月桜鬼 第二部

□天満屋事件2
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念のためいのりは脇差しを佩刀し、天満屋への道のりを急いだ。
それほど距離はないはずなのだが、とても遠く感じてしまう。

斎藤と会うのは数日振りだ。
以前の御陵衛士に潜入していた時より、ずっと短い期間だが、いのりには長く感じられた。

(ただ、斎藤さんに会いたい・・・・・声が聞きたい・・・・・)

逸(はや)る気持ちを抑え、足早に夜道を進んでいると、天満屋の提灯が見えた。
すると突然、 いのりの胸に不安が去来した。

(私が行ったりしたら・・・・・斎藤さんのお邪魔になるんじゃないかしら・・・・・)

自分の顔を見たとたん、眉をひそめる斎藤の顔が容易に想像できる。
もしかしたら、「何をしに来た」と私情を挟んだ自分を叱るかもしれない・・・・・。
いのりは気遣(きづか)わしくなり、次第に足取りも重くなった・・・・。

突然のいのりの気落ちした様子に、こっそり護衛をしていた山崎と島田が小首を傾げていると、
いのりは天満屋の入り口で立ち尽くしてしまった・・・・・。
踵(きびす)を返して屯所に帰りたい衝動に駆られたが、懐には土方から預かった書簡がある。

(土方さんに頼まれた仕事だもの、行くしかないわ。
 私語は慎み、直ぐさま帰ろう。
 斎藤さんの無事な姿を確認するだけで充分だわ)

いのりは意を決して暖簾(のれん)をくぐり、店の者に斎藤を呼び出してもらった。
板の間へ案内されかけたが、すぐに暇(いとま)すると断り、寒々しい土間で待つ事にする。

「斎藤さん、お久しぶりです今晩は。
 どうぞ、土方さんから預かりました書簡です」

冷静さを保つ為に、いのりが言うべき言葉を何度も頭の中で復唱していると、斎藤が姿を現した。

「いのり・・・・・・」

驚いたように目を見張る斎藤の顔を見たとたん、
いのりは嬉しさや気恥ずかしさや不安で胸がいっぱいになり、
頭の中が真っ白になってしまった。

「あ・・・・・あのっ、今晩は・・・・。
 そのっ・・・・・書簡を・・・・・あの・・・・・土方さんから・・・・・」

せっかく用意した台詞もどこかへすっ飛んで、いのり自身でも何を言っているのか分からない。

(斎藤さんが心配しなくても良いように・・・・・
 一人でもちゃんとやっていると示したかったのに・・・・)

あまりの自分の不甲斐無さに居たたまれなくなり、
いのりは泣きそうな顔で無理矢理斎藤に書簡を押し付けると、
そのまま天満屋を飛び出そうとした。
その瞬間ぐっと腕を掴まれ、驚いていのりが振り向くと、
苦笑を湛(たた)えている斎藤の優しい顔が見えた。

「いのり、落ち着け・・・・・」

「・・・・・・は・・・・はい・・・・・」

自分の浮かれた心情を見透かされた様な恥ずかしさを覚え、いのりは顔を真っ赤にして頷く。
もう、あれ程見たかった斎藤の顔も見れないほど、いのりは恐縮している。
そんないのりに、斎藤は穏やかな笑みを浮かべてもう一度天満屋の中へと 招き入れた。

「外は寒かったろう、ご苦労だったな。
 体が冷えている、温かい茶でも飲んで行け・・・・」

斎藤が怒っている訳でも呆れている訳でもないと知ったいのりが、
少し安堵したような様子を見せると、斎藤も微笑を返した。

店の者から温かい茶を出され、二人は板の間に並んで腰を下ろす。

「あの・・・・・・お邪魔しましたよね。
 ・・・・・ごめんなさい・・・・・・」

「いや、土方さんからの頼みで来たのだろう?」

受け取った書簡を読み終えた斎藤が、優しげな眼差しで、
心苦しげにしているいのりの横顔を見つめる。

「あの・・・・・・そうですけど・・・・・。
 斎藤さんに会えると思って・・・・・その、私・・・・・・」

「・・・・・俺もいのりに会えて嬉しかった・・・・・」

ぼそりと呟いた斎藤の声は、大きくはなかったが、確かにいのりの耳に届いた。
いのりが顔を上げ斎藤を見返したが、その瞳は照れながらも真っすぐな光を宿していて、
それが決して嘘ではないと確信できた。

「わ・・・・たしも・・・・会えて、嬉しいです・・・・・」

ようやくいのりは緊張を緩め、はにかんだ笑顔を浮かべた。

斎藤も自分と同じ気持ちでいてくれた事が、本当に嬉しかった。
今はそれだけで充分だった。



* * * *



「・・・・・・体も温まりましたし、お邪魔にならないうちに私は戻りますね」

元気よく立ち上がるといのりは斎藤に振り返り、にこりと笑った。

「ああ・・・・・手間を取らせたな」

斎藤も立つと、いのりを労(ねぎら)う。

見送ろうと共に暖簾をくぐって外に出た斎藤に、突然いのりは勢い良く体ごと振り返った。
どうしたのかと驚いて斎藤が目で問う。
斎藤を見つめるいのりの瞳は、提灯の暖色の明かりでも潤んでいるのが分かった。

「・・・・・・いのり・・・・・?」

戸惑う斎藤の袖口を掴み、いのりは震える声で呟いた。

「・・・・・斎藤さん・・・・・。
 斎藤さんだけは・・・・・何処にも行かないでくださいね・・・・・」

静かに紡がれた言葉は、悲痛な心からの願いだった。
鈴の音ように澄んだ声が、斎藤の心に染み渡る。

「・・・・・・・ああ・・・・・」

いのりを抱きしめたい衝動をぐっと堪え、斎藤は辛うじて返事をした。
何度も振り向いて遠ざかって行く、いのりの後ろ姿を見送りつつ、斎藤は心が震えるのを感じた。

「・・・・・・いのりの事を・・・・・・頼む」

「・・・・・・承知」

闇の中に佇んでいた大小二つの影が返答をする。
その二つの影の気配も遠ざかったのを感じとると、斎藤は満足げに溜め息をついた。

警護に集中していても、たまにいのりの事を思う時がある。
旨い物を食べた時、綺麗な景色を見た時、面白い事があった時・・・・・。
いのりと分かち合えたらと、つい思ってしまう・・・・・。

そんな想いが通じたのか、今晩いのりが自分の元へやって来てくれた・・・・。

いのりの顔を見たとたん、咄嗟に頭の中で、

「何故いのりがここに?」
 と疑問が沸き、
「こんな夜半に、一人でこんなところへ来ては、危ないではないか」
 と憤(いきどお)り、
「元気でやっているようだ」
 と安心し、
「ずっと会いたかった、声を聞きたかった」
 と悦びが満ち溢れ、
斎藤はどう反応していいのか分からなかった。

だが、いのりの溢れる感情を持て余している様子に、
彼女からの深い愛情を感じ、自然と笑みがこぼれた。

「・・・・・・・戻ろう」

斎藤は強く思った。
仲間のいる場所に、愛おしい娘のいる場所に。
その為に、今回の護衛を確実にやり遂げよう。

斎藤は自然と気力が漲(みなぎ)ってくるのが分かった。
気概の富んだ強い瞳で夜空を見上げると、斎藤は大きく息を吐いた。

いのりを想い、仲間の為に戦う事を誇りに思う。
今の斎藤にはそれだけで充分だった。





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