月桜鬼 第二部

□天満屋事件1
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光への希求からの続き

鋼道や千鶴と共に、山南と藤堂が案内役の嵐に連れられ、
鬼の里へと姿を消してから数日が経ったある日、斎藤は土方に呼び出された。
改めて一人だけ呼び出されるという事は、また、自分に任せたい任務があるのだと、斎藤は察した。

土方は正面に座った斎藤に、にやりと意地の悪い笑みを浮かべて、揶揄した。

「おい、斎藤。隊士達がお前に不信感を抱いているらしいぜ・・・・・?」

「承知しております」

「それでいて、平然としているお前の胆力には恐れ入るぜ・・・・・」

土方が半ば呆れたように嘆息すると、斎藤は聞き流すように話題を切り替えた。

「で、それと今回の呼び出しとは何の関係が・・・・?」

「・・・・・実はな、紀州領から領士の三浦休太郎を護衛して欲しい、と依頼があった。
 そこで、お前の力を見せつけてやれと思ってよ。
 お前が活躍すれば、他の奴は口出しできないだろうからな」

新選組の今の内情は、決して芳(かんば)しくはなかった。

処罰が厳しすぎるというのも一因かもしれないが、
あの伊東甲子太郎が残していった遺恨も、隊内の不協和音の原因の一つだった・・・・・。

一枚岩とまでは言わないが、それでも結束力を強めるには、
一つ一つ不平不満を潰していくしかない。

その中でも一番の問題は、裏切り者として、
内情を知らない新選組の隊士と御陵衛士の残党、
双方に睨まれている斎藤の状況だった。

御陵衛士から恨まれるのは仕方ないとしても、
何とか新選組の中では、その立場は確立しておかなくてはならない・・・・・。

そんな土方の心情を余所に、斎藤は今回の隊務に対し、深く思案をしている様子だった。

「三浦休太郎は・・・・・確か・・・・」

「ああ・・・・。例の坂本龍馬暗殺の件で、海援隊士に容疑を掛けられている男だ。
 どうも坂本龍馬が代表だった海援隊の船が沈没して、その賠償かなんかで揉めたらしい。
 なんせ八万三千両もの大金だそうだ。
 こりゃ疑われても仕方ねぇな・・・・・」

「その暗殺の件については、左之にも嫌疑が掛けられていたと思いますが・・・・・」

「あれか?ありゃ笑い話にもならねぇよ。
 あん時は伊東の野郎が、近江屋の現場に落ちてた鞘が、
 原田のものだと言いがかり付けてきやがっただけだ」

土方は鼻で笑い飛ばすと、また仕事の話に戻した。

「それで、すまねぇが暫くの間、ここを離れて警護してやってくれ。
 それと数日後に酒宴を開くらしくてよ、それにも護衛として付いて欲しいらしい」

「・・・・・こんな時期に酒宴を開くとは・・・・・」

「まぁ、威厳を保つ意味でも、泰然(たんぜん)と振る舞いたいんだろうがな」

土方も斎藤の素朴な疑問に苦笑を浮かべたが、顔には仕方ないと書いてあった・・・・。

特にこの仕事を退ける理由もなかった為、斎藤は了承した。
しかし、土方からこの酒宴が開かれる場所を聞き、愕然とする。

「場所は・・・・・・油小路の天満屋だ」

驚きで目を見張った斎藤の様子に、土方は満足げににやりと笑う。

「な・・・・・・?因縁めいているだろう??」

油小路と言えば、斎藤が内偵の為に潜入していた御陵衛士の、伊東甲子太郎が暗殺された場所だった。
因縁とまでは思わぬが、何やら奇縁は感じられる。
だが、斎藤にとってはどうでも良い事だった。

