月桜鬼 第二部
□光への希求
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やはり、少し無理をしてしまったようだ。
山南の部屋の片付けが終わり、一旦自室に戻った沖田は、体に伸し掛かる倦怠(けんたい)感に深い溜め息をついた。
これから藤堂達との酒宴が催(もよお)される。
もうこのような幹部そろっての宴の機会は、そうないだろう。
こんな時に憂い顔で出るわけにはいかない。
少し一人廊下の隅で気合いを入れようとしていると、
躊躇(ためら)いがちな声が沖田を呼び止めた。
「沖田さん・・・・・・少しお話があります・・・・・」
「僕にはないんだけど?」
思い詰めた様な重々しい鋼道の様子に、沖田はわざと茶化すように薄く笑う。
救出されてから、鋼道にぴったり寄り添っていた娘、千鶴の姿が見えない。
恐らく、二人きりで話したい重大な事があるのだろうと、沖田は内心気を引き締めた。
「まぁ一応聞いてあげるよ。で・・・・・?話って?」
「・・・・・・もしや、貴方は・・・・労咳(ろうがい)なのではないですか・・・・?」
やはり鋼道も蘭方医。
沖田の病を見逃す筈もなかった。
「・・・・・・・・・・そうだけど?
・・・・で?もう誰かに言ったの?」
「いいえ・・・・・まだ誰にも・・・・・・」
「そう、良かった・・・・・。
だったら、あんたを斬れば、誰にも知られる事はないね」
剣呑な台詞を吐き、薄い笑みを浮かべて、沖田は柄に手をかける。
だが、鋼道は臆した様子もなく、溜め息をついた。
「私を斬って済むならそうなさるが良いでしょう。
ですが、それでは貴方の手が汚れるだけで、何の足しにもなりません・・・・」
鋼道の瞳の奥に、揺らぐ事のない強い意志を感じ、沖田は柄から手を離す。
「へぇ・・・・・そう言うからには、何か対策でもあるの?
労咳に効く薬とか・・・・?」
「残念ながら・・・・労咳の治療法はまだ判明していません。
効果的な薬の開発もまだ・・・・・・」
悔しそうに顔をしかめる鋼道の心情などに、沖田は興味はない。
半ば腹立たしげに鋼道に詰め寄る。
「じゃあ何?・・・・・・何が言いたいのさ。
労咳ですね、死病ですね、お可哀想にって同情でもしてくれる訳??」
気怠い体の奥底から吹き出しそうになる、やり場のない苛立ちを必死に抑え、沖田はぎらつく瞳で鋼道を見据えた。
すると鋼道は無言で、硝子の小瓶を掲げた。
沖田はそれが何かを悟ると、真意を探るように鋼道に厳しい視線を突き刺す。
「・・・・・これって・・・・・・」
「・・・・私が作った、娘の血を使った最後の変若水です・・・・・」
「・・・・で?変若水を飲めば、労咳が治るの?
