えども、ただの貝殻ーーー白い砂の上に映える巻貝で、やはり、金魚鉢の中に据えて置きたい竜宮閣のようなものであったらしかった。
「・・・まあ、今なら、何かあっても、ウチには蟲師が二人居るから、何かと心強いが・・・明日か明後日には、また、ギンコは旅立ってしまうしなあ、ぶつぶつ・・・ 」
「俺ぁ、勘定に入れねぇで下さい」
 今まで黙っていた、もう一人の蟲師の山太が、慌てたように、言った。
「何か、知らん蟲が出たら、俺、逃げまスから。先生も逃げましょう!」
「いやいや。俺は、放って、逃げ出す訳にはいかんだろう」
「逃げて来い、化野。今は、俺がいるんだから」
 戯れ言ではあるけれど、真面目に、ギンコは言った。
 蟲の『忘れ形見』。
(そう言や、『忘れ形見』って言葉には、『残された幼子』なんて意味もあったよな)
 と、ギンコは考えた。
(幼子、か)
 そう言うと、がんぜなくて可愛い感じがするが、
 蟲の幼生(おさなご)ーーー
 うおっ! なんだか、嫌ぁな感じだ。
 あるとも、ないとも判別し難い奇妙な蟲の気配が、未だ、この世に生まれ出でていないが故のものだとしたらーーー?
『−−−を与えてはいけない』
 不意に、脳裏に浮かんできた一文に、ギンコはどきりとした。
(今の、何だったかーーー?)
 訳もなく、背中がぞわぞわしてきて、ギンコは、惑乱した。
 いや、訳はあるのだ。たぶん、思い出せてないだけで。
(俺はーーーたぶん、その蟲の正体を知っている)
 が、巻貝の姿をした危うい蟲なぞーーー『囀り貝(さえずりがい)』のように、その習性から、災厄の予兆となる蟲なら居るし、見たこともあるがーーー考えても、ついぞ覚えがなかった。
(巻貝は関係ねえ、と言うかーーー蟲の生成物だというこの『貝殻』を作った蟲と、化野の蒐集家仲間が最初に見た、って言う『影とは違っていそうな、蠢く、黒っぽいモノ』というのは、別の蟲なのかも知れん。ソイツが棲み家にするのは、巻貝以外でもかまわん蟲だとしたらーーー?)
 蠢く、黒い影のような蟲。
 というだけなら、思い当たるモノは、山ほどあった! それだけの条件では、蟲を特定することなど出来ない。が、記憶の端にひかかっている何かを思い出せれば、あるいはーーー
 蠢く、黒い、影のような蟲・・・
 明かり取りの窓も締め切った、昼なお薄暗い蔵の中、ゆらめくロウソクの炎に照らし出されて床に這う化野の影の中にも、その蟲が紛れ込んでいるかのように見えてーーー
 背中がぞくりとした。
 いや。アレは、そんな蟲ではなかった筈だ。
(くそっ。何だったかーーー )
 背中のトランクの中の巻物に書き込んだ蟲のことなら皆、覚えているから、この家の書庫部屋で探してみよう、とギンコは考えた。あそこに預かって貰っているギンコの巻物の中に、それらしい蟲の記載がなかっただろうか?
