月桜鬼 第二部

□暗殺
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運命の十一月十八日。
黒紫の空が深々と冷え込んで来た夕刻、伊東が近藤の妾宅を一人で訪れると、中で近藤と土方が待っていた。

近藤の穏やかな笑顔と、土方の警戒心露(あらわ)な厳しい顔を眺めやり、伊東は深々と頭を下げる。

「お忙しい中、お時間を頂きまして・・・・」

「いやいや、こちらこそ伊東さんにここまでご足労頂きまして・・・・。で、どうですか?そちらの首尾は?」

「上々ですわ」

伊東が笑顔で近藤に答える。

「藤堂君も、斎藤君もとても良く私を支えてくれています。
 本当に助かっていますわ」

「それはそれは・・・・」

近藤は曖昧な笑顔で応じた。
傍らに座っている土方は、伊東の一挙手一投足を、無言で隙無く窺(うかが)っている。

互いに互いの命を狙っているのに、それを笑顔の奥に秘めて、
表面上は友好的に話し合いをすると言う、不毛で苦痛な時間が過ぎていく。

土方はいつ伊東が動くか注視しているが、どうも行動を起こす様子が無い。
半ば杞憂だったかと思いつつも、妙に落ち着き払った伊東の雰囲気に、疑念が湧かずにいられなかった。

報告と資金の授受が終わり、三人で酒の席を設けると、伊東が盃を片手に突如近藤に問うた。

「ときに、近藤さん。
 夷狄(いてき)を駆逐(くちく)する為に、今我々が必要としているものは、何だと思われますか?」

数回杯を重ねたが、この程度で伊東が酔うはずもなく、
これは荘重(そうちょう)な問いであると気付き、近藤は真摯に答える。

「・・・・・・力ですか?」

及第点だと言わんばかりに、伊東は満足げな顔で頷いた。

「正(まさ)しく、力が必要です。ですが国防には様々な手段があります」

「と、いうと?」

伊東の講義が始まったかの様に、近藤は至って真面目に伊東の話に耳を傾けた。

「武力は勿論のこと、経済力、そして外交力。
 この三つのうちのどれかが優れていないと、国を守る事は出来ないと思います」

近藤が感銘を受けた様に大仰に頷く。

「外敵を退けるだけの武力。
 敵をも支配するだけの経済力。
 そして敵を作らぬ外交力。
 残念ながら、我々は長い間夷狄との交わりを禁じてきたため、
 外交に置ける交渉は話にならず、経済も敵を飲み込むまでの豊かさはありません」

「ならば・・・・」

「そうです。我々には武力。戦う他にないと思われます」

顔を曇らせ、近藤は何か考え込み始めた。

「我々の近辺の国々をご覧ください。
 武力も経済力も外交力もなかったため、支配され略奪され、蹂躙(じゅうりん)され、
 滅ぼされているではありませんか」

「・・・・・確かに・・・・・」

「このままでは・・・・・我々の国も危うい。
 今はまるで、徒手空拳で黒船に挑む愚かな獲物でしかありません。
 なにか一つでも対抗できるものがあってこそ、我々は対等に夷狄と対峙する事が出来るのです」

「それが武力だと・・・・」

「ええ、四年程前、薩摩と英国が海戦を行った際、見事撃退する事ができました」

確かに文久二年、薩摩藩の行列を乱したという理由で、英国人を供回りの領士が殺傷した。
後にこれは『生麦事件』と呼ばれる事となるが、その事件の謝罪と賠償を幕府から受けた英国は、
更に薩摩からの賠償と犯人の懲罰を請求した。
だが薩摩と英国の交渉は暗礁に乗り上げ、鹿児島港での戦闘始まってしまった。
互いに大きな損害を被ったものの、薩摩は英国の艦隊を押し返す事に成功した。

亜米利加ではこの事件と戦闘を報じ、日本という国の法や文化、風習や規律に対し、
きちんと敬意を払うべきだと論じた。
そしてこの薩摩と英国軍との戦闘に寄り、日本という国は勇猛果敢であり、攻略する事は簡単ではないであろうと、
一目置かれる存在となっていったのだ。

半ば伊東の話に飲まれかけている近藤を見やり、土方は焦りを感じた。

伊東の話には一理どころか、大いに納得するべき所が多々ある。
だがそのために、近藤が人身御供(ひとみごくう)となるのを許す事は出来ない。

「転じて、清国はどうでしたでしょう?
 英国から阿片をどんどん流され国が衰退し、戦になったかと思えば二年で敗北し、
 最後には不平等な条約を締結させられました。
 公行の廃止、五港の開港、香港島の譲渡、多額の賠償金・・・酷いものです。
 それに、これで終わりという事はないでしょう。
 次から次へと要求は増え続け、清国は骨の髄までしゃぶり尽くされてしまうでしょうね・・・」

話の指導権を握ったという確信からだろうか、伊東に不敵な笑みが浮かぶ。

「だから今では権威が失墜し、衰退しつつある幕府ではなく、天子様がこの国をまとめ、
 夷狄の支配の手からこの国を守るべきだと言いたいのか?」

土方の横やりに対し、伊東は返答せず、ただ静かに笑みをたたえた。
重々しい沈黙の中、優雅な仕草で伊東が酒を煽(あお)る。
余韻に浸る様に、しばし目を閉じると、また唐突に驚愕の事実を伝えた。

「どうやら夷狄がこの京にやってきて、密かに暗躍しているようです」

驚愕の表情を見せる二人に、伊東は余裕の笑みを浮かべる。

「もうすでに、夷狄の手はこの国に届いています。
 さあ、どうしましょう?」

まるで他人事のように話す伊東を、土方は苦々しい顔で睨んだ。

この余裕からして、伊東はその夷狄が京で何が目的で、何をしていているかを知っていて、
伊東はそれに対応する力を有しているのだろう。
全く、この男の有能な事、空恐ろしい程だ。

「貴重な情報をありがとうよ。こっちでも探りを入れる」

かろうじて敗北感に陥(おちい)るのを踏みとどまり、土方は伊東を見返した。


* * * *


「なぁ・・・・トシ」

「今更・・・・何も言わねぇでくれよ」

土方には近藤の言いたい事がよくわかっていた。
だが、もはや立ち止まる事は許されない。

宴も終わり、伊東は一人満ち足りた笑顔で、暗く冷えた夜道を帰っていった。

伊東の言葉、表情、そして帰り際の後ろ姿を、土方は思い起こす。

確かに伊東はこの国を守るには、必要な逸材かもしれない。
だが、その為に近藤や新選組を、供物(くもつ)として捧げる気はさらさらない。
例え、歴史に逆行していようが、大局を見失った愚かな行為であろうと・・・・・。

元々新選組は京の治安を守る為に結成された組織。
国事になど関わるべきではないのだ。

「俺たちは・・・・一体、なにと戦っているのだろうな・・・・・」

近藤の虚しい一言が白い息と共に、冬の凍てついた夜空に溶けていった・・・・。

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