山崎烝の新選組日記

□我、らゔろまんすに勝手に巻き込まれるの事 その陸
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ひっくり返っている粗暴な男に猿ぐつわを噛まし、
布団と紐で身動きできぬ様簀巻(すま)きにて放置した後、俺は伊勢屋の捜査を始めた。
屋敷内は、未だ俺の侵入に気付いておらず、静まり返っている。

(・・・取りあえず、華が怪しいと睨んでいた、お父上の部屋へ行ってみるか・・・。
 あの変態男の父親が居るやも知れないが・・・)

そこまで考え、俺ははたと気づき足を止めた。

(・・・・・・・・・・・・何て事だ!!)

俺は無意識に華の手をしっかり握って、ここまで連れてきてしまっていた。

(俺は阿呆か!!)

これから更に危険な場所へ踏み入るというのに、彼女を何故連れてきた!!
何処か安全な場所を探して、そこでじっとしている様言い含めておくべきだったのに!!
おまけに、華も何の疑問も抱いていないのか、素直についてくる始末だ!!

当の華は、突然立ち止まり固まった俺を見上げ、不思議そうに小首を傾げている・・・。
何の警戒心の無い、安心し切った様な華の様子に、何だか気が張っているこっちの方が馬鹿らしく思えてきた。

(・・・よく言って純粋無垢、悪く言ってお人好しな鴨・・・。
 全く・・・こんなのだから、親子共々変な奴に目をつけられ、利用されるんだ。
 やはりこういう娘は、ちゃんと誰かが側に居て、守ってやらないと・・・。
 ・・・・・・・・・っ!?)

俺は慌てて雑念を払う様に、頭を激しく振った。
華が驚いて、心配そうにきゅっと手に力を込めてきたが、応える余裕もない。

俺は何かから逃げる様に、その場から足早に離れた。
当然の様に、華の手を握ったまま・・・。
華も迷う事無く、俺の後に続く。

彼女の柔らかな掌から、細い指先から、俺への絶対的な信頼が体温と共にひしひしと伝わってくる。

普段の俺なら、抜き身の刃の様に神経を研ぎ澄まし、闇に溶け込み、時には命すら惜しまずに行動していただろう。
だが、今の状況はどうだ?
俺は一体何をしているのやら・・・。
命の危険すら伴うこの状況下で、俺の心は乱れに乱れている。

(・・・全く・・・厄介な娘だ・・・・・・)



* * * *


回廊の暗い物陰から、俺と華は身を屈め、そっと覗き込む。
華の父親の寝室はやはりあの男の父親が居るようで、
襖の隙間からは微かな光が漏れ、おまけに周りを用心棒が警戒していた。

(男が寝入ってから、天井裏から入り込む事は出来なくもないが・・・)

物色する際に物音を立てようものなら、男が目を覚ますであろうし、
そうすれば直ぐさま、外にいる用心棒が飛び込んでくるだろう・・・。

回廊に置かれた行灯の灯に浮かび上がる用心棒の姿は、
確かに屈強で手強い様に思えたが、勝てない相手ではないだろう。
だが、俺が戦っているうちに異変に気付いた仲間が集まってきたり、
男が証拠となるものを持ち出して逃げ出す事は十二分にあり得る。
それに騒ぎを大きくしては、華の身も危ない。

(・・・いっそ、忍び込むのと同時に、男を始末してしまえば・・・)

そこまで考え、俺は軽く頭を振った。

まだあの親子が、なんらかの不正を働いているという証拠が、まだ見つかっていない。
確証がない以上、男たちは無辜(むこ)の市井の人々だ。
そんな者たちを闇討ちするなど、俺自身の沽券(こけん)に関わる。

やはり、ここへ忍び込む事は難しそうだ・・・。

「・・・無理そうですね・・・」

溜め息まじりに俺の耳元で囁(ささや)く、女の熱く柔らかな吐息に、思わず俺の背筋は無意識に粟(あわ)立った。
嫌悪感からではない。
背中を疾走して行く快感と心臓が縮み上がる切なさで、俺は内心狼狽(うろた)えた。

(・・・し・・・静まれ!!乱されるな・・・!)

