月桜鬼 第二部

□道標と光
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 溢れる恋情からの続き

「僕は近藤さんの刀だ・・・・」

そう沖田は公言していた。

だから近藤の為に命を削り、いずれ激戦のさなか、凶刃に倒れるのだろうと思っていた。
それで構わないし、それが望みだった。

だが人は、死に場所も死に方も選べないようだ。
まさか自分が病に屈するとは、沖田は思ってもいなかった。
あまりの不甲斐なさに笑いが込み上げてくる。

こんなはずではなかった・・・・・。
己の血の最後の一滴まで、命の最後の一欠片まで、近藤に捧げるつもりだった。

自分はもう誰からも必要とされていないと、真っ暗闇の中を彷徨(さまよ)っていた幼い沖田を救ったのは、
近藤の屈託の無い明るい笑顔だった。

彼の真っすぐな心が、沖田をここまで導いてくれたのだ。
それに報(むく)いたい。
その為だけに体を鍛え、技を磨き、江戸を出て京まで来て、この手を汚してきたのだ。

「こんな所で・・・・・立ち止まってなんていられない」

そんな沖田の思いとは裏腹に、病魔はじわじわ若い沖田の体を蝕(むしば)んでいく。

夜眠りにつく度に、自分が労咳(ろうがい)であるというのは夢で、朝起きたら、
いつもと変わらない自分に戻っているのではと期待し、目が覚める度に現実であると思い知らされる。

体調が良い日が続き、労咳ではなく本当はただの風邪だったのでは、と淡い希望を抱き、
次の日に咳が止まらず熱が出て寝込み、やはり自分は病に倒れるのだと絶望に打ち拉(ひし)がれた。

徐々に沖田は、精神までも蝕まれつつあった。
そんな沖田を温かく包んでくれたのが、いのりだった。

自分の絶望に耐えきれず、いのりに縋(すが)り付こうとして、傷つけてしまった。
それでもいのりは沖田を責めず、あまつさえ支えてくれようとしている。

「近藤さんが僕の道標なら、いのりちゃんは道を照らす明かりみたいだ・・・・」

沖田は漠然とそう思った。

そして、自分は例え近付けばその身を焼き尽くすと分かっていても、
その光に惹かれずにいられない、儚(はかな)い蛾の様なものかもしれないと・・・・・。

いのりに側にいて欲しい・・・・。
いのりが側にいて、温かく微笑んでくれている間は、
まだ道標を・・・・・道を見失わずにいられるから・・・・。

例え道半ばで息絶えようと、いのりが照らしてくれていれば、
人知れずひっそりと自分の骸(むくろ)が朽ちていく事は無い。
きっといのりが丁寧に弔(とむら)ってくれるはずだ。
自分を想う涙と共に・・・・・。

「山南さんも、こんな気持ちだったのかな・・・・・」

沖田は山南の静かな微笑みを思い出した。



* * * *



「あれ?総司は?」

夕餉の際、沖田の姿が見当たらない事に気付き、永倉がいのりに声を掛ける。

「沖田さんなら、まだ雑務が残っているらしくて、自室で召し上がるそうですよ」

にこやかに答えるいのりに、永倉はにやりと笑う。

「あの総司が?信じらんねぇ〜。明日は雪か?吹雪か?」

「あら、沖田さんはお仕事も、悪戯も、手を抜く事も、全部真面目にやってるんですよ」

澄まし顔のいのりに、永倉は確かに、と原田と共に声を上げて笑った。
だが、皆知っていた。
いのりが沖田の為に用意した夕餉は、皆とは違うものであった事を。

恐らく沖田は、今日も体調が芳(かんば)しくないのだろう。
いくら沖田やいのりがひた隠しにしようとしても、土方達は薄々感づいていた。

「総司は、何かの病に冒(おか)されている・・・・」

しかし、それを沖田もいのりも明らかにしない。
いや、沖田はそういう事を、人に打ち明ける様な男ではないのだ。

常に飄々(ひょうひょう)と不敵な笑みを浮かべ、決して人に隙を見せたり、
わずかでも他人に己の内側へ踏み込ませるような事を、絶対に許さない男だ。
もし、一歩でも彼の領域を侵す者がいれば、躊躇(ためら)いも無く一瞬にして屠(ほふ)るだろう。

だから、例え病に冒されていようと、沖田は断じて他言する事は無い。

そんな人に弱みを見せたくないという、我儘(わがまま)とも言える男の矜恃を、
いのりは理解して支えてくれているのだ。

それが分かるからこそ、土方達は沖田を特別扱いしない。
いつもの通りに接し、いつもの通りの隊務を任せる。

もし、病を打ち明けられれば、養生(ようじょう)する為に仕事を減らしたり、
暇を与えたりできるが、恐らく沖田はそのような事を望まないだろう。

例えそれが、沖田の命を削る事になろうとも・・・・・。


* * * *


沖田の部屋に近付くにつれ、苦しそうな咳が聞こえる。

いのりは急いで沖田の自室に入り込み、咳き込む沖田の背中を優しくさすった。
労(いたわ)る様ないのりの手の温かさが、ゆっくりと背から伝わり、沖田の咳が少しずつ収まっていく。

「喉が痛むでしょう?葛湯(くずゆ)をお持ちしました」

「甘い?」

「勿論です」

いのりの笑顔に頷くと、沖田は大人しく葛湯の入った椀を受け取り、少しずつすする。
その間にいのりは手早く沖田の夕餉の準備をした。

「・・・・あんまり食べたくないなぁ・・・・」

「・・・・食欲が無いのは分かりますが・・・・一口だけでも食べてください。・・・・・ね?」

溜め息まじりに呟いた沖田に、いのりは悲しそうな顔をした。

(ずるいなぁ・・・・・)

いのりを悲しませるのは沖田の本意ではない。

だが、このまま素直に食事に手をつけるのは、いのりに全面降伏したようで、何だか面白くない。

「じゃあ、いのりちゃんが僕に食べさせてよ」

「ふぇ・・・・?」

茶碗に粥をよそっていたいのりは、唐突な沖田の要求に驚き、奇妙な返事をしてしまった。

「だから、いのりちゃんが食べさせてくれるって言うなら、食べても良いよ」

にやにやとほくそ笑む沖田に、少し呆れた様な顔を向け、いのりは匙(さじ)で粥を掬(すく)った。

「もう・・・・・沖田さんたら、子供みたい」

「子供じゃないよ。病人」

「はいはい」

「病人には優しくしなくちゃね」

「はいはい」

「返事に心が籠(こも)ってないよ」

「はいはい」

「・・・・・・・・何笑ってるのさ・・・・」

そんな会話を交わしながら、沖田は何とかいのりが持ってきた粥を食べ切った。

「ふぅ〜〜〜〜〜。もう駄目だ・・・・・」

「完食ですね!凄いです!」

嬉しそうに微笑むいのりの顔を見て、沖田もつい頬を緩ませる。
だが、片付けをはじめたのを見て、このままいのりが部屋を去っていく事に寂しさを感じた。

そして、ふと、いのりの様子が今までと違う事に気付いた。
つい先日までは、少し疲れが滲(にじ)み出ていたいのりの顔に、
今では活き活きとした精彩が溢(あふ)れている。

(・・・・・・何かあったんだ・・・・・・一君と・・・・・)

それは邪推の域を出ない憶測だったが、正鵠(せいこく)を射ていた。

先ほどまでのいのりとの温かなやり取りで、穏やかになった沖田の心に、暗い影が被い始めた。

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