月桜鬼 第二部
□溢れる恋情・・・
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文机で書き物をしていた斎藤が、自分の名を呼ぶ愛おしい娘の声を聞いたのは、夜も更けた頃だった。
「あの・・・・遅くなってごめんなさい・・・もう、眠ってしまわれましたか・・・・・?」
遠慮がちに掛けられた柔らかな声に、斎藤はすっと立ち上がると、静かに障子を開けいのりを中へ招き入れた。
「無理を言ったな・・・・。疲れただろう・・・・」
「いえ・・・・いえ全然!平気です!!」
仕事の労をねぎらい、斎藤は盆をいのりの前に出した。
「斎藤さん・・・・・?」
盆の上には餡で包んである団子と、茶が乗っていた。
「確か以前、いのりが疲れた時に甘いものを食べると、元気になると言っていたからな・・・・」
「有り難うございます!!」
茶はすっかり冷めてしまっていたが、いのりは嬉しそうに微笑み、喉を潤す。
そして、喜んで団子を頬張るいのりの顔を、斎藤は満足そうに眺めていた。
斎藤はいのりに、聞きたい事がたくさんあった。
沖田と何があったのか?
沖田との間に何を隠しているのか?
辛くはないか?
自分に出来る事は無いか・・・・?
だが、いのりが他人と交わした約束事を、簡単に反故(ほご)にする様な軽薄な娘でない事は、重々承知している。
だから、察するしか無い。
斎藤自身も内偵の為に動き回っていた時、いのりは自分を信じると言って、
問い詰めたり問い質したりしなかった。
ならば、自分もいのりを信じるしか無い。
ただ、心配だった。
「いのり・・・・無理はするな・・・・。
今日もだいぶ無茶をしたのではないか?
俺が待つなどと言ったから・・・・・」
「だって、私も早く・・・・・」
会いたかったから・・・・といういのりの言葉にならぬ思いが、何故か斎藤には伝わって来た。
言いかけた言葉を飲み込み、頬を桜色に染めて俯くいのりを見つめ、
斎藤は改めてこの娘を、心から愛おしいと思った・・・・。
斎藤にはやるべき事、やらねばならない事がたくさんある。
斎藤一として、武士として、新選組の隊士として・・・・・。
そして、その為に刀を手にしていれば、常に死と隣り合わせとなる。
何処でどう死んでも、悔やんだり恨んだりする事は無いと思っている。
する資格も無い。
今まで散々人を斬って来たのだ。
仲間と共に敵を斬って、斬られて、斬り返して、斬り返されて・・・・・。
そんな毎日の中で、いずれ自分も同じように死んでいくのだと漠然(ばくぜん)と思っていた。
それが因果というものだ。
だが・・・・・・だが、そんな殺伐とした日々の中でも、斎藤の心は死んではいなかった。
いや、いのりが蘇らせてくれたのだ。
愛するいのりを守る為に戦う。
自分の居場所だと思える新選組を守る為に戦う。
それが今の斎藤にとっての、生きるという事だ。
味気ない人生に、彩りを与えてくれたいのり・・・。
そのいのりもまた、苦難の道を進んでいる。
明るい笑顔の下に、どの様な悲しみや苦しみを抱えているのだろう・・・・・。
力になりたいと思った。
側にいて、心からの笑顔を見たいと思った。
それが、斎藤に戦う意味、生きる意味を与えてくれるのだった。
(いや、そうではないな・・・・・・)
考えあぐねた末、斎藤は内心苦笑する。
(理屈ではなく、ただいのりが大切で愛おしいのだ・・・・)
それだけで充分だった。
「返事を聞きたい・・・・」
未だに顔を伏せているいのりの手をそっと握り、斎藤は静かに呟いた。
「俺は・・・・あの頃と変わらず・・・・.。
いや、あの時よりもっと・・・・あんたを好いている・・・・。
ずっと・・・・・いのりの側に居たいと・・・・・側にいて欲しいと思う・・・・・」
朴訥(ぼくとつ)で野暮な男の、精一杯の告白だった。
口下手な自分の気持ちは、ちゃんと伝わっているのだろうかと、斎藤は不安になり更に言葉を重ねる。
「俺は・・・・・いのりが好きだ・・・・」
息苦しい沈黙が部屋を支配する。
いのりの反応のなさに、もしかして聞こえていなかったのだろうか、
それとも自分を傷つけずに、どう拒絶するべきかを考えているのだろうかと、斎藤の心がざわめく。
堪(たまら)ず軽く息を吐くと、いのりが躊躇(ためら)いがちに口を開いた。
「・・・・・わ・・・・・・・・・・・」
「わ?」
「・・・・・・・わ・・・・私も・・・・斎藤さんと離れて気付きました・・・・・」
静かにいのりが顔を上げ、澄み切った瞳で斎藤の顔を見つめる。
「私も・・・・・斎藤さんの事が・・・・好きです」
こみ上げる感情を抑え、斎藤は不躾(ぶしつけ)にも問い質す。
「・・・・誠(まこと)か・・・・?」
「・・・・・はい」
「それは・・・・新選組の仲間としてか?」
「・・・・・それもありますが・・・・」
「・・・・では、一人の男として・・・・?」
恥ずかしそうにいのりは赤面して、再び視線を落とす。
だが、しっかりと頷いた・・・・・。
「はい・・・・・」
情けないとは思いつつも、斎藤は確かめずにはいられなかった。
自他ともに認める朴念仁(ぼくねんじん)の自分が
一人の娘を愛し、その娘が自分の想いに応えてくれるなど、今まで想像だに出来なかった。
このような、人並みの幸せなど願うべくも無かった。
だから、今ある幸せが本当に現実のものなのか、問わずにはいられなかったのだ・・・・・。
だが、もう疑う事は無い。
この娘が虚言を吐くはずが無い。
「そうか・・・・・」
満足げな溜め息と共に呟いた、斎藤の精一杯の言葉だった。
だが本当はもう一つ、いのりに聞きたい問いがあった。
「総司よりも・・・・・?」
口には出来ない浅ましい問いを、斎藤は飲み込んだ。
女々しくも、沖田に悋気(りんき)を抱いている自分に嫌気がさす。
今は、いのりが自分を好いていてくれている、と言う事実だけで充分だと思い直す。
俯(うつむ)いているいのりの顔が見たくなり、斎藤は両手で頬を覆い、顔を上げさせ自分と目を合わせる。
赤茶色の大きな瞳が、潤んで澄んだ輝きを湛(たた)えている。
桜色に上気した滑らかな頬の感触を、武骨な手で堪能する。
つっと左手の親指を伸ばし、その形の良い柔らかな唇をなぞった。
「・・・・・良いか・・・・?」
世慣れない無垢ないのりを傷つけたくない一心で、斎藤は無粋に問う。
女の経験が無いわけではないが、これほど恋路に疎(うと)く、純朴な娘は初めてだった。
今まで鬼に命を狙われ、人に避けられ、色恋沙汰とは無縁だったからだろうか・・・・・。
恥ずかしげに目を伏せ、微(かす)かに・・・・だがはっきりといのりは頷いた・・・・。
壊れぬよう、傷つけぬよう、泣かさぬよう、怖がられぬよう。
斎藤は沸き起こる欲情を捻(ねじ)り伏せ、まるで硝子細工を扱うよう、いのりを優しく気遣うのだった。