月桜鬼 第一部

□明けゆく年
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部屋で寝る準備をしていたいのりは除夜の鐘を聞こうと、そっと丸窓の障子を開けた。

「ふぅ・・・寒い・・・・」

外は深々と寒さが増し、ほんの少し障子を開けただけで、思わず身震いしてしまう。

耳を澄ますと、点々と灯る遠い明かりの方から、何やら賑やかな声が聞こえる。
知らず知らず、いのりの口から溜め息が出た。白い息が闇に溶ける。

去年の年越しは、神社で宮司の手伝いで大忙しだった。
年越の祓(はらえ)に、白紙の人形を河に流しに行ったり、茅の大輪を神社前に立てたり・・・・。
新年を迎えると、近所の人々が朝参りにやってくる。
小さな神社ではあったが、宮司に親しい人々が酒やつまみをぶら下げて、
詣でついでに宴会を始めてしまうくらい、温かい場所であった。

いのり自身は対応に追われ、宴会に参加こそできなかったが、陽気に賑わう人々の声はとても温かく、
いのりも元気をもらった気がしていた。

そんな思い出が繰り返される事は、もう無い。
今年はたった一人で、寒さと寂しさに耐えながら、新しい年を迎える。

また、溜め息が出る。
何がいけなかったのだろう。何が間違っていたのだろう。
・・・・なぜ私は今一人なのだろう。
頭の中で巡る、答えの無い問いかけ。

再び溜め息を付きかけたところに、突然いのりの下から、からかう様な明るい声がした。

「溜め息ばっかり。もしかして寂しいの?」

いのりは驚いて、吸った息を飲み込んでしまい、声も出ない。
丸窓の下に沖田が座り込み、いのりを見上げていた。
深い緑の瞳に見つめられ、まるで心を読まれたかのように感じ、少女は赤面した。

「・・・・・いえ・・・・あの・・・・」

「図星だった?」

沖田がにんまり笑って立ち上がり、黙り込むいのりの頭をそっと撫でてやる。

ここに来るまで沖田は、悪戯心でいのりを驚かせてやろうと思っていた。
しかし、不意に開いた丸窓の障子に、思わず身を伏せてしまった。
そして、いのりの「寒い」の一言が「寂しい」に聞こえ、はじめの意気込みがしおしおと萎れていったのだ。

ただ今は、人恋しく鼻を鳴らす子犬のような少女が、何だか愛おしく思えた。
いのりは素直に頭を撫でられたままでいる。
うつむく彼女の表情が見えないのは惜しいが、艶やかな髪が心地いい。

「あ、よかったぁ、まだ寝てなかったか」

藤堂が半ば廊下を走りながら、近づいて来た。
心の中で沖田は舌打ちし、名残惜しそうにいのりの髪から手を離す。

「平助さん?」

何事かと不思議そうに問いかけるいのりに、藤堂は明るい笑顔で側に寄ってきた。

「あのさ、いのり・・・・・・」

「何しに来たのさ、平助」

不機嫌そうに沖田が二人の間に仁王立ちする。
それに触発されたように藤堂も、じろりと沖田を睨んだ。

「何しに来たぁ?そりゃこっちの台詞だぜ。総司がいのりを呼びに行くって言って、
 勝手場から逃げた癖に全然帰ってこないから、俺が迎えに来たんだろうが」

「ん〜〜そうだっけ??」

「全く・・・何やってたんだよ」

大げさに溜め息をつくと、藤堂はいのりに向き直った。

「さ、じゃあ行こうぜ。おっと、寒いから羽織でも羽織っとけよ。さすがに寝間着だけじゃ風邪引いちまう」

「え・・・行くって・・・どこへですか??」

戸惑ういのりに、先に歩き始めた藤堂は、半ば呆れたような顔で振り返る。

「年越しにゃ、年越し蕎麦だろう?今、一君一人で作ってるからさ・・・・・」

「あ・・・分かりました!急いで行きます」

「んじゃ、左之さん達が待ってるから、広間で酒でも飲んで蕎麦を待つか・・・・・」

藤堂の話を聞くや否や、いのりは急いで寝間着に羽織を引っ掛け、広間ではなく勝手場に向かった。
その姿を横目で見ていた沖田は、「なんか誤解させちゃったな」と苦笑しつつ「まあいいか」
と藤堂に促され広間に向かった。