(その前にーーーまずは、蟲除けと蟲下しを、すぐ使えるように、確かめとかんと、な)
 閉じ行く、分厚い蔵の扉の内側で、化野が三つ指ついてーーー親指と人指し指と中指の三本でーーー深々と頭を下げているのが見えた。

(三)

 こちらは、蔵の中。
 化野に星砂を買い上げて貰ったもう一人の蟲師、山太は、中に貝殻ひとつ収めただけで、すっかり、美しい南国の砂浜のように趣を変えてしまった、広口硝子壜の中を、しげしげと覗きこんでいた。
 この男、泊まりは網元の所へと世話して貰っていたが、もう、じきに用意されてくる、この家の夕飯に招ばれることになっていた。星砂は、いい値で買って貰ったので、後は、おいしい晩ご飯を楽しみに、呑気に、化野の蒐集物を収めた蔵の中見物を楽しんでいる。
「へぇ。コレぁ蟲の抜け殻なんでスかぁ」
「だそうだ」
 と、頷いて、化野も、頭を並べて、小さな硝子壜の中の砂浜を覗き込みながら、
「しかしなあ、こうして見ると、本当に、普通の巻貝の貝殻と違っているところなど、何もないように見えるが。
 やはり、殻が残る、ということは、この世に残るような素材で出来ている、ということで、死すれば、するりと蟲の世に取り込まれるか何かして、消えてしまうようなモノとは違う、現世の物に過ぎんようになってしまうのかも知れんなあ」
「はぁ。そういうもんなんでスかねえ?」
 と、山太も頷いた。が。
「あれれ?」
 ふと、目を眇めると、山太は、硝子壜の壁に目を張り付けるようにして、その中のモノに目を凝らした。
「ん? どうした、山太?」
「・・・化野先生。この貝、さっき置いたとこよか動いてませンか?」
「ん?」
 化野も、片眼鏡をかけ直して、中を覗きこんで、
「うむ。そのようだな。しかし、あそこからここまで持ち歩いてうるうちに、揺すられて、少し、ずれたのかも知れんな」
「あぁ、ずれたんでスかねぇ」
「ずれたんだろう。砂の上だしな」
「そうっスねぇ。砂の上でスもんねぇ」
 化野は、いつの間にか、ついつい両手で包み込むようにして持ち運んでいた、星砂と、蟲の『忘れ形見』だという小さな巻貝の形をしたものが入った小壜を、そっと、灯明入れの下の小机の上に置いた。
 動いた―――のが、本当だったら、嬉しい。
 いやいや、もしそうなら、勿論、これは、知人の蒐集家に返してやらねば悪いだろうが。
 が、十中八、九、そんな素敵なことは、まず起こりそうにないことだった。
 そうして、今度はぐらつかないように、低く安定した造りの机の上に置いた硝子壜の中身を、注意深く、横目で見守りながら、化野は、山太に説明した。
「先ほど、ギンコに説明したのを、お前さんも聞いていただろうと思うが、この壜の中に入っている星砂は、『星砂』という有孔虫の死骸の殻だ。まあ、採取した時には、まだ生きているものも混じっていたかも知れんが、こうして壜詰めにされて、水も餌もない中に密封されて、すっかり干からびてしまっていては、どうしたって、もう、生きてはいまいよ。
 こちらの巻貝のようなモノも、蟲本体じゃあない。『忘れ形見』だ。蟲の生成物ではあるが、抜け殻だ。
 ん?」
 と、二人は、無色透明な硝子の壁ごしに、小さな広口壜の中を覗きこんだ。
 二人、頭を並べて、ジィ―ッと中を見つめながら、
「動いてまスねぇ」
「動いているな」
「今も、動いてまスねぇ」
「おお。動いているな」
「生きていたんでスかね?」
「うむ。凄いな」
 目下の山太と一緒にいるので、何事にも動じてはならない医家の物言いで、つい、こんな、感嘆符のつかない口調で話してはいるが、化野先生、勿論、これでも大興奮!=大喜びの態(てい)である。
「ううむ。こんなに干からびてしまったというのに、生きていたのだなぁ、コレは。凄いなあ!
 蟲、なのだろうかなあ、やはり、あの男が買う時に見た、と思った黒っぽい何やらが、この貝殻を動かしているのだろうかな?」
「そうなんでスかね?」
 ぶるっと背筋を震わせて、山太は、化野を見た。
 が、化野の目は、中のモノに釘付けだ。
 目を爛々(らんらん)と―――いや、ランララン♪と輝かせて、化野は、『素敵な、動く貝殻♪』に見入っている。今、まさに得体の知れないモノが動き始めている!というのに―――魅入られる、こはこの様だ、と何だかちょっと怖くなる。
 なんて、怖々(コワコワ)な山太の目線も、化野に釣られて、魅入られたように、硝子壜の中へと戻る。
 化野は、へにょん、と眉をハの字に落として、残念そうに、
「ううむ。ならば、あいつに返してやらんといかんかなあ? う〜ん・・・なにしろ、ただで貰ったモノだからなあ、蟲が見えん、という理由で、ぶつぶつ、ぶつぶつ・・・ 」
