月桜鬼 第二部
□密会
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紅葉の見頃も終え、この数日はしとしとと静かに雨が降り続けている。
今日は一段と冷え込んでいる気がする。
番傘から弾かれる、心地よい雨音を聞きながらも、斎藤は冷たい空気が体に触れぬよう襟巻きを正す。
「こんな日まで行くのか?本当にご執心だな。今日は雨の所為で寒いぞ?」
「なぁに、心配いらねぇよ。なんせ女に温めてもらいに行くんだからよ」
屯所を出る際、軽い嫉妬の入り交じった笑いが巻き起こったが、斎藤は表情を変える事は無かった。
その足は確かに祇園に向っていたが、衛士達が言うような、甘い情事の為ではなかったからだ。
「いつもすまない、菊月殿」
部屋に通された斎藤は、中に佇む美しい芸妓に詫びた。
「嫌やわ、斎藤はん。ここでは君菊どす」
「ああ、そうだったな・・・・」
生真面目に頭を下げる斎藤に、華やかな笑みを浮かべ、菊月は手早く禿(かむろ)に指示を出す。
「ほな、土方はんにも宜しゅう」
斎藤は無言で頷くと、禿の後に続いて部屋を出た。
そして禿の案内で、人目につかぬよう角屋の裏口から、こっそり抜け出す。
斎藤の内偵は、常にこの角屋の菊月を通して行われていた。
密書を山崎に手渡してもらったり、偵察の際の外出理由に使わせてもらったりしている。
ある芸妓に斎藤は入れ籠んでいる、と御陵衛士の隊士達に思わせておけば、
「斎藤も存外俗物だのう」
と警戒の目を解く事も出来きる上、長時間屯所を留守にしても怪しまれないと言う利点があった。
「このような時局に、女にうつつを抜かすとは!」
と露骨に不快感を表す者もいたが、
「斎藤君も健全な若者ですからね」
と、伊東が寛大を装ってか、目を瞑ってくれているため、それ以上問題になる事は無かった。
だが、新選組の屯所へ直接訪れる時は、やはりいつもより神経が張りつめる。
今回は、少し気になる情報が入ったため、土方の判断を仰ぐ為にも、斎藤自ら新選組屯所へと出向くつもりなのだ。
* * * *
それは今から数日前、伊東の弟、三木三郎に斎藤が呼び止められた事から始まった。
どうやら伊東が、誰かと頻繁(ひんぱん)に会うようになっている、と言う事だった。
「このような情勢下で、兄上は供の者もつけずに・・・。
いくら進言しても、女と会う時にそんな野暮な事を、とおっしゃってはぐらかすのだ。
相手が女でない事は、私でもわかる」
「・・・・・そうですか・・・・・
何か御陵衛士の長として、内密に有力者と会合をなさっていらっしゃるのでは?」
反応に困り、斎藤は適当に返事をした。
すると三木三郎は激しく頭を振る。
「いいや、もし薩摩の者など政局に関する会合の際は、必ず私を同席させて下さる。
兄上が私に隠し事をするなど、あり得ないはずだ・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「それに服部や、加納も相手を知らぬと言う・・・・・。
なんだか、良からぬ事が起きているのではないだろうか・・・・」
三木三郎は何が言いたいのか。
斎藤は要点を得ない目の前の男の物言いに、少し苛立ちを覚える。
「斎藤君は夏目いのりという娘が、新選組の屯所にいた事を覚えているか?」
唐突にいのりの名が三木三郎の口から飛び出し、斎藤は面食らった。
「・・・・近藤局長のご親戚ゆえ、存じておりますが・・・・」
斎藤の内心の動揺などお構いなしに、三木三郎は考え込む仕草をする。
「あの娘を気にするようになってからだ・・・・・兄上の様子が変わったのは・・・・・」
独り言の様だったので、斎藤は返答をしなかった。
もしかしたら、伊東はいのりが半鬼であることを知っていたのだろうか、
と言う思いが斎藤の頭を過よぎった。
気品溢れる美男で文武両道の伊東の事だ、女には困らなかったはず。
そのような男が、美しく成長したとは言え年端もいかぬ世慣れない無垢な娘を、
甘言を用いて丸め込むでなく、策略を用いて自分のものにしようとするだろうか・・・・。
ただの女子ではない。
そう思うからこそ方途(ほうと)を尽くし、何とかいのりを手に入れようとしているのではないだろうか・・・。
無意識に眉をひそめた斎藤の内心を知らず、三木三郎は真っすぐ斎藤を見据えた。
「斎藤君、君は知らぬか?」
「・・・・・何をでしょう?」
「兄上の密会の相手だ」
ようやく斎藤は、三木三郎が自分を呼び止めた意図を理解した。
つまりこの男は、兄の密会相手が分からず不安になり、何とか探ろうと斎藤に尋ねてきたのだ。
だが、斎藤もこの話は初耳であり、とても興味深いものだった。
「申し訳ありませんが、俺には見当もつきませぬ・・・・」
縋(すが)る様な三木三郎の視線から、協力を欲していると察したが、
斎藤は表立って深入りする事を避けるため、無関心を装った。
目に見えて落胆した三木三郎は、この事は他言せぬよう念を押し、
また誰かに聞きにいく為か、うろうろと屯所を徘徊(はいかい)しだす。
内密にと言った本人があちこち尋ね歩いていたら、隠し事にはならないではないかと斎藤は呆れたが、
直ぐさま伊東の密会相手を探るべく裏で動き始めた。