月桜鬼 第二部
□吾亦紅(我も恋う)
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いのりの部屋の前で、まだ決心がつかず斎藤はうろうろしていた。
中に気配があるため、いのりがいる事は間違いない。
覚悟を決め、障子越しにこっそり声をかけたが、やはり眠っているらしく返事が無い。
一目だけでも・・・・寝顔だけでも見たいという願望に屈すると、斎藤は躊躇(ためら)いがちに少し障子を開けた。
中には柔らかい行灯の光に照らされ、寝ている人の姿が浮かび上がっていた。
どきりと斎藤の心が踊る。
目を凝らすと、枕元に手拭いが落ちている。
恐らく、額にのせていたのが落ちたのだろう。
斎藤は辺りを見渡し、人影が見当たらないのを確かめると、音も無くいのりの部屋へと忍び込んだ。
(何をこそこそと・・・・・まるで間男ではないか・・・・)
情けない思いを抱きつつ手拭いを拾うと、桶に満たされた水に浸し、
しっかり絞るといのりの額に戻した。
熱の為か少し頬が赤いが、長い睫毛を伏せ、形の良い唇を閉じ、静かな寝息を立てている。
思ったより病状は安定しているようで、斎藤は安堵した。
この様に、熱を出して寝込むいのりを見るのは初めてだった。
自分が居ない間に、無理をしたのではないかと、側にいられなかった事が悔やまれる。
山南の時もそうであったが、いのりは人の事になると、自分の身を顧みないところがある。
以前いのりにそう指摘したら、
「斎藤さんに、言われたくありません」
と、むくれてしまったが・・・・・。
(総司達には、いのりに無茶を言わぬよう、釘を刺しておく必要があるな・・・・)
そう考えつつ、しばし斎藤があどけない寝顔を優しげに見つめていると、うっすらといのりが目を開けた。
まさか起きてしまうとは思っていなかった為、斎藤は思わず狼狽えてしまった。
若い娘の寝所に無断で入り込み、しかも無防備な寝顔を見つめていたなど、無礼千万。
言い訳のしようも無い。
今更逃げる事も取り繕う事も出来ず、固まったままの斎藤に、
いのりは直ちに反応できないようで、熱っぽい目で不思議そうに斎藤の顔を凝視している。
「・・・・す・・・すまない、起こしてしまったか」
微かに頭を振り、いのりは否定の意志を示す。
「・・・・さい・・・・と・・・・さ・・・・ん?」
「ああ、そうだ。・・・あんたが熱を出したと聞いて、その・・・・
気になってな・・・・」
後ろめたい気持ちが溢れ口ごもる斎藤を、いのりは熱で潤む瞳で見つめる。
何だかいのりがいつもより艶つやっぽく感じ、斎藤は気恥ずかしく落ち着かない。
「・・・・ゆめ・・・・の・・・・続き・・・・かと思いました・・・・」
先ほどより覚醒したのか、いのりの呂律がはっきりしてきた。
「俺の・・・・夢を見ていたのか?」
確かめるように斎藤が問うと、いのりは少し恥ずかしげに、こくりと小さく頷いた。
斎藤の心臓が早鐘のように打つ。
「ど・・・どのような夢だ?」
「・・・・斎藤さんが・・・・」
「うむ」
「御神輿(おみこし)を担いでました・・・・」
「・・・・・・・・」
斎藤の耳に、祭囃子が聞こえた気がした。
布団で口元を隠しながら、いのりはさも可笑しそうにくすくす笑っている。
別に色っぽい夢ではなかった事に、安堵する様な残念な様な、複雑な感情が斎藤の中で渦巻く。
まぁ、いのりの夢の中に自分が出てきた事は、良い事だと言い聞かせ、斎藤はいのりに優しく微笑む。
「帰ってこられたのですか?」
「あ・・・いや・・・・すまぬ。まだだ。
今日は報告の為に来た・・・・」
嬉しそうないのりの声に胸が痛みつつも、斎藤は否定した。
「そうですか・・・・・」
今度は気落ちした表情に変わり、斎藤はたじろぎ、慌てて慰めるように言い繕う。
「い・・・いや、冬までには決着がつく」
何度、いのりの期待を裏切ってきたのやら。斎藤は本当に申し訳なく思う。
だが斎藤とて早く帰ってきたいのは山々だが、伊東の動き次第のため何とも言えない。