月桜鬼 第二部
□父の行方
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薄暗い山南の部屋で、山南と松本は対峙した。
傍らに近藤と土方が座っている。
「君が・・・・山南君か・・・・・」
「ええ、先生とは人間であった時にお会いしたかったものですね。
なんでも凄腕の蘭方医と聞きましたから・・・・」
「・・・・いや・・・・」
さすがの松本も、羅刹となった山南にかける言葉もなかった。
「で、体調はどうなんだ?」
「そうですね・・・・やはり日中は体が気怠(けだる)いですね・・・・」
「吸血衝動は?」
「・・・・・・ありませんよ」
松本は軽く眉をひそめたが、口に出しては何も言わなかった。
深々と溜め息をつくと、松本は髪のない頭をがしがしと掻いた。
「では、変若水は完成したとは言えんな・・・・」
「ええ、ですから松本先生。
変若水の改良にお力を貸しては頂けませんか?」
松本は掻いていた手を止め膝に下ろすと、更に眉をひそめて短く返答した。
「できんな」
「・・・・・幕府の命令でも?」
ねっとりと湿った山南の言葉にも動じず、松本は山南を見返した。
「俺は医師だ。
傷病人の手当の仕方は知っているが、人を化物にする術(すべ)は知らん」
堂々とした松本の態度に、山南は苦笑して頷いた。
「・・・・分かりました。
無理なお願いをしましたね。すみません」
* * * *
山南の部屋を出た松本は、前を歩く土方に声を潜(ひそ)めて鋭く尋ねた。
「なぁ、土方さんよ・・・・・」
「・・・・何でしょう?」
「山南さんとやらは、昔からあんな感じだったのか?」
「あんな感じとは・・・・?」
松本の問いの真意が分からず、土方は肩越しに眉をひそめた。
「俺は山南さんとやらには初めて会うから分からんが、
羅刹になる前の山南さんと、どこか違う所はあるか?
身体的にではなく、人柄や行動とかにだ」
「・・・・・・・どうしてそんな事を・・・・?」
何となく嫌な予感がして、土方は立ち止まり松本を振り返った。
「率直に聞こう、あれは本当に山南さんか?」
松本の冷静な声が、土方の体を貫いた。
考えた事もなかった。
思えばそうだ、山南の体で動き、山南の声で話せば、山南なのか?
本当に山南の変若水は、体だけを羅刹と化したのか?
意識は・・・・意志は、山南のままなのか?
徐々に青ざめていく土方の表情に、松本はそれ以上言葉を重ねなかった。
「以後、注視していきます・・・・」
苦しそうにそう紡ぎ出した土方の一言に、松本は重苦しく頷いた。
* * * *
一人部屋に残った近藤に、山南は一枚の紙を渡した。
「山南君、これは・・・・・?」
戸惑う近藤が手にした紙にはこう書かれていた。
『羅刹隊』
「これからの新選組を裏から支えるべく、羅刹になった者達を羅刹隊として編成し、
私が管理、指揮していこうと思います」
柔らかく微笑む山南に、近藤は薄ら寒さを覚えた。
羅刹となる前の山南に比べ、ずっと落ち着き穏やかになった。
だが、時折見せるこの寒々とした威圧感はどうであろう。
近藤としては未だ残っている羅刹となった隊士を、どう処遇しようかと迷っていた。
山南がそれを束ねてくれると言うなら、特に反対する事もない。
「そうか・・・・宜しく頼む・・・・・・」
こうして密かに羅刹隊が編成される事になった・・・・。
* * * *
陽が完全に沈み、闇が一帯を支配した。
今日は空を重々しい雲が覆い、月も星も姿が見えない。
近藤と土方は松本が帰った後も、夕餉も食べずに屯所の改善の為、部屋に詰めて協議を重ねていた。
心配したいのりが、お茶と軽い食事を用意して、
土方と近藤の部屋へと歩いていると、ふと背中がざわついた。
(この感覚は・・・・・)
慌てて食事を乗せた膳を廊下に置き、いのりは外に飛び出す。
気配を辿り中庭へ急ぐと、案の定庭園の大岩にの上に、秀麗な顔立ちの美しい青年が佇んでいた。
「風間さん・・・・・」
生暖かい風が二人の髪を軽く撫でていく。
「・・・・もしかして、迷子ですか?
