月桜鬼 第二部

□油小路の変
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その頃原田と永倉は、赤い液体が入った硝子の小瓶を掲げる伊東と対峙していた。

月明かりで照らされた油小路では、蒼白い光の中、張りつめた緊張感が漂っている。

これは原田達も予想だにしていない事態だった。
まさか伊東が変若水や羅刹の事を知っていたとは・・・・。

二人の頭の中に、どう動くべきか目まぐるしく思考が錯綜(さくそう)していた。
動かない二人をさも可笑しそうに、伊東が嘲笑(ちょうしょう)する。

「どうしました?私を殺すのではなかったのですか?」

伊東の余裕の態度に苛立ちを隠せなかったが、原田は考える時間を稼ぐ為に丁寧に答える。

「俺たちは必要とあらば斬れ、と言われただけだ・・・・」

伊東は笑いを止め、侮蔑を込めた表情で大きく溜め息をついた。

「そこですよ・・・・・私が最も嫌いな所・・・・・」

原田と永倉は訝しげに眉をひそめ、伊東を睨む。

「近藤さんは自らの業に耐えられず、いつも迷っている。
 人に判断を委(ゆだ)ね、汚れ役を人に押し付ける・・・・・」

ゆらりと伊東が前に進み、原田達との距離を詰める。

「・・・・・だが・・・・・私は違う・・・・・」

微かな月明かりの元でも、伊東の瞳が異様に光っているのがよくわかる。
永倉は我知らず、乾いた唇を舐めた。

「私は・・・・・全ての事を・・・・自ら進んで手を汚す事が出来る・・・・
 謀略も!!暗殺も!!羅刹となる事も!!!」

何が可笑しいのかは分からないが、伊東は狂ったように笑い出した。
そんな伊東を蔑(さげす)むような目で見つめ、原田も槍を慎重に構えた。

「それは違うな・・・・・」

「何・・・・?」

文字通り横やりを入れられ、不快そうに伊東が原田を居丈高(いたけだか)に睨む。

「違うと言っている。てめぇはただ、人を信用できていないだけだ!!」

虚をつかれたように、伊東の顔が醜く歪んだ。

「てめぇは俺たちを高く評価しているとか言ってたが、どうせ駒として使えるかどうかしか見ていねぇだろ!
 全て自分一人で出来るって言うのは!!
 誰一人信用できずに、一人で孤独に戦うしかねぇってだけだろうが!!」

初めて伊東の目に、殺気が滲み出て来た。

「そう・・・・私は一人で十分・・・・。
 そして・・・・これを使えば・・・・手駒も不要!!!」

そう言い放つと、伊東はあっという間に手にしていた変若水を呷(あお)った。
原田達が踏み込み、白刃を叩き付けるより早く、伊東の髪は白く染まり、
瞳は深紅に鈍く光り、男は羅刹となった・・・・。

瞬きする間もなく身を翻(ひるがえ)し、二筋の閃光を躱すと、抜刀し原田達に襲いかかってくる。

「・・・・くっ!!」

油断していたわけではないが、原田は甘かったと思わざるを得なかった。
まさか伊東が変若水を持っているとは、羅刹になるとは考えてもいなかった。

「一体何処から・・・・・」

永倉の零した独り言に、意外な場所から返答があった。

「私ですよ・・・・・」

羅刹となった伊東に意識を集中しすぎていた為か、周囲の気配に気付かなかった。
慌てて原田と永倉が声のする方を見やると、剃髪(ていはつ)の壮年の男が佇(たたず)んでいるのに気付いた。

「あ・・・・・あんた・・・・・雪村鋼道!?」

永倉が驚愕の声を上げたが、綱道は眉一つ動かさず、深々と頭を下げた。

「お久しぶりです・・・・」

「おいおい・・・・一体、何の冗談だ??」

事態の展開についていけず、原田が呆然と伊東と鋼道を交互に見やる。

「・・・・私はとある方の依頼で伊東さんに接触し、変若水をお渡しするよう命じられたのです・・・・」

斎藤の言っていた、伊東の密会相手は鋼道だったようだ。

だが鋼道に対する疑問はそれだけではない。
何故数年前、自ら家を焼き姿を晦(くら)ませたのか。
何故、ここにいるのか。
何故、伊東に変若水を渡したのか。
命じたとある方とは一体誰なのか・・・・・。