 山太の不安をよそに、化野先生、蒐集家としての危機管理よりも、倫理と性(さが)が心の内で戦っている様子がだだ漏れだ。
 山太は、おそるおそる、
「どこへ、何しに行きたいんスかね、コイツは?」
「おお、そうだな」
 ハッとしたように、化野は、
「何処へ、何をしに向かっているのだろうな、コレは?」
 が、やっぱり嬉しそう。
「・・・人、喰いませンよね?」「この貝殻の中身だった蟲が、人を喰う蟲だった、とは聞いていないが」
「じゃあ、何ぉ喰うんでスかねぇ?」
「何を喰うのだろうな」
 二人、じっと、ソレを見つめながら、
「もう、殻だけだと言われて、餌はいらんと、と思ったから、それは聞かなかったなあ」
「・・・・・」
「ん? どうした、山太?」
「・・・コレ、人、喰いませンよね?」
「・・・・・」
「・・・あのぉ?」
「ううむ。そう言えば、人は喰わん蟲だった、とも聞てはおらんな」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・動いてますね」
「うむ。動いているな」
「もう、端っこまで来ちまいましたね」
「ふむ。速いな。もう、こんな端まで移動して来ることが出来るのか」
「これって、壜の壁、よじ登ろうとしてるんスかね?」
「ふむ」
 と小首を傾げて、化野は、また、両手で包み込むようにして、そっと、硝子壜を手に取ると、ぷるぷるん、と砂地を均す(ならす)ようにして左右に振った。
 途端に、ぎゃっと声が響いた。
 山太の声だ。
「ん? どうした?」
「だだ大丈夫ですかねッ? そんな、揺すって!」
「ああ。大丈夫だろう」
 化野は、頷いて、
「これをくれた男も、『持ち運び時に揺すられても、大丈夫だ』と言われて買ったそうだから」
「本当に、そうなんでスかね?」
「はっはっは」
 と笑って、化野は、ふと、首を傾げて、
「本当はそうじゃないのに、そう言うこともあるのかね?」
「・・・ありますね」
「・・・・・」
「・・・・・」
「ふむ。とりあえず、元の場所には戻ったな」
「コレ・・・どうするんスか、この先?」
「うむ。まあ・・・ギンコが戻って来るのを待つか」
「俺ぇ、呼んで来まスよ」
「いやいや、邪魔しちゃいかん」
「えッ、コイツのでスか?」
「ギンコの、だよ。馬鹿言っちゃいかん」
「ねぇ、先生ぇ、早いとこ、ギンコさん、呼んできましょうよ」
「蟲下し各種の準備が出来たら、いったん様子を見に来るだろう」
「来まスかね?」
「まずは、来るだろう」
 と、化野は頷いた。
「何か、気になる気配があるようだったから。まずは、塩壺の中身をてんこ盛りにしてだな」
「わあ・・・あ、あのう、俺も貰ってっちゃ駄目スかね?」
「ギンコの塩壺と同じくらいの量なら、かまわんよ」
「ありがとうございやス」
「いやいや」
「はあ・・・また、動いてますかね?」
「うむ。動いているなぁ―――その、貝殻の中で」
 化野の眉が、へにょんとまたハの字に下がっている。(やはり、返すべきか・・・?)等など、思案しているのだろう。
 しかし、そんな悠長なことを考えていていいのだろうか? そりゃ、大概の蟲は、こういった硝子のフタ付き壜の中からは逃げられないものだが。
 山太の知らない蟲だった。
「中で、でスね。はぁ」
 小さな巻貝の中の陰影が、端から、僅かずつではあるが、確かに、もやもやと動き出している―――
「おお、そうだ。見える」
 また、目を輝かせて、化野は、
「見えているんだなあ、蟲が、この俺にも」
 が、その目は、また、へにょんと戻って、
「いや、しかし・・・俺にも見える、ということは、これは蟲ではないのか? ううむ―――ここらへんだな?」
 と、化野は、壜の中のモノを指差した。
「はぁ」
 同じモノを見ていることを確認されて、山太は頷いた。
 そう。化野先生に言われてみると、確かに、そうだ。蟲じゃあないんだろうか、コレは?
 でも、でも・・・
「動いてまスね」
「動いている、と言うか、蠢いているな」
「なんか―――気ィ持ち悪いっスね、これ」
「そうか?」
 不思議そうな顔をして、ちらりと、化野は、山太の方を見た。
 今度は、山太の方が、硝子壜の中―――の巻貝の中から目が離せない。
 化野も、目線を戻して、
「ううむ。本当に、何なのだろうな、コレは?」
「何なんスかね?」
「お?」
 と、化野は、また目を輝かせた。
「出てきそうだぞ」
「まずいっスよ、それ!」
 思わず、声を潜めて叫ぶ山太に、化野は、
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