月桜鬼 第二部

□般若の素顔
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剣戟の音が聞こえなくなったため、戦いが終息した事を原田は確信した。
安堵すると同時に、嵐の傷の深さに眉をしかめた。

「早く手当を・・・・って、鬼はいらないんだっけか?」

「・・・・・・・・」

嵐は無言で答えない。
未だに少しずつだが、血が滴り落ちてくる。
全く傷が癒える気配がない。

「・・・・・おい・・・・もしかして・・・・お前・・・・」

言いかけた原田はすぐに口を噤(つぐ)み、俯き沈黙を守る嵐をいきなり抱きかかえ、水場まで歩き出した。

「お・・・おい、下ろせ」

狼狽(うろた)える嵐に目もくれず、原田は水場に着くと紅く染まった袖をまくり、
白い腕に流れる血を洗い流し、自分の持っていた晒(さらし)をきつく巻いた。

「とりあえずこれでいいだろう・・・・・。
 後できちんと手当てし直してくれ。
 跡が残らねぇと良いんだが・・・・」

傷が癒えない理由を何となく原田は察したが、口に出しては何も言わなかった。
それを知ってか、嵐も礼を短く言っただけで、それ以上口を開かない。

「原田さん。ご無事でしたか」

「おう、山崎か」

すっと姿を現した山崎はざっと戦況を説明し、鬼達が去っていった事、
そして羅刹隊以外こちらに被害が無い事を原田に報告した。

「・・・・そちらの方は・・・・?」

見た事も無い女の存在に気付いた山崎は、遠慮がちに原田に問うた。

「俺の女」

「違う」

反応に困った山崎だったが、女が敵でない事は理解できたため、
後は原田に任せそそくさと土方の元へ戻っていった。
山崎の背中が完全に見えなくなったのを確認し、原田は遠慮がちに問うた。

「・・・・・なぁ・・・・もしかしてお前・・・・」

「察しの通り、私は人だ」

原田の言葉を遮(さえぎ)り、冷たく突き放すように嵐は答える。

「人に捨てられ、鬼に拾われた、憐れなはぐれ者だ」

そう吐き捨てる嵐の声には、己に対しての侮蔑と冷笑が入り混ざっていた。

自分の顔が嫌いだと言っていた嵐の心情を、ようやく原田は理解できた。
嫌っているのは顔だけではない。
恐らく自分自身なのだろう。

人に捨てられ、鬼に拾われ、人として生きる事も、鬼になる事も適わない。
せめてもの慰めに、般若の面をつけていたのだろう。
いのりと似て異なる、過酷な運命・・・・・。

優しい両親、温かな人々との出会い、そして何よりも、いのり自身の強さ。
それによっていのりは、半鬼である自分を克服し、自分を愛し人を愛する事が出来るようになった。

だがこの娘は、未だ辛い運命を乗り越えられずに、たった一人で苦しんでいるのだと、原田は気付いた。

(・・・・こいつの力になりてぇ・・・・・)

原田は急激に嵐という娘が、健気で愛おしく思えた。
自分の命を軽視している様な姿に、痛々しさを覚える。
何故だか、この娘には自分が必要なのだと確信したのだ。

「・・・・ 嵐・・・・・」

「何故お前が落ち込む」

暗い影を落とした原田の横顔を、呆れたように見やって、嵐は立ち上がった。

「お前には関係のない事だ。鬼も去った。私は帰る」

端的にそう言い放つと、何かを振り切るように歩き出した嵐の前に、原田が立ちはだかった。

「・・・・・何の真似だ」

不愉快そうに睨み上げる嵐の頬を、原田はそっと手で優しく触れた。
直ぐさま振りほどこうと手を挙げたが、その手は傷を負っていた方だったため、
顔をしかめ、仕方なしに一歩体を引いた。

「・・・・・すまねぇ・・・・お前に傷を負わせた・・・・・」

何か言いかけた嵐は、原田が何を気にしているのかに気付き、半眼で睨む。

「全くだ。この借りはいずれ返してもらうぞ」

期待していない口ぶりでそう言った嵐だったが、原田は真摯に答えた。

「ああ・・・・何でも言ってくれ」

「・・・・・・・・・」

借りを返せとは言ったものの、傷を負った事は自分の弱さが原因であり、
原田が責任を取る筋合いは無いと嵐は考えていた。
何故、原田が責任を感じる必要があるのか、嵐には全く理解できない。

「悪いがお前に対して要求する様なものは何も無い。気にするな」

そう言ってやり過ごそうとした嵐を、突如原田は優しく抱きしめた。
驚いた嵐は押しのけようとするが、片手しか動かない為、原田はびくともしない。

「何をする!放せ・・・・・」

何とか藻掻(もが)こうとする嵐の耳元で、原田は苦しそうに囁いた。

「俺に・・・・ちゃんと償わせてくれ・・・・・」

原田の悲痛な声の響きに、嵐は愕然とする。
何故原田が傷ついたかのように、苦しげなのか。

人とは、こういう生き物なのか?
自分でない者が傷ついても、まるで自分の事のように悲しんでくれるものなのだろうか?

だが、嵐は内心頭を振った。
人とは醜く、浅ましい生き物だ。
嵐はそう確信している。

まだ幼かった自分を売った両親、そして自分を買い陵辱しようとした薄汚い男。
それをいのりの叔母である鬼の梓が、助け出してくれたのだ。
人と鬼、嵐がどちらを信頼するかは、いわずもがなである。

だが、原田は嵐が知っている人とは少し違った。
確かに飄々(ひょうひょう)とした物言いで、軽薄そうではある。
だが、一度懐に入れた者を裏切る様な男ではないと、嵐はなぜかそう思えた。
何よりも、守るべき者を守るために発揮される力は、鬼をも凌ぐだろう。

自分を包む腕も、淫欲に塗まみれた悍(おぞ)ましさは感じられず、
むしろ傷を労(いたわ)る様な、優しい温かさを感じる。

「・・・・・・放せ・・・・・」

再度口から出た拒絶の言葉は、嵐自身が驚く程弱々しかった。

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