とある鬼の昔話
□幸せになる為に
1ページ/2ページ
尼僧に伴われ御堂に入り、泥だらけの寝間着を着替え、
傷の手当をして白湯を飲み、ようやく桜達は一息ついた。
「ここは、山の反対側だから、領主が違うの。
だからしばらくは安心して大丈夫よ」
優しい尼僧の笑顔に、桜は固く微笑んで返した。
「少し、外の様子を伺ってくる」
立ち上がった銀に、思わず桜が悲鳴を上げる。
「駄目!!駄目よ銀!!危ないわ!!
貴方にもしもの事があったら!!私・・・・・!!」
錯乱した様な桜の取り乱し方に、銀と尼僧は目を見合わせた。
動いたのは尼僧だった。
「ね・・・・・桜さん、銀はちょっと外の様子を見るだけよ?
大丈夫、銀は幼い頃ここで過ごしたの。
土地勘はあるし、自然を味方に出来る野生児よ?
心配しないで」
「野生児って・・・・・」
銀はぼやきながらも、それでも心配そうな桜に、白い歯を見せて笑ってみせた。
* * * *
銀が数日の間、辺りを見回ってみたが、追っ手が来る様子は見られなかった。
その間、古い御堂の側にある小屋で、三人は隠れるように過ごしていた。
時折、人気がなくなると、尼僧が食べ物などを持って様子を見に来てくれる。
銀としては、あまり尼僧に負担はかけられないと、ここを早く出たそうだったが、
梓はともかく、桜の精神状態が不安定なため、なかなか決心がつかなかった・・・・・。
己の願いが叶ってしまった恐ろしさ。
己の願いの罪深さに、桜は身が引き裂かれる様な悲しみに陥った。
そんな桜を銀は黙って受け止めてくれた。
桜は銀に縋り付きたかった。
自分をめちゃくちゃに壊して欲しいと思った。
優しい銀の腕に抱かれて、全てを忘れてしまいたかった。
しかし、銀は自分の胸に飛び込んで来た桜を、やんわりと諌めた。
自分を見失うなと・・・・・・。
* * * *
潜伏生活に飽きた梓を連れて、銀は山菜採りに出かけてしまった。
一人置き去りにされた気になり、桜は心細くなった。
すると、戸口から尼僧が顔を出した。
「桜さん。お加減はいかがですか?」
静かで穏やかな尼僧の声に、桜の心が少し和む。
「比丘尼(びくに)様・・・・・ご迷惑をおかけして、申し訳ありません・・・・・」
尼僧はふふっと笑うと、いたずら好きそうな表情を見せた。
「いいえ、私は賑やかなのが好きなのですよ。
秘密を持つのも、何だかわくわくして楽しいですし。
私は銀がいなくなってから、ずっと一人でしたから」
はっとした表情で、桜は尼僧を見た。
「それで・・・・・桜さんは、何を悩んでいらっしゃるの?」
桜の反応を気にしたようでもなく、ふわりと微笑して、尼僧は尋ねた。
その声は優しいものの、返答を拒めない強さがにじみ出ていた。
桜は少しずつ、少しずつ、心の底にあった自分の想いを吐露していった。
「私は・・・・・鬼の里の頭首の娘です・・・・。
襲撃があったとき、私は・・・・不在の頭首の代わりに、皆を守る義務があった・・・
皆の先頭に立ち、子供達を逃がし、男達を指揮し、里を守る義務があった・・・・」
尼僧は黙って、苦痛に身もだえる桜を静かに見つめる。
「なのに!それなのに!私は・・・・銀が来てくれて・・・・
銀の顔を見たとたん・・・・
私は・・・・・銀と逃げようって・・・・
銀と一緒に逃げたいって思ってしまった!!
そして逃げたんです!!私は!!!皆を見捨てて!!
皆を見殺しにして!!」
泣き叫ぶ桜の肩を、尼僧は優しく抱く。
「そんな私が・・・・・修羅のように醜い私が・・・・・
銀と一緒にいて良いのかって・・・・
幸せになっていいのかって・・・・」
「・・・・・そうやって、自分を責めて・・・・・
誰が幸せになれるのですか?」
静かだが、厳しい尼僧の言葉に、桜は思わず顔を上げる。
そこには、全てを包み込む様な、優しい尼僧の笑顔があった。
「人は・・・・・、ああ、桜さんは鬼でしたね。
でも、あえてここは、人と呼ばせていただきますね」
そういうと、桜を正面から見据えた。
逸らさずに、真っすぐ桜を見つめるその瞳には、強い光が宿っていた。
「人は・・・常に人知れず決断を迫られているものです。
それは、二つに一つだったり、たくさんの中からたった一つを選び抜く事だったり・・・・
迷う事なく選べるものだったり、どれを選んでも後悔する苦渋の決断であったり・・・・」
ふと、尼僧が遠い目をしている事に、桜は気付いた。
「どの選択でも、選んだものがあるなら、手放すものもあります。
桜さんは、後悔する程大切なものを手放したのに、さらに選んだものすら手放すのですか?」
桜は身動き一つできなかった。
「銀は・・・・いずれ、あなたを鬼の里から、連れ出す気でいたそうです」
「え・・・・・・!?」
桜の体を驚愕の衝撃が走る。
「自分の仕える領主も地位も、全て捨てて、鬼と対峙する事になっても、
あなたを連れ出したいと考えていたのだそうよ」
「銀が・・・・・そんな事を・・・・」
「でも、鬼の里を捨てる事になると、きっと桜は後悔するだろうから、
桜が覚悟を決めてくれるまで待ってるつもりだったって・・・・・」
桜の瞳から涙が頬を伝っていった。
「私は・・・・鬼の里も・・・・銀も・・・・・どちらも・・・・・
選べなかった・・・・・」
「でも、あの襲撃のとき、あなたは銀を選んだ。銀とともにある事を選んだのです。
ならば、銀とともに生き抜きなさい。
自分の選択に胸を張れる程、幸せになるのです。
己の修羅と向き合う強さを持ちなさい。
そして、修羅を包み込む程、幸せにおなりなさい」
尼僧の厳しくも、温かい言葉に、ただただ桜は涙していた。
銀に縋って寄りかかって、自分は自分の選択の後悔を、
全て銀に押し付けようとしていたのだと、桜はようやく気付いた。
銀に許される事が、自分を救う事だと思い込んでいたのだと、
桜はようやく気付いた。
桜は、自分の中にあるあらゆる感情を、涙に変えて、流し尽くすまで泣いた。
後には自分の選択を幸せに導く、覚悟だけが残った。