山崎烝の新選組日記

□我、らゔろまんすに勝手に巻き込まれるの事 その伍
1ページ/2ページ




運の悪い事に、今夜は月が美しい・・・。
俺は内心舌打ちをしつつ、黒い装束に着替えた。
無論、深夜、伊勢屋の屋敷に忍び込む為だ。

これは私情での侵入だ。
正々堂々と申し開きできるような行為ではない。
俺は誰にも何も告げる事も無く、そっと屯所を抜け出し伊勢屋へと向かう・・・。

(・・・もう・・・ここには戻っては来れないかもしれないな・・・)

心の奥底がちくりと感傷的に痛む。

侵入に失敗すれば、俺の命はない。
何故なら俺の正体が暴かれれば、新選組にまで迷惑が及んでしまうため、
賊として京都所司代に突き出される前に、全ての情報を闇に葬る為にも自ら命を絶たねばならないからだ。

それにもし侵入が成功した所で、この事が土方さんにでも知られれば、
俺は新選組の指令を無視し、逆らったものとして処断されるだろう。

(・・・俺は・・・何故・・・)

どう転んでも、俺に利得があるとは思えない。
寧(むし)ろ不利益な事ばかりだ。

(本当に頭のいい奴なら、伊勢屋の事など放っておき、
 土方さんから命じられるであろう新しい任務に微衷を尽くす事だろう・・・)

それが一番正しい選択だ。
そんな事、十二分に理解している。
しかしそれでもやはり、俺は行くのだ。

(・・・どうして・・・俺は・・・)

何の為に?
誰の為に?

(・・・名より実を取るべき忍びとも言える、新選組の監察方の俺が・・・
 どうしてここまで・・・こんな危険を冒してまで・・・)

自問する俺の胸に、相も変わらず浮かび上がるのは、華の柔らかな微笑みだった・・・。

(・・・本当に・・・厄介な娘だな・・・)

怒りでも苛立ちでもない。
苦笑混じりの溜め息が溢れる。

(そうだな・・・敢えて言うなら、まるで華は籠に閉じ込められた、可憐な小鳥みたいなのだ・・・。
 早くそこから救い出し、宏大な青空のもと長閑(のどか)に伸びやかに、澄んだ声でさえずって欲しい・・・そう思ってしまう・・・)

魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)し、権謀術数(けんぼうじゅっすう)渦巻く、
どす黒い世界など彼女には相応しくない。
そんなものは、闇に生き影となり動く自分にこそお似合いだ。
だからこそ、憧れる・・・。
だからこそこの手で、彼女を本来の居場所である、陽の当たる所へと連れ出してやりたい。

(・・・もし俺が・・・監察方ではなく、武士として新選組の幹部にでもなっていたなら・・・
 華への気持ちは、もっと真っ直ぐで素直なものになっていだろうか・・・)

曇りなき晴天の様な眩しい笑顔を、正面から受け止める事が出来ただろうか・・・。
それを穿(うが)った見方などせず、素直に愛おしいと思えただろうか・・・。

そんな思いが一瞬脳裏を過(よぎ)ったが、仮定の話など無意味だと俺は頭を振った。

人には向き不向きがあり、出来る事とやりたい事と期待される事が一致するとも限らないのだ。

(俺は監察方として副長達に信任され、それに応える能力があった・・・。
 それだけでも十分じゃないか・・・)

俺は気を引き締め屯所をそっと抜け出し、振り返って深々と頭を下げると、伊勢屋へと駆け出した。


* * * *


今回の屋敷への侵入は、それほど困難ではなかった。
恐らく華が戻った事により、多少警戒が緩まったのだろう。
明るい月光の下、俺は音と影と人の気配に細心の注意を払って、家屋へと忍び込んだ。
以前にあらかたの間取りは華から聞いていた為、俺は迷う事無く暗い天井裏を這って進む。

(・・・確か・・・この先は、華の寝間・・・・・・)

俺の心臓がどきりと跳ねた。

今は夜半・・・。
華は眠っているだろうか・・・。

少し近付くと、屋根裏の板から微かに光が漏れているのが見えた。

(・・・まだ、起きているのか・・・?)

こんな時間に、一体何をしているのだろう・・・。

(心細くて・・・暗闇では眠れないのか・・・?
 それとも、息苦しい孤独に苛(さいな)まれ、一人枕を涙で濡らしているのか・・・?
 それとも・・・)

頭は冷静に、早く伊勢屋の情報を手に入れて、この場を離れろと命令しているにも拘(かかわ)らず、
身体は抑えきれない衝動に突き動かされる様に、華の部屋の真上まで近付いていく・・・。

音も無く天井裏の板をずらし、そっと覗き込むと、寝間着姿の華が何やら書簡を読んでいるのが見えた。
残念ながら、表情はこの角度からは伺えない。

(・・・・・・華・・・・・・)

思わず声を掛けそうになり、唇を噛み締める。

別れてからそれほど日にちは経っていないはずなのに、何故かその姿が俺には懐かしく思えた。

(・・・少し・・・痩せたか・・・?)

細い肩が、より細くなった気がする。
それもそうかと、俺は胸が締め付けられた。

誰からの力添えも期待できない状態の中、たった一人で敵陣に入り込んでいったのだ。
その心細さ、不安は計り知れないものだろう・・・。

(しかし・・・そうさせたのは、俺だ・・・)

未だ俺の心に深く刻まれた、あの時の華の涙に濡れた笑顔・・・。
あの様な華の悲しい笑顔など・・・もう見たくはない。

(・・・待っていろ・・・。
 俺が必ずあの男たちの悪行を暴いて、君を・・・)

はっと気付き、俺は慌てて頭を振った。

(いやいやいやいや!!!俺は何を考えた!?
 俺が決死の覚悟でここへやってきたのは、偏(ひとえ)に『伊勢屋』から流れていると噂されている、
 妙な薬の正体を暴く為だ!
 決して、華を救うとかそう言うのでは・・・・・・)

頬を熱くし動揺した俺の耳に、ふと騒々しい足音が聞こえてきた。
女のものではない。
酔っぱらってでもいるのか、ふらついたように不規則な騒音を立てている。
華も気付いた様で、不安そうに肩をすぼめて音のする方を伺っていた。

(・・・拙(まず)いな・・・)

内心舌打ちをして、俺は眉をひそめた。
騒々しい足音はよろめきながらも確実に、華の寝間へと近付いている。

(・・・まさか・・・)

俺の嫌な予感は的中した。
けたたましい音を立てて、華の寝間の襖が開け放たれた。
びくりと驚いた華の視線の先には、部屋へと転がり込んできた、あの男が姿があった。







次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