月桜鬼 第二部

□天満屋事件2
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斎藤がいのりと別れ、天満屋の二階に戻ると、宴は進んでいた。

「おお、斎藤君、戻ったか」

上機嫌で三浦は斎藤を手招きし、隣に座らせる。

本来から剛胆な気質なのか、ただ単なる虚勢なのかは分からないが、
命を狙われているにも拘(かか)わらず、三浦は堂々と酒を呷(あお)っている。

いのりを見送った際に、斎藤は天満屋の周囲を窺(うかが)ったが、かなり不穏な気配が漂っていた。
それは単なる勘でしかなかったが、数々の修羅場を経験してきた、
歴戦の武士(もののふ)ならではの確かな直感だ。

(今夜・・・・動くな)

心なしか、斎藤の体にも緊張が走る。

今回は、徳川家茂公の上洛の際に二条城を警護した時のような、今までの護衛とは異なる。
襲撃をする相手がはっきり分かっており、確実に狙われていて、
尚(なお)かつ被護衛者は堅固な城砦にいる訳でもなく、警護に当たる人数はかなり少ない。
不安要素はあまりある。

斎藤は辺りを見回し、共に警護している新選組の面々を見た。

一度新選組を抜けて御陵衛士となり、再び戻ってきた斎藤の立場を考慮し、
今回の護衛に参加している六名は、皆土方が選び抜いた、斎藤に対して傾倒している者や、
私情を挟んで公務を疎(おろそ)かにしたりしない者ばかりだ。
斎藤自身が、背中を襲われる心配もない。
当面は、襲撃だけを警戒するだけで良いというのは、斎藤にとって好ましい事だった。

暫く和やかに酒を酌み交わしていると、何やら部屋の外が騒がしくなった。
何事かと斎藤が眉をひそめ、身を引き締めると、隊士の一人が確認のため部屋の外に出る。

どうやら、三浦に是非会いたいと言う男が現れたと言う。
怪しい事この上ない。
絶対に近寄らせるな、と斎藤が指示したにも拘(かか)わらず、
三浦は気分が良く、酒の勢いも手伝ってか鷹揚に承知してしまった。

中に通された男は生真面目そうな顔つきで、きょろきょろと目が動き、落ち着きがなかった。
その男ははたと三浦を見据えて、口を開いた。

「三浦氏とは、其許(そこもと)か」

名指しされた三浦が返事をする間もなく、男は雷光の様な一閃の居合を放った。
声もなく、辛うじて仰け反った三浦の右頬から、鮮血が迸(ほとばし)る。
男が仕損じたと顔をしかめ、刀を翻(ひるがえ)して二太刀目を繰り出そうとしたが、
瞬時に側にいた斎藤に斬り伏せられた。

「襲撃だ!!!!」

声を上げたのは、斎藤ではなかった。

部屋の外から階段を上ろうとしている騒々しい複数の足音と、それを牽制(けんせい)する隊士の怒号が聞こえる。
斎藤は直ぐさま指示を出した。

「燈火を消せ!三浦氏を外へ!!」

予(あらかじ)め指示していた通りに、隊士達が動く。
血に染まった頬を抑えつつ、三浦が二人の紀州領の護衛に囲まれて、
無事外へ逃げたのを見届けると、斎藤は既(すで)に始まった戦闘に加わった。

暗闇での乱闘は、凄惨を極めた。

すかさず明かりを消し、敵を細い廊下に誘い出し数の不利を補ったが、
倍以上の敵の数に新選組は苦戦を強いられた。

三浦を逃した時点で、敵襲は失敗に終わっている。
だが、ここで敵が三浦がここにいない事に気付けば、襲撃者は即座に三浦の後を追うだろう。
そうなってしまえば、たった二人の護衛では、傷を負った三浦を無事に紀州領邸まで逃す事ができなくなる。
ここは、まだここに三浦がいると見せかけて死闘を繰り広げ、敵に失敗を気取らせてはならない。

斎藤は懸命に指揮し、何とか持ちこたえさせようとする。

「斎藤さん!!」

悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。
斎藤がその声に反応する間もなく、背中に重い衝撃を感じた。

「梅戸!?」

振り返った斎藤の目に映ったのは、崩れ落ちる梅戸隊士の姿と、
手首を返して更に斬り掛かろうとする男の影だった。
梅戸を右手で抱きかかえると同時に、斎藤は白刃を鋭く閃かせ、男の凶刃を跳ね返した。

数を頼りに勢いに乗る敵は、どんどん新選組を押し詰める。
激しい水音と共に、中庭に水しぶきが高々と上がった。
誰かが中庭の池に落ちたのだろう。
確認する暇もなく、自分を庇(かば)って負傷した梅戸を端に横たわせると、斎藤は再び戦線に舞い戻った。



* * * *



「天満屋で襲撃だ!!」

いち早く新選組に一報が届き、慌ただしく隊士達が加勢に向う。

騒動を聞きつけたいのりは、胸を締め付ける様な不安に陥(おちい)りながらも、
為す術無く、援護に急ぐ隊士達の後ろ姿を見送る事しかできなかった。
発熱のため待機を命じられた沖田は、そんな苦しそうないのりの小さな背中に、そっと優しく声をかけた。

「・・・・・一君なら、大丈夫だよ・・・・きっと・・・・・」

振り返ったいのりは、泣きたいのを堪えて必死に笑顔を作ったが、その瞳は痛々しい程に潤んでいた。

(頼むよ・・・・・・)

沖田は切なく悶(もだ)える胸中で嘆いた。

(頼むよ、一君・・・・・・。
 いのりちゃんに・・・・・こんな顔、させないでよ・・・・・)

いのりの小さく震える背中をぎゅっと抱きしめてやりたくなる衝動に耐え、
沖田は隣で安心させる為に、安穏と笑ってやる事しかできなかった。





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