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□雪に落つるは
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ぽたり。

夜の静寂の中、白い雪に落ちる赤い椿。

美しい─彼は思う。

ぽたり。

白銀に落ち、其を彩るは─

【雪に落つるは】

『千翁!千翁!!』
『松寿…どうしたのですか、そんなに慌てて』
走って来たのであろう、息も切れ切れに手にしていた紙の包みを千翁丸の手に乗せる。
『これを…私に?』
『ああ』
呼吸を整えながら、開けてみろ、と目で促す。視線を受け千翁は包みを解いた。それは─
『…わぁ…』
『…気に入ったか?』

椿。紅い緋い椿が一枝。
『はい、とても!ありがとう、松寿…私の為にここまで走って…?』
それこそ花のような笑みを向けられ、松寿丸は慌てて朱に染まった顔を逸らす。
『べ、別に、そういう訳ではない!…ただ、せっかくだから萎れる前に見せてやろうと思っただけだ』
─それに、今日が別れの日になるから。
言葉にはしなかったが、千翁丸も気付いたらしく表情を曇らせる。
『…嫌です。私は、ここに居たい』
隠されていない右眼から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。

この姫君と見紛うばかりの少年は、はるばる土佐から京へ、本人いわく「おかしな左眼を医者に診てもらいに」上っていたのだ。その帰路、療養を兼ねてこの多治
比の地に逗留していた。そして今日、土佐・岡豊へと発つ。
初めて出会った時、松寿丸は目を奪われた。自分のそれとは全く違う銀の髪、白い貌、左眼を覆う包帯。異質である筈のそれらが独特の美しさを醸し出していた。
更に驚いたのは、その「姫」が男であったこと─仕草も衣も好みも女子のようであるのに。松寿丸は彼に興味を抱き(非常に珍しい事だが)、今日に至るのである。
『せっかく松寿と仲良くなれたのに…!』
─悲しいのはそなただけではない─
泣きじゃくる千翁丸を見つめ、心で呟く。
『泣くな、千翁』
─泣かないで。
『我はそなたを決して忘れぬ』
─だから─
『また会う日まで、そなたも我を忘れるな』
─では─ゆっくりと顔を上げ、千翁丸は言う。
『約束して下さいませ。またいつか会う日、この花を下さることを』
『約束ぞ』
頷き松寿丸は椿を銀糸に挿す。

美しい。
彼は思う─あの景色のようだ、と。

睫毛に雫をつけたまま、千翁丸は微笑んだ。
『ありがとう…ずっと忘れない』

─ずっと忘れないから─
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