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□緋─あけ
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其は己が手を染めし血の色─

【緋─あけ】

土佐・岡豊城。
ひとりの男が無心に槍を振るっている。槍─といっても、通常戦場で使われるものとは大分様子が違っていた。穂先が通常のそれの倍はある碇なのだ。しかし、男は重さをものともせずに巨槍を振るい続ける。『何か』を忘れるように、或いは目に見えぬ『不安』を薙払うかのように。

「殿」
背後からそう声をかけられ、男は手を止める。
「忠澄か」
「支度が調いました。定刻通りに出陣出来るかと」
「おう、ご苦労さん」
返事をして手の甲で汗を拭おうとする。『忠澄』と呼ばれた男は、己よりも年若い主─長曾我部元親に手拭いを差し出す。
「これを」
「悪ぃな」
笑顔で受け取り、縁側に腰を下ろす元親。
「野郎共はどうだ?調子の悪そうなやつはいないか?」
「ご心配なく。皆士気が上がっております」
「ならいいけどよ…。最近は戦続きだからな…早いとこ行って終わらせるか」
そう言って立ち上がる元親。忠澄は微笑んでそんな元親を見つめる。眼差しに気付き、振り返る。
「ん?何かついてるか?」

「いえ。ただ、殿の初陣の時のことを思い出しまして」
「…あぁ」
少しだけ、表情を曇らせる。それを悟られまいと元親は天を仰ぐ。

「あの日もこんな天気だったな」
「はい」
そう返して忠澄もまた天を仰ぐ。雲ひとつない青空。
「忠澄」
「はい」
「俺は、変わっちまったか」
「殿…」
振り返らずに問いかける。困惑する忠澄をよそに続ける。
「あの人─アイツも変わっちまったよな」
表情を窺うことは出来なかったが、元親の脳裏に浮かぶ『アイツ』を忠澄は知っている。
「変わらねえヤツなんていないよな…変なこと訊いちまったな」
振り返り、少し寂しそうな笑みを浮かべる。自室へと向かう背中を忠澄はただ見つめていた。
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