復活連載

□大阪府浪速区01
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例えば自分の彼女が他の男と寝ていたら許せるか、答えはノーだ。だが生憎、俺が愛したのはセックスが仕事の女だった。



俺が大阪ミナミでホストをしていた頃、一人の風俗嬢と出会った。こうは言っても、俺が暗殺者からホストへ転身した訳ではない。ボンゴレの末端構成員が、所謂ジャパニーズマフィアへ不正に麻薬を流しているという情報を得た為、俺と部下たちがその連中の処分と証拠の持ち帰りを任されたのだ。取引が行われているのは大都会の片隅にある、ネオンひしめく繁華街で、まあ裏社会の人間が動くのには打って付けの場所だ。連中の足取りを掴み、確実に取引場所を押さえて処分すべく、俺たちは街を隅々まで洗うことにした。しかしここで、俺たちは問題に差し掛かった。いつも通り闇に紛れてひっそり行動しようにも、眠らないこの街ではそれが難しい。大通りでは勿論、ちょっと裏路地に入っても、怪しげな店の前でボーイが警備や客引きをしている。そこで俺は作戦プランをBに変更し、自然な形で街に溶け込んで見張るよう部下たちに命令を出した。ややリスクが高く手間取るだろうが、面倒事は少ない方がいい。街全体が把握できるよう北から南へ、ある者はスカウトマンの仕事を、ある者は経営に携わり情報を探した。その中で俺が選んだのが、ホストの仕事だった。

俺はこの業種を選んですぐさま後悔した。理由は思ったよりも自由が利かないところにある。店が始まる一時間前には出勤して開店準備をしなければならないし、勤務中は店から動けない。唯一外を見張れるビラ配りも、一時間もすれば終わってしまった。隊長の俺が何かのときすぐに動けないのは厄介だ。客からそれとなく情報を聞き出そうにも、新人の俺はヘルプに回ることが多く、なかなかその機会も訪れない。おまけに借りている部屋は風呂なしの四畳半。ちっとも手掛かりは集まらないわで、俺の苛々は二日で最高潮に達していた。明日にはスッパリ店を辞めて他の仕事を探そう、そう思った翌日、ビラ配りも今日が最後と街へ出たとき、俺は彼女を見たのだ。

風に揺れる手入れされたロングヘアーとは裏腹に、女は気だるそうに歩いていた。薄手の黒いトレンチコートに覆われた体は、服を着ていても華奢だと分かる。女は、俺がたまたま彼女の前に差し出したチラシを受け取った。

「ありがとう」

女はさして興味もなさそうに、だが愛想笑いを浮かべて礼を言う。女が一瞬俺の顔を見た。どうしてそれで目が開くのか不思議になるほど盛られた重そうな睫毛が、これまたなぜ重力に従って落ちてこないのかと思うくらいぱっちりと上を向いていた。ピンクとか黄色とか、目が痛くなるような原色系のチカチカした電飾が霞んでしまうくらい、女の姿だけが俺の脳内に焼き付いた。傍の交差点の歩行者信号が、点滅から赤に変わる。このとき俺は、日本で恋心という厄介なものを抱えてしまったのだ。

「なあ」

俺は赤になったばかりの信号で女が足止めを食らったのを良いことに(きっと神が俺に味方したのだろう)、努めてホストらしく見えるよう声を掛けた。俺は果たして一体どんな振る舞いが「ホストらしい」のかあまり知らなかったが、まあいいだろう。女が俺の声に反応して振り返る。ばさりと音がしそうな睫毛の下にある目が、また俺を捉える。

「どこ行くんだぁ?」
「仕事よ」

嘘か本当かは知らないが、女はさほど警戒することもなく答えた。俺には女が、自分に声を掛ける男が沢山いることを知っているのだとすぐに分かった。先程より少し近付いた距離から女を見ると、顔つきからしてまだ二十歳かそこらに見える。

「お兄さん、あそこの店のホストなの?」
「ま……あなぁ……」

俺は一瞬返答を迷った。今日で店を辞めるはずなのに、その店の従業員だなんて言っていいだろうか。

「まだ始めたばっかでなぁ」
「大変?」
「ああ」

おまけに手掛かりはゼロだし銭湯は遠いしなぁ、と俺は心の中で付け足した。信号はまだ赤のまま変わらない。

「時給なんて思ったより全然低いんだぜぇ。それに俺はあんまり若くないしなぁ」
「そう? お兄さんいくつ?」
「もう三十は過ぎてるぜぇ」
「私は若くてチャラチャラした人より、お兄さんの方が格好良いと思うけどなあ」

女はまたしても、嘘か本当か分からないことを口走った。対向車線の信号が赤になり、俺はこちら側の信号がもうすぐ青になることを察する。あれこれ考えるより先に、俺の手はポケット内の名刺を探っていた。入店初日に作らされたシンプルなそれを、女に突き出す。

「良かったら店に来いよ」
「ありがとう。気が向いたら寄るね」

歩行者信号が青になる。女は俺から受け取った名刺を鞄へ忍ばせると、小さく手を振って歩き出した。まだ少し冷たい夜風に髪が揺れる。女が横断歩道に差し掛かると、その背中はあっという間に人混みに紛れて見えなくなった。



20110302


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