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□花の下にて
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桜の下に佇むは、夜叉か人か。
花明かりが見せるは、夢か現か─

【花の下にて】

「…あー…」
日毎に春の匂いを帯びてゆく風を受けながら、長曾我部元親は畳の上に寝転がった。
「そこで寝るな、邪魔だ。…部屋の戸を開け放すなと何度言えば判る」
城主・毛利元就は、そんな元親を睨み付け軽く足蹴にする。何すんだよぉ、と間延びした声で小さく抗議するのを無視して障子に手をかけた。
「全く…冷えてしまうわ」
軽く身震いする元就。庭の景色は春めいて来ているが、空気はまだ少し冷たい。
「そうかぁ?気持ちいいじゃねぇか」
そう返してから、あ、と声を出し、のそのそと起き上がり胡座をかく。
「そう言や庭の真ん中のあれ、桜だろ?立派な枝ぶりだな」

元就は嫌な予感がした。この男は何かしら理由を付けて酒盛りをしたがる。まさかここの桜が標的になろうとは─
「断る」「俺まだ何も言ってないだろうが?!」「貴様の考えなど知れておるわ!」
俺は、と何か悟ったらしく宥めるような声で続ける。
「俺はただ、咲いたら見せてほしいなーなんて思ったんだよ」─酒盛りじゃなくてよ、と拗ねたように呟いた。
「な、ここで一緒に花見しようぜ?」
そう言って元親は元就を見上げる。
「…桜なら貴様の庭にも植えているであろう」
「ウチのはあんなに枝ぶり良くねぇんだよ」
天を仰ぎ、腕を拡げ全てを包もうとするその姿。見事という他はない。
元親はそれを見つめながら、古の歌を詠む。

─願わくは 花の下にて 春死なむ─

「…何だ」
「いや、どうせ死ぬなら満開の桜の下で死にてぇなって」
「ひとの庭で縁起でもない…馬鹿を申すな」
一瞬、哀しい瞳。またいつもの氷の面に戻る。にべもなく返って来た言葉の裏に、自分の身を案じる心が隠されているのを元親は知った。
他人は彼を氷に喩えるが、彼の心は完全に凍てついている訳ではない。彼と過ごし、時折それを感じると元親は安堵するのだった。

「まぁ咲く頃にまた来るからよ、茶でも点ててくれよ」
「…鬼如きが風流を理解出来るとは思えんがな」
「おっ?言ったな。よし、今の言葉忘れんなよ。驚くような土産持って来てやるからな」
「ふん。期待などしておらぬわ」
「…本っ当可愛くねぇ─痛でっ!すぐ殴る!!」
「貴様が余計な事をぬかすからだ」
力一杯殴られた側頭部をさすりながらも人懐っこい笑顔を向ける。
「じゃ、約束な」
そう告げて去る後ろ姿を、元就は網膜に灼き付けた。
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