副作用で羅刹になりますが・・・・って?」
嘲笑(あざわら)う沖田に向って、静かに鋼道は首を横に振った。
「いいえ・・・・変若水では、労咳は治りません。
ですが・・・・・」
「ですが・・・・・?」
胸中に芽生えた好奇心を悟られぬよう、沖田は冷静さを装い、先を促す。
「戦う事ができます」
「・・・・・・・・」
鋼道の一言に、沖田は押し黙った。
自分の力の衰えを、沖田は嫌でも自覚していた。
発熱に、頭痛、咳。それに倦怠感が酷く、食欲も落ちている。
その為に体力が失われつつあり、筋肉も衰えてきていて、
以前の様な剣裁きができる自信が持てない。
このままでは、刀を振るう事だけでなく、
立っていられる事もできなくなるのではと、恐ろしくて仕方がなかった。
だが、どんなに絶望しても、嘆いても、恨んでも、何も変わらない・・・・。
「・・・・羅刹となれば、体を酷使する事にはなりますが、一時的に運動能力を向上させる事ができます。
それが病の進行を早め、結果的に寿命を縮めてしまう可能性もありますが・・・・・」
沖田の心がざわりと蠢(うごめ)いた。
そして、手渡された禍々(まがまが)しい深紅の液体が入った、硝子の小瓶をじっと見つめる。
「これをどうするかは、沖田さん次第です。
必要なしと破棄されても、服用されても構いません・・・・・」
「・・・・・・何で・・・・・僕にこんな物を渡すのさ」
不信感と戸惑いが入り交じった瞳で鋼道を睨むと、鬼の蘭方医は複雑そうに笑った。
「毒薬、劇薬も、量を違(たが)わなければ良薬となります・・・・・・。
私は・・・・・死を迎える藤堂さんを目の当たりにした時、正直、惜しいと思いました・・・・・」
「・・・・・惜しい?」
「はい・・・・。本来であるなら殆ど交わる事のない鬼と人。
それが運悪く関わってしまった為に、若い命が無益に失われて行く・・・・・。
そんな時にこの変若水なら・・・・・人を化物に変えてしまうこの毒薬なら、
彼のがこの世にやり残した事を成し遂げる時間を、与えてくれるのではないかと咄嗟に思いました・・・・」
沖田はじっと、真摯に語る鋼道の顔を、何かを見いだそうとするかのように見据える。
「そして藤堂さんは・・・・羅刹になってしまったにもかかわらず、私に感謝の意を示してくださいました・・・・・。
その時私は、自分の作り上げた悍(おぞ)ましい毒薬が、初めて人を救ったのだと思えました・・・・・。
救われたのは・・・・感謝したいのは私の方だったのです・・・・・」
固く凍り付いていた鋼道の顔に、柔らかな表情が滲(にじ)みで来た。
恐らく娘をこの手に取り戻し、鋼道は本来の蘭方医としての自分を取り戻す事ができたのだろう。
「人も鬼も・・・・・この世に生きている物はすべて、例外なくいずれは死を迎えます。
そして未練なく、悔いもなく亡くなる者などいません。
だからこそ・・・・・その未練や悔いが少なくなる手伝いをしたいと思いました・・・・。
死を迎えるその時を、少しでも伸ばす事ができれば、為すべき事を為す事ができたり、
伝えたい事を伝え切る事もできるかもしれない・・・・・。
本来、医学と言うのは・・・・亡くなるまでの時間を延ばすようなものですから・・・・」
ひた向きな医師としての誠実な瞳で、鋼道は病に冒された若い剣客に語り続ける。
「沖田さんが労咳だと気付いた時、貴方ほどの剣客が刀を握れなくなるということは、
どれだけ辛く恐ろしい事なのだろうと思いました・・・・・。
ですから、どうしても最後の変若水は貴方にお渡ししたいと思ったのです・・・・。」
無言で話を聞き入っている沖田に向けて、鋼道は急に自嘲気味の笑顔を浮かべた。
「ですが、これは今までたくさんの人と鬼を犠牲にして変若水を作ってきた、
私の懺悔(ざんげ)の様なものですから、自分勝手だと呆れてもらっても構いませんよ」
「・・・・・わかった・・・・・」
沖田は短くそう答えただけで、深々と頭を下げる鋼道を置き去りに、再び自室へと戻って行った。
静かな部屋で一人きりになると、先ほどの鋼道の言葉が頭の中を駆け巡る。
(・・・・・戦える・・・・・・)
肉が落ち始め、細くなってきた節くれ立った手の中に、
不気味に揺れる赤い液体の入った硝子の小瓶が収まっている・・・・・。
(・・・・・また・・・・・刀を振るえる・・・・・)
その言葉が、剣客としての戦意を刺激する。
沸き上がる高揚感に、その為に自分が支払う代償の事や、己の倫理観が飲み込まれそうになる。
結局沖田は頭の整理も付かぬまま、変若水を部屋の奥に隠し、
ふらふらと酒宴の始まった広間へと向ったのだった・・・・・。