捧げもの
□ある少年の恋人事情
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(頭、痛い……)
練習中にも関わらず、京香の足取りはふらふらとしていた。
ただ我慢強い性格ではあるため倒れることも、周りの部員達に悟られることもなくここまで耐えてきた。
熱が上がってきたのか、視界が少しずつ歪んでいく。
それでも必死に隠そうと気力だけで踏ん張っていた。
「京香?顔赤くない?」
不意に聞こえてきた声に心臓がはねる。
京香の顔を覗き込むように見てきたのは、同級生であり、チームメイトであり、恋人である天馬だった。
いつもは鈍いが、京香のこととなると脅威の鋭さを発揮する。
要するに京香のことが大好きな、周りの女子から見れば理想的な彼氏である。
だが例え天馬であっても、否、天馬ならば尚更風邪であるということを知られたくなかった。
心配かけたくない。
その一心で、ひたすら耐える。
「大丈夫だ、なんともない」
「…………嘘だ」
「っ! 嘘じゃな……っ」
「監督!ちょっと京香連れて保健室行ってきます!」
あれよあれよと話が進んでいるので、京香が文句を言おうとするが、さすがに体は限界だったようで膝から力が抜けた。
「京香っ、やっぱり大丈夫じゃないじゃん」
このまま保健室行くよ、と天馬は京香を抱きあげる。
完璧に気も力も抜けてしまった京香はおとなしくそのまま姫抱きのまま保健室に運ばれた。
***
保健室のベッドに京香を寝かせる。
相当無理をしていたようで荒い息を吐きだし、顔は赤くなっていた。
体温計で熱を計ると、
「38度……!?いくらなんでも無理しすぎ!」
「ん……、しんぱい、かけたくなくて……」
天馬は思わずため息をもらしてしまった。
いつだって彼女はこうなのだ。
一番辛いのは自分だというのに、先に思うのは周りのこと。
自分のことは後回し。下手すれば放置。
出来ればそれを直してほしいと天馬は思うのだが、やはり性格とは中々直らないものである。
「てんま、おこってる……?」
「当たり前だろ!なんでもっと俺を頼ってくれないんだよ。京香のことなら迷惑でも何でもないのに……」
冷えピタシートを額に貼ってやり、ベッドの傍にある椅子に座った。
濡らしたタオルをしぼって顔や首のあたりの汗を拭ってやる。
それらを全て終えてから、京香の手を握った。
「寝てなよ。下校時間になったら一緒に帰ろう」
「や、だ……。寝ない」
「なんで?」
寝ようとしない理由を聞いても嫌だの一点張り。
優しく頭を撫でてやりながら、触れるだけのキスを唇に落とした。
「てんま、風邪うつる」
「俺はバカだから平気だよ。寝たくない理由教えて」
「…………小さいころ、から。寝て起きたら誰もいなかった。家中探しても、だれも、いなくて……っ」
怖かった。
熱でうるんだ瞳から涙が一粒流れ落ちた。
風邪をひいているときは誰だって弱るものだ。それは京香も例外ではない。
普段から甘えることをしない彼女は、こんな時にしか甘えないのだ。否、甘えることが出来ないと言った方が正しいのかもしれない。
だからこそ天馬は、彼女を甘えさせてやりたいと思っている。
「安心して、京香」
軽く体を起こして優しく抱きしめる。
額、頬、唇にキスをしてベッドに静かに戻した。
熱のせいか、キスのせいか、目がとろんとして今にも閉じそうだ。
「目を覚ましても俺が居る。今日は家に泊ってよ。誰もいないんでしょ?」
京香の家は共働きで、基本家にはいない。
今朝聞いた話では今日は二人とも出張で帰ってこないらしい。
こんな状態の京香を一人にするなんてとてもじゃないが考えられないし、考えたくもない。
「秋ねぇもいるから。大丈夫。ちゃんと傍にいるよ」
「てんま……」
安心したようにふにゃ、と笑みを浮かべる京香につられて天馬も笑ってしまった。
それが合図だったように、完全に瞳が閉じられる。穏やかな寝息が聞こえてほっと息を吐いた。
眠りに入った京香を改めて見てみる。
赤い頬、いつもより少し荒い呼吸、熱による熱い吐息。
(…………早く下校時刻にならないかな)
理性を保てる自信がないよ。
心の中でそう呟き、なるべく彼女を見ないようにしていた。
下校時刻まであと四十五分。
彼の苦悩はもう少し続きそうである。
おわり