月桜鬼 第一部
□出会い
1ページ/4ページ
寒さが厳しくなって来た。
昼過ぎの三番隊の巡察。
空は鉛色。
そろそろ雪も降り始めるだろう。
白い息を吐きながら、斎藤は厳しい目で辺りを見回す。
いつもと変わらない町並み。
(今日は平穏な一日になりそうだ・・・・・)
そう思った矢先、行く先で怒鳴り声が聞こえた。
斎藤は大きな溜め息を一つ吐くと、視線を先に向けた。
遠巻きに見ている人影の隙間から、不逞浪士三人と、まだ幼さの残る巫女姿の少女・・・
そしてその少女にしがみつく様にに立つ、五、六歳の童(こども)の姿があった。
流れてくる会話から推察すると、どうやら童が浪士の刀にぶつかったらしい。
そして、童相手に激高する無頼漢どもに、果敢にも巫女の少女が割って入ったようだ。
周囲の者達は、気にしつつも火の粉が飛び移らないよう、距離を取ったり、店の陰に姿を隠したりして様子を見ている。
斎藤の故郷である江戸では、何か揉め事があれば、あれよあれよと言う間に人だかりが出来て、
些細な出来事が、あっという間に大事(おおごと)になっていったものだ。
血の気の多い、野次馬根性の江戸っ子ならではなのかもしれない。
少し寂しい気もするが、これも京の土地柄と言うものだろう。
大体、そんな事を気にしているほど暇ではない。
立ち尽くしているだけの人々を押しのけて、斎藤は騒ぎの中心へと足を向けた。
そこには恐れる風でもなく、ただ困惑したように童の肩を抱き、
怒り狂う男達を戸惑いながらも、何とかなだめようとしている巫女の姿が見えた。
「この糞餓鬼が!!わしらが歩いていたら、お前が端へ避けるべきやろうが!何様のつもりや!
おまけに無礼にも、刀に触れよって!
刀は武士の魂やぞ!
お前みたいな小汚い小僧が、触れてええもんやないで!」
「えっと・・・ですから・・・こんな小さい子に、そんな言い方しなくても・・・。
この子も・・・その、ちゃんと謝ってますし・・・」
男どもは、健気にも童を庇おうとする少女を舐めるように見つめ、にやりと表情を変えた。
「・・・ほう?そんなら巫女の嬢ちゃんがこの餓鬼の代わりに、俺達にええ事してくれんのか?」
不逞浪士の一人が下卑た笑みを浮かべ、不躾(ぶしつけに)に少女の腕を取ろうとする。
「あの・・・ごめんなさい。
私、ちょっとものを知らなくて・・・。
何をおっしゃっているのか、まるで意味が分からないのですが・・・・」
ぴょこんと頭を下げると、少女は困ったような曖昧(あいまい)な笑顔で小首をかしげる。
純真そうな巫女の少女の様子に、男たちはこれは面白い獲物が手に入りそうだとほくそ笑み、
批難がましい表情で事の成り行きを見守る人達を、威嚇して散らそうとし始めた。
「へぇ・・・・分からんのか。やっぱり、巫女さんはおぼこいのう。
俺らも手荒なまねはしたくないんや。
ここは俺らの言う事を素直に聞いといた方が、ええんやないか?
ほれ、これ見てみぃ・・・・。怖ないんか?怖いやろが!」
ひげ面の男がわざとらしく、腰に下げた大小二本の刀を少女に向け凄(すご)んでみせた。
恐らくこの無頼漢達は、少女が青ざめ震えだすだろうと考えていたのだろう。
だが少女の反応は、斎藤でさえも想像がつかないものだった。
「・・・・・・え・・・でも二本差を怖がっていては、田楽(でんがく)が食べれませんし・・・・」
生真面目な表情でのほほんと不真面目な返答した巫女に、ざっと殺気が向けられた。
「なめとるんかぃ!!女やと思って優しくしとったら、付け上りよって!!」
少女が頓珍漢(とんちんかん)な返答をした為か、茶化されたと思った男達がどんどん激高していく。
一方の少女は、何故この男たちが更に怒りだしたのかが分からない様で、きょとんとしていた。
(このまま放っておけば、刃傷沙汰になりそうだな・・・)
斎藤は仕方なく、間に割って入った。
「何だ、おめぇは!!」
突如、巫女達を庇(かば)うように姿を現した斎藤に、怒りを向けた男達であったが、
斎藤の後ろに控える佩刀(はいとう)した若い男の集団を見て、何者が割って入ったかを理解した。
理解はしたが、引く事もでき無いようだ。
どうしたものかと、歯ぎしりしながら睨みつけてくる男達をことさらに無視し、
斎藤は後ろに控える部下に対し、構わず巡察を進めるよう命令する。
その瞬間、隙ありと見てすぐさま抜刀(ばっとう)し、三人の男が怒声と共に背後から襲いかかってきた。