正門はあちらですよ?」
いのりの緊張感の欠片もない言葉に、風間は深々と溜め息をついた。
「・・・・・・・全く、お前といいお千といい、俺は遊びにきた訳ではないぞ」
元々愛想の良くはない風間の顔が、更に不機嫌に歪んだ。
しかし、いのりはそんなことを気にも止めず、驚いた声を上げる。
「お千・・・・?
あ!もしかして、風間さんとお千ちゃんはお知り合いですか??」
「お千は俺の嫁となる女だ」
その場に千姫が居たら、全力で否定したであろう台詞を、事も無げに風間は言い放った。
「そうだったんですか!凄い、素敵ですね!!
お式はいつですか??」
このまま放っておくと、どんどん世間話に発展しそうな気配がして、風間は強引に話を切り替えた。
「そんな事より、いのり・・・・・俺と共に来い」
「・・・・?どこへですか?」
「俺の鬼の里だ」
風間の重苦しい気配にようやく気付き、いのりも表情を引き締めた。
「・・・・・何故?・・・・・・」
「お前を他の里の鬼からも、夜叉からも、そして人間からも保護してやろうと言っているのだ。
ここに居るよりよっぽど安全だ」
鬼との和解。
それはいのりがずっと夢見てきた事だった。
届かない夢だと思っていた。
鬼に命を狙われる事がなくなれば、普通の女子として生きていけるようになる・・・・。
修羅になる事もなく、戦う事もなくなる・・・・。
それが現実となるのか?
「でも・・・・・でも・・・・・」
快諾せず言い淀むいのりが意外だったようで、風間は眉間に皺を寄せた。
「何だ?何を躊躇(ためら)う?」
「でも・・・・私は・・・・行けません・・・・」
風間の顔に、驚愕と言うより不快感が満ちていく。
「何故だ?」
「何故だも何もねぇだろう。
本人が嫌がってんだ。止めとけよ」
鋭く答えたのはいのりではなく、木の影から姿を現した土方だった。
「そう言う事だ。
女房が居る男が、他の女に手ぇ出してんじゃねぇよ」
「さっさと帰りやがれ!」
いつの間にか姿を現した原田が風間に槍の切っ先を向け、いのりに駆け寄った藤堂が柄に手をかけた。
三人の男の敵意溢れる眼差しを、冷淡に弾き風間は鼻で笑った。
「いのり・・・・気が変わったらいつでも言え。
迎えに来てやる・・・・」
そう言って去ろうとした風間の背中に、藤堂が睨みながら言葉を投げつけた。
「けっ、人ん家邪魔しに来たなら、手みやげの一つでも持ってこいっつーの!」
すると、風間は肩越しににやりとした笑みを覗かせた。
「いいだろう、手土産代わりに教えてやろう。いのり・・・・お前の父は生きている」
「・・・・・!?」
いのりの体に衝撃が走った。
驚愕で声も出ない。
ずっとずっと探していた・・・・・・。
父を京で見かけたと聞かされ、比丘尼の反対を押し切って単身上洛してきた。
そして、美月神社の宮司と出会い、別れ、新選組と出会い今に至る。
全ての始まりは、いのりの父親探しだった。
その父が、風間の鬼の里に居る・・・・・。
「今しがた、永い眠りから目が覚めたようだ。
どうだ?父に会いたくはないのか?」
「・・・・・・会いたいです・・・・・」
会いたくない訳がなかった。
ずっとずっとこの三年間、それだけを心の糧に生きてきた。
「おいいのり、信じるんじゃねーよ、ぜってー嘘だ。
お前を連れてく為の嘘の決まってんだろ!」
慌てて藤堂がいのりの肩に手を置き、揺さぶる。
だが、微笑んだいのりは、静かに藤堂を手で制した。