「・・・いかがいたしましょう?山崎様・・・」

華は俺の葛藤など知る由もなく、困った様に俺に判断を仰ぐ。
真摯な華の様子に、何だか勝手に邪(よこしま)な思いを抱いたような、かすかな罪悪感が胸に刺さる。
だが、今はそんな自分の感情に戸惑っている暇などないのだ。
俺は深呼吸一つで、何とか平常心を保つ事が出来た。

「・・・華・・・他に怪しい所はないか・・・?」

「怪しい所ですか・・・?」

「ああ、何処よりも警戒が厳しく、余り人を近付けさせようとしない場所だ」

俺の真剣な声に、華は細い眉を軽くしかめ、思案する様に視線を落とした。
有益な情報が、彼女の口から告げられるのを期待し、俺は暫し沈黙を保ち華を見つめる。
すると、回廊の薄暗さの中、朧(おぼろ)げに浮かぶ華の横顔から眼が離せなくなってしまった・・・。

(・・・なんて長い睫毛(まつげ)だ・・・)

まるで女性の持つ繊細さや嫋(たお)やかさが、その目許(めもと)に包括(ほうかつ)されているようだ。
その睫毛が揺れ、ふと視線がこちらに向けられ、彼女の大きな瞳に見惚れている、間の抜けた俺の姿が映し出される。

羞恥心のあまり視線を泳がせた俺の耳に、現実的な落ち着いた華の声が響いた。

「・・・そう言えば、あの親子が来てから暫くして、いきなり倉に警備が付く様に・・・。
 それに、店の奥に見知らぬ帳場箪笥(ちょうばたんす)がありました・・・」

「・・・帳場箪笥か・・・」

俺はすぐに我に返り、思慮を巡らす。
帳場箪笥とは、主に商店の帳場に置いて金庫のように使っているもので、
この箪笥には、小引き出しや引き戸・開き戸などを色々組み合わせ、
「隠し」と呼ばれる言わば、泥棒よけのための収納部分が存在するものが多い。

(・・・まずはその帳場箪笥から改めるか・・・)

だが、これ以上華を連れ回すのは流石(さすが)に拙(まず)いと、
何処かに身を潜めておく様に進言するが、彼女は首を縦には振らなかった。

「・・・あの・・・ご迷惑はお掛けしませんから・・・。
 付いて行ってはいけませんか・・・?」

そう呟く心細げな憂い顔に、俺は毅然と彼女を説き伏せる事を断念した。

(・・・恐らく、一人になるのが怖いのだろう・・・。
 確かに、俺が再び華の下へ帰って来る保証などない・・・)

縋(すが)る様な視線から目を逸らしつつも、俺は華の手をしっかりと握った。

「・・・俺から・・・離れるなよ」

「・・・はいっ!」

囁く様な小声の返答に、嬉しそうな響きが含まれているのを俺は感じた。
心が、仄(ほの)温かく疼(うず)く・・・。

繋いだ手から伝わる体温・・・肌で感じる彼女の息遣い・・・。
華が側に居るのだと、実感する。

すでに頭に叩き込んである、この屋敷の見取り図通りに店の奥へと慎重に近付きながら、俺は全く違う事を考えていた。

(・・・華は・・・俺の事をどう思っているのだろうか・・・)

不意にそんな問いが、俺の心に芽生えたのだ。

俺は彼女の事を何も知らない・・・。
炊事や掃除、裁縫が苦手な事は知った・・・。
達筆である事や、算術が得意な事も知った・・・。

では、華はどんな色が好きなのだろう・・・?
どんな食べ物が好きなのだろう・・・?
どの季節が好きなのだろう・・・?
彼女に関して、知らない事だらけだ・・・。

だが、華としても、俺の事など何も知らないだろう・・・。
今までも・・・そしてきっと、これからも・・・。

俺は不貞浪士を取り締まる、新選組の影・・・。
そんな俺がこうして華と出逢えたのも、彼女が危険な場所に居たからだ。
この件が片付けば、彼女はまた陽の当たる場所に戻り、俺もまた、影へと帰るだけ・・・。
決して交わる事は無いだろう・・・。

