月桜鬼 第一部

□見えない涙珠(るいしゅ)
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いのりは人の声で目が覚めた。

ぼんやりと見上げた天井は、見慣れないものだった・・・。
耳を澄ますと、いつも聞こえるはずの鳥達の鳴き声が聞こえない。
代わりに数人の男の騒がしい声が、微かに聞こえる。

「・・・・・私・・・・どこにいるんだろう?・・・・」

布団から手を出し弄(まさぐ)っても、宮司の手が見当たらない。
布団から身を起こし、辺りを見回したがやはり見た事の無い部屋・・・・。

「宮司様は・・・・どこにいるの?」

混乱した記憶の中一気に不安が全身を駆け巡る。
急いで布団を抜け出すと、外に通じているであろう障子を開けた。
冷たい空気がすっと全身を包み込み、思わず少女は身震いをする。
またしても見た事の無い景色が広がっていた。

「・・・・ここは・・・・どこ・・・・・?」

あまりの心細さにいのりは泣きそうになる。

「・・・・・新選組の屯所だ」

いきなり足下で声がして、いのりは体ごと飛び上がってしまった。

「・・・・驚かせたか、すまない。・・・・・・体の方は大丈夫か?」

「・・・はい・・・・」

障子の外で凛と座っていた斎藤の顔を見て、
徐々にいのりの脳裏に記憶が蘇った。

鮮明に思い出す、宮司うめき声・・・どんどん広がっていく血の池・・・まだ温かい体・・・・・。

いのりの足下が頼りなく揺らいだ気がした。

(そうだ・・・・宮司様はもういないんだ・・・・・)

胸に去来(きょらい)する激しい後悔、悲しみ、怒り、心細さ・・・。
色々な感情が入り混ざり、いのりは目眩がした。

「・・・・どうした?」

真っ青な顔で立ち尽くす少女の様子を見て、斎藤は立ち上がる。

「お、起きてたか、朝餉(あさげ)を持って来たんだが・・・・」

斎藤が振り向くと、そこには膳を持って来た原田がいた。

「どうやら気分が優れないようだ」

原田はちょっと顔を曇らせると、軽く溜め息をついた。

「・・・まぁ、そりゃそうだろうが・・・・・
 とにかく食わねぇと、体の方も参っちまうからな」

そう言うと、原田は労(いたわ)る様な笑顔をいのりに向けた。

「と、言うわけだ。食欲が無いだろうが、とにかく一口でも良い。食っとけ」

いのりは未だ青い顔のまま、ただ気力の無い声で、はい、と小さく答え部屋に入った。
膳を受け取ろうと振り返ったいのりは、一緒に入室して来た原田と斎藤に動揺した。

「・・・・え・・・・あの・・・・・?」

「悪ぃな、しばらくは監視付きだ。」

訳も分からず頷くと、いのりは大人しく置かれた膳の前に座る。

(どうして監視されるのかしら・・・・それはやはり、私のあの姿を見られたから・・・・・?)

いただきますと、手を合わせて箸を持つ。

(私はどうなるんだろう・・・・・殺されるのかな?
 ・・・・・それとも何かに利用されるのかな・・・・)

そう思ったが、いのりは何だか他人事のように感じた。
視線を感じながら、椀を持ち味噌汁を一口飲む。

「・・・・美味しい・・・・」

そっといのりが思わず呟くと、いきなり原田が吹き出した。
不思議に思っていのりが視線を上げると、
頬を染めそっぽを向く斎藤と、にやにや笑う原田がいた。

「いや、実はその味噌汁、この斎藤が作ったヤツなんだ」

驚いていのりは軽く目を見張った。

味噌汁は冷えた体を温めてくれ、空腹の胃に染み渡った。
そして、いのりは嫌というほど思い知らされた。
自分は生きているんだと。
生き残ってしまったと・・・。

結局いのりは味噌汁を半分飲んだだけで、後は食べられなかった。
手がほとんど付けられていない膳を持って、斎藤と原田はいのりを残し、部屋を出ていった。

出る際に今日一日は体を休ませるよう言い渡され、いのりは再び布団に潜り込む。
眠くはなかったが、体が重かったのだ。

修羅になると、どうしても体力が奪われる。
暫くするとすぐ戻るのだが、今回は心の消耗が激しかったようだ。
目を閉じると、いのりの胸に自然と宮司との思い出が浮かび上がる。

「今まで辛かっただろう・・・・・。でももう大丈夫。私が力になるから・・・・・。
 だから、君には普通に・・・・他の娘達と変わらず、穏やかで温かい日々をここで送って欲しい・・・・」

不意に宮司の声が頭に響き、思わずいのりは布団の中で体を抱え込む。
いのりは耳を両手で塞(ふさ)いだ。
それでも声は耳に届く。

「いいかい、修羅にはなってはいけない。ここで、ただの女子(おなご)として生きなさい」

そう、いのりは宮司と約束した。
修羅にはならないと。

その通りに、いのりは自分を偽った。
ただの娘だと・・・・・。
だから宮司は殺された。
そして己の怒りに身をまかせ修羅となり、あの男を殺した。
だからいのりは生き残った。

結局自分は・・・静かに・・・平穏に暮らしたいと言いながら、
血に塗れて戦わなければ生きていけないのだ。

江戸からたった一人、いのりはある目的の為に京まで来た。
そんな道すがら、行き倒れたいのりを救ってくれた宮司に、
しばらくの間せめてもの恩返しにと色々手伝いをして一緒に暮らしていた。
そんな日々はとても平穏で、幸せだった。
ここに長くはいられないとは思いつつも、平和な日々と宮司の優しさに、ずるずると甘えきっていた・・・・。

ただ一人の女の子として、生きてみたいと思った・・・・。
戦いも憎しみも悲しみもなく、怒りも孤独も恐怖もなく、ただ日々を、
ほんの少しで良いから、仮初めでも構わないから幸せに生きてみたいと思った・・・・・。

ただそれだけだった。
だが、そんな思いが宮司を死に追いやった。

己の幸せのために、自分が傷つく事を恐れたために。

(まただ・・・・また私は誰も守れなかった・・・・救えなかった・・・・・。
 また私は奪った・・・・日々の暮らしを、命までも・・・・)




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