月桜鬼 第二部
□天満屋事件2
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夜が白々と明け始めた頃、屯所が騒がしくなった。
三浦の護衛についていた隊士達が帰還したのだ。
いのりはすぐにでも駆けつけ、斎藤の安否を知りたい所だったが、
騒然としている屯所は慌ただしく人々が行き交い、
隊士でもないいのりが近づける雰囲気ではなかった・・・・。
「夏目君!負傷者の手当の手伝いをしてくれないだろうか!」
不意に山崎から声を掛けられ、了承すると共に、その負傷者の中に斎藤の姿がない事に安堵した。
(良かった・・・・・斎藤さんは、お怪我をされていないのね・・・・)
この目でその無事な姿を見たかったが、今は私情を挟む時ではないと不安を押し込み、
いのりは目の前の山崎の治療の補佐に専念した。
この事件で、襲撃側は三浦に傷を負わせた男、居合の達人でもあった中井庄五郎が死亡、その他二、三名が負傷。
一方、新選組は二名が死亡、重傷が一名、負傷者が三名。
倍以上の数の劣勢の中、無事三浦を守り切る事ができ、新選組としてはまずまずの戦果ではあった。
* * * *
報告と事後処理に追われた斎藤が、休息を承知してもらえたのは、すっかり日が昇ってからであった。
疲労で重くなった頭と体を引きずって、仮眠のため自室に戻ろうとしていた斎藤だったが、
どうしてもその前に一目いのりの顔を見たくて、その姿を探した。
勝手場にも居らず、治療に当たっている山崎の元へ行けば水場に行ったと言われるし、
水場に行けば勝手場に行ったと言われ、なかなかその影すら掴(つか)めない。
会いたいと思えば思う程、どういう訳か空回りしてしまう・・・・。
「おや、一君。お帰り」
何故会いたい娘には会えず、特に会いたいと思ってもいない男には会えてしまうのだろう・・・・。
世の非情さを嘆きかけた斎藤の行く手を阻(はば)むように、
沖田がにやにやした笑みを湛(たた)えながら、立ちはだかった。
「いのりちゃん、ずっと心配してたよ?」
「知っている」
苛立ちを沖田にぶつけるように、不機嫌に応じる。
そんな斎藤の心情を見透かすように、沖田はわざと足早に脇をすり抜けようとする斎藤の行く手を塞ぐ。
「何の真似だ、総司」
更に怒りを込めて沖田を睨んだが、さして気にも止めないように、
とぼけた口調で斎藤が知りたかった情報をもたらしてくれた。
「いのりちゃんなら、中庭だよ。洗濯物を干すんだってさ」
素直に教えてくれれば良いものを、何故この男はこのような迂遠(うえん)な事をするのだろう。
沖田の心情を理解できない斎藤は、眉をひそめながら礼を述べ、直ぐさま踵(きびす)を返した。
その背中に沖田が声をかける。
「ねぇ、一君」
今度は何だと面倒そうに振り返ると、意外に真摯な光を宿した沖田の視線とぶつかった。
「いのりちゃんを泣かせる様な事があったら、僕が連れてっちゃうよ」
「どこへだ?」
などと間の抜けた返答を斎藤はしなかった。
これは捻(ひね)くれた沖田なりの激励であり、忠告なのだと悟ったのだ。
「心配無用だ」
簡潔に短い返答で返すと、呆れたような悲しい笑顔を見せた沖田を置き去りに、斎藤は中庭まで急いだ。
* * * *
斎藤は、ようやく会いたかった娘の姿を捉える事ができた。
掛ける言葉が見つからないまま、洗濯物を干しているいのりの背後に歩み寄る。
遅まきながら自分に近づく足音に気付き、いのりが振り向く。
すると、いのりの大きな瞳が更に大きく見開かれ、
まるで今見ているものが信じられないかの様に、かすれた声で確かめる。
「・・・・・・さ・・・・いと・・・・・さん・・・・・?」
「・・・いのり、今戻った・・・・」
「斎藤さん!!」
いきなり抱きついてきたいのりを、斎藤は戸惑いつつも柔らかく受け止めた。
「・・・・・いのり・・・・。
おい・・・・俺はまだ血で汚れていて・・・・・。
いのり・・・・・・」
狼狽(うろた)えている斎藤の声も届いていないのか、
いのりは血に染まった胸元に、必死にしがみつく。
「お・・・・お帰りなさい・・・・・お帰りなさい・・・・・!!」
斎藤は苦笑と共に軽く溜め息をつき、細かく震える愛おしい娘の華奢な体をしっかりと抱きしめた。
「ああ・・・・・ただいま・・・・・」
何をこんなに心配しているのだと、斎藤は半ば呆れる。
このような騒動は毎度の事であるし、それほど不安がる事もないだろうに・・・・・。
だが、いのりの言葉を不意に思い出した。
「斎藤さんだけは・・・・・何処にも行かないでくださいね・・・・・」
一つ引っかかっていたのだ。
「斎藤さんだけは」・・・・・
それは以前に、誰かがいのりの元を去ったという事か・・・・・。
そう思った瞬間、斎藤は頭の中に雷光が走った。
確かいのりの父も、鬼との戦闘の最中に姿を消した。
いのりが慕っていた宮司も、鬼との戦闘で命を落とした・・・・・。
おそらく、いのりの中で斎藤の存在が大きくなり、それに連れて斎藤もまた父や宮司のように、
いずれ戦闘の最中(さなか)に自分の元から去っていくのでは・・・という不安が増していったのだろう。
「いのり・・・・・俺は何処にも行かない・・・・・・。
だから・・・・お前も俺から離れるな・・・・・」
静かにそう呟くと、いのりははっと顔を上げた。
斎藤は耳まで熱くなっているのを自覚しながら、辺りを見渡す。
人の姿はない。
だが念のため、冷たい冬の風にはためいている洗濯物の影に二人で隠れると、唇を重ねた。
* * * *
「ったく・・・・・ばればれだっつーの・・・・」
洗濯物で姿を隠しても、寄り添う二人の影ははっきり写っていたようで、
中庭を通り抜けようとしていた原田と永倉は、家屋の角で足止めを食らってしまった。
「気まずくて先に行けねぇよ」
「ま・・・・・しゃーねーんじゃねーの?遠回りするか」
苦笑した原田が、溜め息まじりに呟く。
最近色恋沙汰から遠ざかっている永倉は、それほど寛大にはなれないようで、不満げに口を尖らす。
「一応、俺への配慮・・・もとい、屯所内の風紀ってものを・・・・・。
・・・・・・・・・・っていうか、あいつら長過ぎねぇ?」
「良いから行くぞ!物欲しそうにいつまでも見てんじゃねーよ」
原田に耳を引っ張られ、永倉は渋々その場を離れた。
後には、冷えて澄んだ冬の陽を浴びながら、寄り添う若い二人だけが残された・・・・・。
*薄桜鬼夢小説rank*
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