「大丈夫です。
風間さんは嘘をつく様な人じゃないですよ」
静かないのりの声に、藤堂が戸惑う。
「な・・・何で分かるんだよ・・・・」
「だって嘘つくの、下手そうです」
「・・・・・下手・・・・・」
何かがひび割れた様な音がして、その方向へ目をやると、風間のこめかみに青筋が立っていた。
「どうする?ここに居れば、今度はお前が変若水とやらの素材となるぞ。
なぜ、羅刹などと言う、くだらん紛い物を作る下劣な輩の所に居る?」
いのりは俯いたまま答えない。
痛い所を突かれ、土方達も言葉が出ない。
「お前の父もいる、お千もいる。
鬼から、夜叉からお前を守ってやる。
どうだ?父に会いたいだろう」
確かに、いのりはすぐにでも父に会いたかった。
だが、一度でも鬼の里へ足を踏み入れたら、鬼の世界に入り込んだら、きっとここには戻って来れない。
それをいのりは本能で感じ取った。
闇夜でも分かる程、蒼白くなった顔を上げ、いのりは風間を正面から見据えた。
「会いたいです・・・・凄く会いたいです・・・・。
今すぐにでも、父様の側に駆けつけたい・・・・・。
でも・・・・・、私は・・・・・鬼の里へは行きません」
「・・・・・何故だ?」
何度同じ問いかけをしただろう。
無駄だとは思いつつ、風間は問いを繰り返した。
いのりの気持ちが理解できない。
いや、いのりを理解したいと言う訳ではなく、
一体どんな考えがあるのか知りたいと言う、純粋な好奇心だった。
風間の思いも知らずに、いのりはゆっくりと自分の考えをまとめるように、言葉を紡ぎ出す。
「半鬼である私を、新選組の皆さんは、ずっと側において守ってくれています。
だから、私も・・・・・何かを返したいんです・・・・。
鬼が羅刹に目をつけたのなら、尚更、鬼との戦闘は激化するでしょう。
皆を置いて、私一人が逃げるなんて、出来ません!
きっと、父様もそうしろって、言ってくださるはずです」
いのりの答えを聞いて、風間は珍しく苦笑した。
「やはり、あの男とそっくりだな・・・・。」
「親子ですから」
今度ははっきりとした笑顔でいのりは返した。
「いいだろう・・・・・お前の父親に関しては安心しろ。
丁重に扱っている。
また、気が変わったらいつでも迎えに来てやる。
それから・・・・・」
風間の鋭い視線が土方を貫いた。
「羅刹などと言う化物を生み出しているお前達にも、これからは用がある」
「今度は正門から堂々と来やがれ」
土方がかろうじて言い返すと、風間は鼻で笑い、闇に溶けていった。
気迫溢れる気配がたちまち霧散し、原田達も大きく息をついた。
「なぁ・・・・いのり・・・・」
藤堂が声をかけ、隣の少女に振り返ると、いのりは瞳から大粒の涙を流していた。
先ほどの凛とした姿との差異に驚き、藤堂は狼狽える。
「ど・・・どうした?なんか・・・・まずかったか?」
おろおろする藤堂の耳に、絞り出す様な声が聞こえた。
「やっぱり・・・・やっぱり父様・・・・生きてた・・・・・。
生きてた・・・・・」
顔を手で被い泣き出したいのりの頭を、優しく原田が背後から片手で包み込む。
「良かったな・・・・ いのり・・・・
本当に・・・・良かったな・・・・」
いのりは嗚咽を堪え、必至に頷いた。
羅刹と鬼の狭間に立たされた土方達の立場は、微妙なものだったが、
今はただ、泣きながら肉親の生存を喜ぶ少女の姿に、ほっとした笑顔を浮かべた。
*薄桜鬼夢小説rank*