月桜鬼 第二部

□君がため
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斎藤の父は明石領の足軽だったが、江戸へ出て刻苦(こっく)の末に御家人株を買い取り、直参にまで上り詰めた苦労人だった。

「俺には上に、姉と兄がいて、末っ子と言う事もあり、何かと甘やかされていた気がする・・・・」

いのりは幼い頃の斎藤を想像し、あまりの可愛らしさについ笑みをこぼした。
不思議そうな斎藤を促し、さらに話して欲しいとせがむ。

「俺が口を開く前に、聡い兄や面倒見の良い母や姉が、先んじて動いてくれた為、
 このような無愛想に育ったのだと、父に言われた事がある」

「・・・・・兄弟がいるって・・・・素敵ですね」

いのりが羨望の眼差しを向けると、斎藤は気恥ずかしそうに頬を染め、そっぽを向いてしまった。

「ただ、俺は生まれつき左利きだったため、母も兄達もそれを正そうと苦心していた」

いのりは自分の手をしっかり握ってくれている、斎藤の左手に視線を移す。

「だが、矯正しようと右手を使えば使う程、剣の腕は伸びず、
 何事も並以下にしか出来ず、本当に情けない思いをした・・・・」

歯痒い思い出が蘇った為か、斎藤は少し感傷的な表情を浮かべた。

だが、苦悩する幼い息子を見ていた父が、
『右構えの弱い武士より、左構えの強い武士だ』
と言って、斎藤を矯正する事を止めさせた。
そんな父に応えたいと、斎藤は立派な武士になるべく、剣術に学術にと真剣に取り組んだのだった。

「素敵なお父様ですね・・・・」

いのり自身も父親をとても大切に思っているため、
斎藤もまた父を敬愛していると知って、とても嬉しく感じた。

「だが、どの道場へ行こうとも、どれだけ勝負に勝とうとも、
 左利きは不調法者と蔑(さげず)まれ、免状や切紙など受け取った事は無かった・・・・。
 そんな中、俺を受け入れてくれたのが・・・・」

「試衛館の皆さんだったんですね・・・・」

異端である事の引け目は、いのりも痛い程分かる。
そして、それを認めてくれる人がいたと言う悦びも。

「俺は初めて、父の他にも自分を認めてくれる人がいると知った。
 そして初めて、仲間と呼べる奴らと出逢えた・・・・」

近藤、土方、沖田、藤堂、原田、永倉、井上・・・・・。
いのりは皆の顔を一人一人思い起こす。

藤堂も言っていた、試衛館で初めて仲間と呼べる人達と出逢えたと・・・・・。
そして、自分自身もそうなのだと、いのりも強く思う。

しかし、そんな満ち足りたいのりの心に、斎藤の感情を押し殺した声が刺さった。

「だが俺は、十九の時に初めて人を殺した・・・・・」

驚いていのりは目を見開いた。
だが、斎藤の表情は変わらず、淡々としている。

「当時の俺は・・・・いや、今もそうだが、未熟で愚かだった。」

「そんな・・・・・」

「人の理念や思想は、人それぞれだと分かっていなかった。
 常に物事には正道があり、唯一無二の真実があり、
 それを俺自身が分かっているような錯覚を起こしていたのだ・・・・」

「・・・・斎藤さん・・・・」

気遣ういのりの視線に気付き、軽く笑みで返すと、斎藤は再び口を開いた。

「同門の若い旗本と口論となり、果ては真剣勝負を申し込まれ、俺は受けた。
 父達の事を考えれば、貧乏御家人の小倅(こせがれ)が、旗本の子息と果たし合いをするなど、言語道断であり、
 俺が頭を下げれば良いだけの事だったが、俺はそれが出来なかった・・・・」

「・・・・どうして・・・・・?」

「『御家人株を買ったところで、足軽の子は足軽。真の侍にはなれん』
 ・・・と言われたのでな・・・・」

斎藤は苦笑と共に、過去の自分に自嘲した。

「今思えば、ただあの男は、旗本である自分の父の事を敬愛し、誇りに思っていただけかもしれない。
 だが俺は・・・・・武士たらんと己の道を歩んでいるものは・・・・
 生まれがどうであっても、武士であると信じていた。
 利き腕が異なると言う理由で、強さを正当に認めてくれなかった世に対しての、俺の意地でもあったかもしれない。
 だが、今でもそう信じている。
 名ばかりの武士が横行している、堕落した今の世の中だからこそ、強くそう思う。
 だから常に強き武士であろうと邁進(まいしん)している、父や兄を侮辱された気がしてな・・・・。
 どうしても許せなかった・・・・・」

いのりは声にならない思いを伝えるかのように、熱で熱くなっている手で、しっかりと斎藤の手を握る。

その果たし合いは、立会を入れた正式なものだったが、それで終わるはずも無い。
どの様な事情があろうと、人を斬り殺せば重い責任を課せられる。
その上跡取りを殺された旗本から、どの様な仕打ちを受けるか分かったものではなかった。

斎藤は父や兄に諭され、その日のうちに江戸を飛び出した。
僅かな金子と、京で道場を開いている父の知人宛の書状だけを持って。

斎藤は大きく息を吐き出すと、気を取り直すように、いのりの涙で潤んだ瞳に微笑んだ。

「その時、父に言われたのだ。
 紛れもなくお前は自分の息子であり、武士の子なのだと。
 だから、胸を張って武士道を貫け。
 決して己の意地など、下らぬもので命を落としてはならない。
 真に命を掛けるべきものを見つけろと・・・・」

いのりは月山の言葉を思い出した。

「刀を抜いた以上、命ある限り守るべき者のために戦い続ける。これこそが、誠の武士だ」

守るべき者、仕えるべき者がいない者は、ただの腕に覚えのある浪人でしかなく、決して武士とは言えない。

いのりは、斎藤の深い瑠璃色の瞳を心配気に見つめたが、
揺るぎない静かな意志に気付き、ほっとして確かめるよう問うた。

「斎藤さんは・・・・・見つけたのですね・・・。
 その、命をかけられるものを・・・・」

いのりの言葉に、斎藤は深く頷く。

「しかも、一つではない」

和(なご)やかな斎藤の声に、潤んだ瞳を拭いいのりも揶揄(からか)うように微笑んだ。

「では、命がいくつあっても足りませんね」

「ああ、俺は自分がこれほど強欲だとは知らなかった・・・・」

半ば本気で感嘆の声を上げた斎藤に、いのりは堪らず笑い出した。

「だから、俺は強くならねばならぬ・・・。
 強い武士とならねば・・・・」

「斎藤さんなら、きっとなれます。
 きっと・・・・全て守りきれる、強い武士に・・・・」

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