土方に了承の旨を伝え、詳しい話を聞くと速やかに自室へ戻った。


* * * *


厄介そうな仕事だが、断る事でもない。

土方は敵意に晒された斎藤を気遣ってくれたが、とくに四面楚歌という訳でもなかった。
仲間もいのりも、以前と変わらず接してくれていて、さほど気にならない。

だが確かに、屯所が昔程居心地が良い訳ではない。

潜入のためとはいえ、裏切る形で新選組を出た斎藤は、自分の立場は弁(わきま)えているつもりだ。
だからこそいのりとの間柄も、彼女の周辺環境を考慮して、公言を避けた。
当のいのりは気にした風もなく、むしろ表立って、斎藤を擁護しているようなのだが・・・・。

しかしそうやって、斎藤が努めて冷静であろうとすればする程、
敵意を持つ隊士は癪(しゃく)に障るという、悪循環に陥っているという自覚はある。
こうなったら、ほとぼりが冷めるまで、ここから一旦離れた方が良さそうだと斎藤は考えた。

その間に土方達が、何とか隊内をまとめてくれるだろうし、
あの護衛の件で何か手柄を立てれば、大手を振って帰ってこられるだろう。

だが、気掛かりなのはいのりの事だった。
ようやく戻ってこられたにも拘らず、また離れる事になる。
人との距離は心の距離という訳ではないだろうが、寂寥感はいかんともし難い。

「・・・・・・・少し話をするか・・・・・・・」



* * * *



翌日寒風吹き荒む中、いのりと斎藤は町に出かけた。

今はまだ静かだが、数日もすれば事始めの煤(すす)払いが行われ、
あちこちの家で家族総出の掃除が行われるため、町は大賑わいとなるのだ。

また、町人の買い物は付けで行われている事が多く、その清算の為町民は金策に追われ、
商人は深夜まで集金に走り回り、年の瀬は本当に騒がしくなる。

束の間のこの静かな京の町を、宛もなく二人で歩く。
こうして二人きりで外に出るのは、本当に久しぶりだ。
いのりも同じように思っていたのか、嬉しそうにしている。

だが、これはまた暫く離れる事を告げるためであり、斎藤の表情には少し陰りがあった。
それを知ってか知らずか、いのりはことさらに明るく振る舞う。

「今日は寒いですね。これからどちらへ行かれるんですか?」

「そうだな・・・・・体が冷えただろう。少し温かい茶でも飲もう・・・・」

いのりの陽の光の様な眩い笑顔が、今の斎藤には切ない。
ようやくこの胸に抱けた、陽だまりの様な愛しい娘を、また手放さなくてはならないのか・・・・。

本当に自分で良いのか、と思う事さえある。
もっと平穏に恙無(つつがな)く、いのりと共にある事ができる男の方が、
彼女は幸せになれるのではないか、と思ってしまうのだ・・・・・・。

そのような斎藤の胸中の不安を察したのか、いのりは突然、斎藤の武骨な手を取って引っ張った。
不意の事に、つい斎藤はよろめく。
驚いて見開いた目に、凛と澄んだいのりの大きな赤茶色の瞳が映った。
何も恐れない、あるがままを受け入れる様な、強くて美しい光を宿した眼差しに、斎藤は息を飲む。

「斎藤さん。
 斎藤さんに何があったかは分かりませんが、何かがあった事は私にも分かります。
 お優しい斎藤さんの事ですから、私を傷つけまいとお考えなのでしょうが、何も知らない方が私は寂しいです。
 決して独りよがりな事を考えず、何でもお話しください。
 私も斎藤さんのお力になりたいんです」

柔らかく微笑んだいのりの芯の強さに、斎藤は苦笑した。

「全く・・・・・あんたには適わんな・・・・・」

斎藤の心中など、とっくにお見通しのようだ。

「わかった。詳しい事は話せんが、少し厄介な仕事が入った・・・・・」

「そうですか・・・・・。では、立ち話もなんですから、あそこの茶屋へ行きましょう」

そう言っていのりは笑み浮かべ、握ったままの斎藤の手を取って、店へと入っていった。

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