雷光のように、一瞬にして抜かれる刀。
たった数合の打ち合いで、眉一つ動かさず、斎藤は不逞浪士達の腕に傷を負わした。
飛び散る血飛沫(ちしぶき)に、辺りから悲鳴が上がる。
斎藤の剣の腕前を文字通り体に刻んだ男達は、賢明にも、だが遅ればせながら、己との力量に気付いたようだ。
「覚えとけや!!」
斎藤が腐る程聞いた捨て台詞を吐き、男どもは斬られた腕を抑え逃げ去っていく。
後を追って斬る気にもなれず、静かに懐紙で刀身の血糊(ちのり)を拭い鞘にしまうと、改めて斎藤は少女らを見やった。
「あの・・・助けていただき・・・その・・・ありがとうございました・・・」
舞い散った鮮血に驚いて泣き出してしまった童を、優しく抱きあやしつつ、
巫女が当惑したような表情で礼を述べてきた。
よく見ると歳の頃十二、三歳の少女だった。
肌は白く、睫毛(まつげ)の長い繊細な顔立ちをしている。
余計な事だとは思ったが、斎藤は少女らに一応声をかけた。
「・・・無事か・・・?」
「はい・・・ご利益がありますから。
もし無ければ斬られて仏になり、そのまま仏門に鞍替えするだけの事です」
斎藤の問いに威圧感がないのを悟ったのか、多少緊張気味な硬い声ではあるが、
少女は巫女にあるまじき不敬きわまりない返答をした。
戸惑いながらも無頼漢とたった一人で対峙したり、大胆な発言をさらりとするあたり、
可憐な容姿からは想像はつかぬが、根は男顔負けな程の豪胆な娘なのかもしれないと、斎藤は少し唖然(あぜん)とした。
(もしや、俺の助勢など必要なかったやも知れんな・・・)
「あいつら・・・お姉ちゃんに、仕返しにこぉへんかな・・・?」
ふと泣き止んだ童は、巫女姿で少女の素性を知られたため、報復を心配した。
「そうですねぇ・・・大丈夫ですよ。きっと・・・・・」
確信も無いまま諭すように、巫女の少女はにこやかに笑顔を返す。
童に対しては、声も表情も柔らかく温かい。
斎藤にだけは、未だ警戒心を抱いているのかもしれない。
(それもそうだ。
いくら気丈な娘とは言えど、刀剣を持った人間に隙など見せる者など居ないだろう・・・)
そう納得すると、斎藤は再び少女に問いかけた。
「どこの神社の者か?」
少女は一瞬、ちらりと斎藤を見上げたが、すぐに目をそらし、躊躇(ためら)いがちに答える。
「・・・・申し遅れました。
私はこの先の小高い丘の上にある美月(みつき)神社に仕えております、
夏目いのり・・・と申します」
「俺は新選組三番隊組長、斎藤一だ・・・。
おそらく大事ないとは思うが、一応用心した方が良い」
「・・・はぁ・・そうですねぇ・・・」
そう堅苦しく忠告する斎藤に、少女は少し眉をしかめながらも、まるで人ごとの様な気の無い返事をする。
どうも自分の言動だけが、から回っている様に思えて仕方ない。
(・・・・・・大丈夫なのか?)
先ほどの騒動の渦中に居ながら、少女のあまりの無頓着さに、斎藤は少し焦れる。
無愛想な斎藤が珍しく、もう一言言ってやろうと口を開きかけた時、
騒動を聞き付けたのか童の母らしき女性が駆けつけ、少女と斎藤に礼を言うと、
慌ただしく童を連れて行ってしまった。
それを穏やかに見送ると、いのりは突如力が抜けたようにふぅっと大きく息を吐く。
「どうした?」
眉をひそめた斎藤に、 いのりと名乗った少女は、親子の後ろ姿を眺めたまま苦笑した。
「・・・・人と話すのは未(いま)だ慣れず、少々緊張してしまいました。
上手く受け答えができていたかどうか・・・。
なんだかあのお侍さん達を、怒らせてしまったようですし・・・・・・」
(・・・やはり、態(わざ)と揶揄(からか)った訳ではなかったのか・・・)
それはそれで、問題だ。
斎藤が眉間にしわを寄せ溜め息をついたが、いのりは意に介した様子も無く、
「・・・本当に有り難うございました。では・・・」
と再び丁寧に頭を下げると、何事も無かったかのようにひらりと舞うように身を翻(ひるがえ)し、
斎藤の前から歩き去っていった。
彼女の姿を消すように、粉雪が空からちらほらと舞い落ちる。
よくある出来事であった。
そう、巡察に出ていれば、多少のいざこざは日常茶飯事だ。
だが、斎藤は引っかかった。
何がと問われれば、何一つ確固たる返答は出来ないが、
ただ、あの不思議な雰囲気の少女が気になったのだ。