その事を残念に思う様な、安堵する様な・・・。
今まで味わった事の無い複雑な感情に、俺は戸惑いと苛立ちを感じていた。


* * * *


薄暗い店の奥に、帳場箪笥がひっそりと佇(たたず)んでいた。
荘重な造りで、豪奢ではないが堅実な匠の手で造られた、重量感のある立派な箪笥だ。
そしてこういった帳場箪笥には、大抵(たいてい)からくりが施されており、その技法の数は数十種類とも言われている。

俺はそっと辺りを見渡すが、見張りは居ない。

(・・・別に疾(やま)しい物は無いのか・・・
 それとも、絶対に見つかる事は無いと高(たか)を括っているのか・・・)

ともかく、中を改めるしかあるまい。
俺は手際よく慎重に、扉を開けたり、引出しを引っ張りだしたり、中のものを出したりして調べ始めた。

(・・・ふんっ・・・こんなもの・・・俺が本気を出したら・・・)

あれこれ調べていると、案の定、引出しの奥から更に引出しが出てきた。
それはまさしく『忍び箱』であった。

俺は華に行灯を近くへ持って来る様指示し、その明かりの下、その忍び箱をそっと開けてみる。

中には、無数の薬包が入っていた。
尋ねる様に振り返るが、華も怪訝な顔をして首を振っただけだ。

(・・・何だ?この薬を、隠す必要があったのか・・・?)

不審に思い、薬包を開き中を改めて見ると、そこには黒っぽい焦げ茶色の小石が入っていた。
軽く嗅いてみると、何だか甘酸っぱい匂いがする・・・。
今まで実際にこの手にした事は無いが、俺はこれが何だか知っていた。

「・・・阿片(あへん)・・・」

俺が思わず呟いた言葉に、華もぎょっとした様に身体をびくつかせた。

一応俺は、新選組の隊医の仕事も兼任している為、よく知っていた。
元々阿片は、この国では「阿芙蓉(あふよう)」(芥子(けし)の別称)と呼ばれ、
沈痛、解熱、麻酔、睡眠薬として使用される、医師の専管物であった。

だがもし、この『阿片』を燻して出た煙を吸い込むと、あたかも桃源郷に遊んでいるかのような幻覚に襲われるそうだ。
そしてその快楽に溺れ、精神的、身体的にも依存していく・・・。
遂には、精神錯乱を伴う衰弱状態になってしまうそうだ。
それを知ったのは、今から二十年以上前、清国と英国との間で起こった阿片を巡る大戦からだ。

隣国を揺るがした阿片煙膏の脅威を痛感した幕府は、
嘉永7年(1854年)の日米和親条約締結後、通商を開くに際し、
阿片に対して十分に警戒し対策を講じ、『阿片の禁令』を発布した。
だからこそ、阿片中毒者がこの国で蔓延(まんえん)する事は無かった。
今も尚、幕府がしっかりと管理しており、阿片煙膏や売買等は厳罰に処する旨を規定するとともに,
医療上必要な阿片については保護措置を講じている。

だが無論、阿片煙膏が皆無という訳ではなかった。
長崎にやってきた、海外からの商人や医師から、こっそり遊女達に伝わる事もあったらしい。
故に吉原遊廓内の掟に、「心中」「枕荒らし」「起請文乱発(恋文乱発勧誘)」
「足抜け(逃亡)」「廓内での密通」の他に、「阿片喫引(きついん)」などがあったとされている。

商人の娘たる華も、『阿片』による中毒の恐ろしさや、
密輸などに対する幕府の容赦のない処分を聞き及んでいたのか、青ざめながら呟く。

「・・・どうしてこんなものが・・・??」

動揺を隠しきれない華に、俺は気を引き締め正面から問うた。

「華・・・父上が反物以外に、薬品の商いを考えていた事はあったか?」

彼女の混乱はよく理解できたが、今は華を労っている様な時間は無い。
華もそれを察したのか、震える手を握りしめながら暫し考え込んだ。
だが、結局首を横に振るしか無かった。

「・・・なら、あの親子か・・・・・・?」

この国でも、既に芥子栽培や、阿片抽出技法が確立されているため、医療用の正規のものであるなら何の問題も無いが、
そうでないなら、華の父親がこの阿片の密輸に共謀している可能性もある・・・・・・。

彼女が信じていた世界が、おぞましい闇に寝食されていく様に、華の瞳から精彩さが失われつつあった・・・。





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