* * * *


お勝手場には斎藤が、いつもの着流しに襷がけした姿で蕎麦を茹でていた。

「すみません!お手伝いします!」

勢い良く現れたいのりの姿に、斎藤はぎょっとする。

「な・・・夏目。なんて格好で・・・・」

「??あ・・・・すみません。急いで来たもので・・・駄目ですか??」

斎藤はそっぽを向いたまま、いのりの方を向かない。

「いや・・・・駄目と言うわけではないが・・・・その・・・
 あまりそういう格好を、身内以外の男に見せると言うのは・・・・その・・・」

なにやらぶつぶつ呟く斎藤に、いのりは小首をかしげる。

「斎藤さん、お葱切りますね。あと、そろそろお蕎麦が茹で上りそうですよ」

「あ、ああ・・・・」

急いで蕎麦をざるに上げ、椀に盛っていく。
そこでふと、斎藤は気付いた。

「それより夏目、なぜこちらに来た?左之達がいる部屋で待っていれば良いものを。
 大体、手伝うはずの総司と平助はどうした?」

「え?沖田さん達は広間で、お酒を飲んでお蕎麦を待ってるって言ってましたけど・・・。
 それに、私は斎藤さんが一人でお蕎麦を作ってらっしゃると聞いたので、
 お手伝いに呼ばれたのだと思ったのですが・・・・」

椀に汁(つゆ)を注ぎながら、きょとんとした顔で斎藤を見ると、当の斎藤は眉をしかめた。

「総司達のヤツ・・・・。
 夏目を迎えに行くと言いながら、夏目に手伝わせて自分たちは逃げたな」

「斎藤さん??」

「あ・・・いや。実は別にあんたに、蕎麦作りを手伝わせるために呼んだわけではなく、
 皆と一緒に年越し蕎麦を食べないかと誘うつもりで、総司や平助を使わしたんだが・・・・」

いのりの顔に徐々に驚きが広がっていく。

「え・・・あの・・・良いんですか?・・・・」

「何がだ?」

斎藤はそんないのりの表情を、不思議そうに覗き込む。

「だって・・・・」

「年越しと言えば、年越し蕎麦を皆で食べるものだろう??」

さも当然のような真面目な声に、 いのりは思わず吹き出してしまった。

「??何か俺はおかしいことを言ったか??」

「ぷっふふふ・・・・だって・・・・斎藤さん・・・・
 へ・・・平助さんと・・・同じ事言うんですもの・・・ふふふふ」

いのりが真っ赤な顔で体を震わせ、一生懸命笑いを堪えている様子に、斎藤は眉をひそめる。

「・・・俺が平助と同じ事を言う事が、そんなに可笑しいか」

「いいえ!いいえ、違います。
 私は皆さんの年越しに、私がご一緒しても大丈夫ですか、と言う事をお聞きしているんです。
 なのに・・・・ふふふふ・・・皆お蕎麦の事ばかり・・・・」

そう言う事か、と斎藤は得心したように独りごちた。
そして改めていのりに向き合うと、そっと優しく髪を撫でた。
少し驚き、笑いをおさめたいのりは顔を上げ、真摯な瑠璃紺色の瞳を見つめた。
その瞳には深い慈しみが溢れていた。

「・・・・・今年は・・・・色々あったからな・・・・だから・・・・」

「おお〜い、一君!!蕎麦はまだ??新八っつぁんが、年越しちまうって煩いんだけど」

声が聞こえた際に、さっと手を引いた斎藤は、みるみる内に不機嫌そうな表情になり、
勝手場に現れた藤堂を振り返り睨んだ。

「だったら、平助も手伝ったらどうだ」

「え・・・・いやあ、いのりが手伝ってくれてたみたいだったからさ・・・・
 って、なんか一君すっげー怒ってない??」

斎藤の気迫にたじろいだ藤堂は、いのりに助けを求めた。

「えっと・・・いのり、重いだろ??出来上がったヤツは、俺が持って行くからさ。」

「あ・・・・ありがとうございます、平助さん。
熱いので気をつけてくださいね」

「へーき、へーき。・・・・あっち!!」

盆に四つの椀を乗せ、危ない足取りで広間へ急ぐ平助。
その後ろ姿に溜め息を投げつけ、斎藤は盆にさらに三つの椀を乗せる。

「さあ、俺たちも広間へ行こう」

「斎藤さん・・・・」

続いてお勝手場を出ようとした斎藤が振り返ると、蝋燭の柔らかい光に照らされたいのりが、
少し躊躇(ためら)いがちに微笑んでいた。

「いえ・・・何でもありません」

「ああ・・・・」

短く、だが、優しく斎藤は答え、広間に向かった。

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