ここで問うても正直に答えてはくれないだろう。
それに羅刹となった伊東も、原田達を見逃す様子も無い。
事の成り行きをさも愉快そうに見ているが、殺気は立ちこめたままで、構えに隙もない。

「さて・・・・お話はここまでで宜しいですか?
 これから死ににゆく者に、わざわざ全てを話す事は無いでしょう。
 時間の無駄です」

伊東は青白い顔に冷酷な笑みを浮かべ、刀を構えた。

元々伊東は神道無念流、北辰一刀流を極めた武芸者である。
その上変若水を飲み、人外の怪力と治癒力を手に入れ、紛れもなく無敵の存在となってしまった。

原田達も無傷ではいられまいと、腹をくくった。

二人同時に切り込むも、たった一薙ぎで体ごと吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。
どちらかと言うと大柄で体格の良い原田達が、まるで子供のようにあしらわれてしまう。
無力感と焦燥感で、原田達はじりじりと追い詰められる。

だが、引く事はしなかった。

原田が伊東の体が開いた瞬間を狙い、鋭い突きを繰り出した。
穂先が伊東の体に届いたと思ったその時、無造作に槍を掴まれ、槍を手にした原田ごと宙に持ち上げられた。
手を離す機会を逃し、地面に叩き付けられ、原田は一瞬息が詰まる。
伊東の刀が凶悪な光を放ち、原田を貫くと思われた瞬間、静かな夜空に鈍い銃声が響いた。

背後から躍りかかろうとしていた永倉は、伊東の背中がぐらりと揺れ、倒れ込むのを見た。
地面を転がり伊東から離れると、原田は直ぐさま立ち上がり槍を構え、寒空に向って声を上げた。

「不知火だな?どういう事だ!」

月影から仏頂面で現れた男は、不満そうに原田を見た。

「うるせぇな。仕方ねぇだろ。こいつを殺れって言われたんだからよ」

誰に、と質そうとした原田に、不知火は冷ややかに忠告する。

「おい、油断してんなよ。こいつはまだくたばってねぇぜ」

確かに原田が視線を戻した時には、既に伊東は立ち上がっていた。
だが、不知火から受けた銃撃により、かなりの傷を受けたようだ。
どす黒い血を垂れ流しながら、羅刹の治癒能力で癒えぬ傷に伊東は戸惑い、狼狽(うろた)える。

「な・・・・・何故だ・・・・・・?何故・・・・」

伊東の腹を抉(えぐ)った銃弾は、未だ体内に留まり、伊東を苦しませているようだ。
噛み締めた歯の隙間から、毒々しい怨嗟(えんさ)の呻(うめ)きが零(こぼ)れてくる。

この隙を見逃す手はなかった。

原田が飛び込み、伊東の刀を弾くと、がら空きになった懐に永倉が白刃を貫かせた。
驚愕の表情を浮かべ、伊東は地に伏した。
あり得ない敗北だったのだろう。

己の才覚と、羅刹の力があれば、この世の誰にも負けぬ存在となり得たはずだった。
それがこのような形で終わってしまうとは・・・・。

無念を滲(にじ)ませ、伊東は息絶えた。

「知恵ありといえども、勢いに乗ずるに如かず・・・・か・・・・」

原田と永倉は大きく息を吐き、全てが終わった事に安堵した。

だが、まだ終わってはいなかった。
羅刹となった伊東の遺体を回収せねばならない。
生前の伊東を知っている者がこの死体を見れば、異常である事は一目瞭然である。
幕府からの密命である羅刹や変若水の存在が、明るみになってしまう可能性もある。

鋼道や不知火は互いに対峙し、こちらに興味もなさそうだ。

原田と永倉が慎重に遺体に近付き、運び出そうとした時、遠くから人の声がした。

一人の鬼と三人の男が咄嗟(とっさ)に物影に隠れると、
伊東の名を呼び駆け寄る数人の男達の姿が、月光のもと浮かび上がった。

「伊東先生!!伊東先生!!なんて事だ・・・・・」

男達は嘆き遺体に縋(すが)り付いていたが、伊東の異様な姿に、不審を抱いたようだ。

「・・・・・何だ・・・・?伊東先生の髪が・・・・・」

「兎に角、先生のご遺体をこのままには出来ん。早くここから運ぶぞ」

伊東の冷たくなった体を抱え、男達は油小路を去ろうとする。

「おい・・・・待てよ。それを持ってってもらっちゃ、困るんだよ」

行く手を阻むよう、男達の前に原田と永倉が立ちはだかった。

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